↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/57

予定外の婚約話

王宮から届いた招待状を、私は何度も読み返していた。


王家主催の晩餐会。


出席者はエルディア王国の王族と主要な貴族。


そして――隣国ヴァロリア王国から訪問中の第二王子、ルシアン・ヴァルクレスト殿下。


そこまでなら、まだいい。


問題は、その下に書かれていた一文だった。


『両国の親睦を深めるため、若い貴族たちの交流の場も設けるものとする』


「……嫌な予感しかしない」


私は招待状を机の上に置き、深いため息をついた。


ゲームの知識には、こんな晩餐会は存在しなかった。


もちろん、王宮での社交イベントはいくつかあった。


アルベルト殿下とヒロインが親しくなる舞踏会。


カイルがヒロインを助ける騎士団関連の行事。


セドリックが魔法を披露する学園祭。


ノアが国境での事件に関わるイベント。


けれど――。


ルシアン・ヴァルクレストという人物が登場するイベントは、一度もなかった。


「……やっぱり、この世界はゲームとは違う」


そう呟いた瞬間、扉がノックされた。


「お嬢様。旦那様がお呼びです」


「今行きます」


私は立ち上がり、鏡の前で身なりを確認した。


今日の私は、いつもの濃紺のドレスではなく、少し落ち着いた紫紺色のドレスを選んでいた。


胸元には細かな銀糸の刺繍。


腰には細い金色のベルト。


長いスカートの裾には、淡い銀色の花模様が描かれている。


灰金色の髪は背中の中央まで伸びており、半分だけ後ろでまとめた。


髪を留めるのは、以前ルシアン殿下に褒められた銀色の髪飾り。


……なぜ、私はこれを選んだのだろう。


「…………」


私は髪飾りを見つめる。


「違う。これは単純に気に入っているだけ」


誰に言い訳しているのか、自分でも分からなかった。


私は首を振り、父の執務室へ向かった。


「入れ」


「失礼します、お父様」


部屋に入ると、父――アレクシス・アーデント公爵は書類から顔を上げた。


「来たか。今夜の晩餐会について少し話しておきたい」


「はい」


私は向かいの椅子に座った。


父はしばらく私を見つめてから、静かに口を開いた。


「ヴァロリア王国との関係についてだ」


「ヴァロリア……」


「そうだ。今回のルシアン殿下の訪問は、単なる親善目的ではない」


私は眉を寄せた。


「何か重要な交渉があるのですか?」


「いくつかある。国境問題、魔法資源の輸出、それから――」


父が一度言葉を止める。


「王族同士の婚姻についても話が出ている」


「…………え?」


私は思わず目を見開いた。


「婚姻……?」


「正式に決まったわけではない。だが、両国にとって有益な縁談を検討しているらしい」


「誰と誰が……?」


父は何でもないことのように答えた。


「候補の一人として、お前の名前も挙がっている」


「…………」


頭の中が真っ白になった。


私の名前?


私、リヴィア・アーデントが?


「お父様。それは……」


「まだ決定ではない」


「ですが、私はアルベルト殿下と婚約して――」


「それも正式に破棄されたわけではない」


「…………」


そうだった。


以前、私はアルベルトとの婚約を解消したいと父に話した。


しかし、父はまだ明確な答えを出していない。


そして今度は――。


隣国の第二王子。


ルシアン・ヴァルクレスト。


「どうして……私なんですか?」


「アーデント家はエルディアでも有力な公爵家だ。お前自身の家柄も申し分ない。それに、ルシアン殿下はお前に興味を持っているようだ」


「…………!」


私は思わず立ち上がった。


「そ、それは……!」


父がわずかに眉を上げる。


「どうした?」


「いえ……なんでもありません」


座り直す。


頬が熱い。


ルシアンが私に興味を持っている。


その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。


でも――。


「……これはゲームにはなかった」


小さく呟いた。


父には聞こえなかったらしい。


「今夜の晩餐会では、ルシアン殿下とも話すことになるだろう。無理に答えを出す必要はない。ただ、失礼のないように」


「分かりました」


私は返事をした。


けれど心の中は、まったく落ち着いていなかった。


* * *


夜。


王宮の大広間には、無数のシャンデリアが輝いていた。


白い大理石の床。


高い天井。


壁に飾られた王家の紋章。


大きな窓の向こうには、魔法灯に照らされた王都が広がっている。


私は父の隣を歩きながら、周囲を見渡した。


貴族たちはそれぞれ華やかな衣装を身につけ、静かに会話を交わしている。


そして――。


人々の視線が一箇所に集まっていた。


「ヴァロリアの王子殿下だ」


そんな声が聞こえる。


私も視線を向けた。


黒に近い青色の髪。


深い青の瞳。


銀糸で装飾された濃紺の正装。


胸元にはヴァロリア王家の紋章を刻んだブローチ。


長身で細身ながら、鍛えられた身体つきが服の上からでも分かる。


ルシアン・ヴァルクレスト。


彼は何人もの貴族に囲まれていた。


けれど――。


私と目が合った瞬間。


彼の表情が少しだけ変わった。


ほんのわずかな微笑み。


そして、こちらへ歩いてくる。


「こんばんは、リヴィア嬢」


「こんばんは、ルシアン殿下」


私は貴族令嬢らしく礼をする。


「今夜も会えましたね」


「……はい」


「少し安心しました」


「え?」


ルシアンは微笑んだ。


「あなたとは、もう少し話したかったので」


心臓が跳ねる。


「そ、そうですか」


「ええ」


彼は私の髪に視線を向けた。


「その髪飾り、今日も似合っています」


「…………」


まただ。


また、この人は平然とそういうことを言う。


「殿下は……」


「はい?」


「女性に、いつもそういうことを言っているんですか?」


思わず口から出てしまった。


ルシアンは少し驚いた顔をしたあと、楽しそうに笑った。


「いいえ」


「では、なぜ私には……」


「なぜでしょうね」


「…………」


絶対に楽しんでいる。


私は視線を逸らした。


するとルシアンが少しだけ身を寄せる。


「それより、今日は何か考え込んでいませんか?」


「……え?」


「いつもより落ち着きがありません」


「そんなこと……」


言いかけて、私は口を閉じた。


言えるわけがない。


あなたとの婚約話が出ているからです、なんて。


そもそも、私たちはまともに知り合ってからまだ数日しか経っていない。


なのに――。


「リヴィア」


突然、父の声が聞こえた。


「陛下がお呼びだ」


「分かりました」


私は父のもとへ向かおうとした。


その時。


「リヴィア嬢」


ルシアンに呼び止められる。


振り返る。


彼は静かに私を見つめていた。


「あとで、二人で話せませんか?」


「二人で……?」


「ええ」


「どうしてですか?」


ルシアンは少しだけ笑った。


「聞きたいことがあります」


「…………」


その瞳は、いつもの穏やかなものだった。


けれど、その奥には何かを探るような光があった。


私は小さく頷いた。


「分かりました」


そして父のもとへ向かった。


けれど歩きながら、私はずっと考えていた。


ルシアンが聞きたいこととは何なのか。


そして――。


私は彼に、何を聞けばいいのだろう。


ゲームには存在しなかった王子。


ゲームには存在しなかった国の情報。


そして今度は、ゲームには存在しなかった婚約話。


この世界はもう、私が知っている『薔薇と運命の王冠』ではない。


それでも一つだけ確かなことがある。


私の運命は、確実に変わり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。