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なぜ私を見ているの

王宮での歓迎茶会から三日が経った。


 私は自室の机に向かい、目の前に並べた紙を睨んでいた。


 紙には、前世で遊んでいた乙女ゲームの登場人物と、私が覚えているイベントを書き出している。


 アルベルト・レインハルト。


 カイル・エヴァンス。


 セドリック・ローゼン。


 ノア・グランディス。


 ゲームの主要な攻略対象たち。


 そして――。


 その名前の隣に、何度確認しても存在しない名前がある。


 ルシアン・ヴァルクレスト。


「……やっぱり、おかしい」


 私は椅子の背もたれに身体を預けた。


 窓の外では、午後の陽射しを浴びた庭園の薔薇が風に揺れている。


 侍女たちが庭の手入れをしている姿も見える。


 平和な光景だ。


 けれど、私の頭の中はまったく平和ではなかった。


「ルシアン・ヴァルクレストなんて、ゲームにはいなかった」


 もう何度目か分からない言葉を口にする。


 私は前世で『薔薇と運命の王冠』をかなりやり込んでいた。


 攻略対象のプロフィールも覚えている。


 イベントの発生条件も覚えている。


 隠しルートまで攻略した。


 だからこそ、分かる。


 ルシアンという人物が存在する余地はなかった。


「なのに、実際に会った」


 しかも、ただ存在しているだけではない。


 彼は私と会話をした。


 私の表情を見て、婚約についてまで気づいた。


 そして――。


『また会えるかな?』


 あの言葉を思い出しただけで、胸の奥が妙にざわつく。


「……だめ」


 私は両手で頬を軽く叩いた。


「考えちゃだめ」


 ルシアンは攻略対象ではない。


 そもそも恋愛対象ですらない。


 ならば、私が気にする必要はない。


 むしろ、これ以上関わらないほうがいい。


「ゲームにいない人間には、近づかない」


 私は紙の端に大きく書いた。


ルシアン・ヴァルクレストには近づかない。


「これでよし」


 ペンを置く。


 完璧な対策だった。


 ……そのはずだった。


「リヴィアお嬢様」


 扉の向こうから侍女の声がした。


「何かしら?」


「旦那様からお知らせがございます」


「入って」


 扉が開き、侍女が一礼する。


「本日、王宮から使者が参りました」


「王宮から?」


「はい。明日の午後、王太子殿下と隣国のルシアン殿下が、エルディア王国の魔法研究施設を視察されるそうです」


「…………」


 私は固まった。


「それで?」


「アーデント公爵家にも同行の依頼がございました」


「…………」


「リヴィアお嬢様も参加するようにとのことです」


 私は机の上を見る。


 そこには、さっき自分で書いたばかりの文字。


ルシアン・ヴァルクレストには近づかない。


「……神様って、意地悪なのね」


「お嬢様?」


「何でもないわ」


 翌日の午後。


 私は王宮近くにある魔法研究施設へ向かっていた。


 施設は王宮の北側に建てられた巨大な白い建物だった。


 三階建ての石造りで、屋根の上には青い魔法結晶がいくつも浮かんでいる。


 入口の両側には王家の紋章が刻まれた柱が立ち、その間を淡い光の粒がゆっくりと漂っていた。


「すごい……」


 思わず足を止める。


 ゲームの中では、この施設は背景として一度だけ登場した。


 けれど、実物は想像以上だった。


 窓の向こうには、巨大な魔法陣が見える。


 研究員らしき人々が白いローブを着て歩き回り、透明な容器の中では青い炎が燃えている。


 ここでは魔石や魔法道具の研究が行われているらしい。


「リヴィア」


 聞き慣れた声。


 振り返ると、アルベルトが立っていた。


 今日の彼は白い上着に金色の刺繍が入った正装を身につけている。


「殿下」


「来てくれてありがとう」


「王家からの依頼ですから」


 私は丁寧に頭を下げる。


 余計な会話はしない。


 ゲームのイベントを変えないためにも、それが一番だ。


 すると、アルベルトの隣にいた人物がこちらを見た。


「……こんにちは」


 深い青色の瞳。


 黒に近い青色の髪。


 濃紺の衣装。


「ルシアン殿下……」


「覚えていてくれたんだね」


「もちろんです」


「それならよかった」


 ルシアンは微笑んだ。


 その笑顔を見た瞬間、私はなぜか少しだけ落ち着かなくなった。


 彼は私から視線を逸らさない。


「……」


「……」


「……あの」


「何?」


「どうして、そんなに私を見るんですか?」


 気づけば、私は直接尋ねていた。


 ルシアンは少し驚いたように瞬きをした。


「そんなに見ていた?」


「はい」


「そうかな」


「はい」


 私は即答した。


 彼は少し考えるように顎へ手を添える。


「君が面白いから」


「……面白い?」


「うん」


「私は何もしていませんが」


「それが面白いんだよ」


「意味が分かりません」


 ルシアンが小さく笑った。


「君は僕を見るたびに、何かを考えている」


「……」


「まるで、僕のことを警戒しているみたいに」


「それは……」


 言葉に詰まる。


 実際、その通りだ。


 ゲームに存在しない人物。


 未来を知っている私にとって、彼ほど不確かな存在はいない。


「私はただ……」


「ただ?」


「殿下が、少し変わった方だと思っているだけです」


「それは褒め言葉?」


「分かりません」


「正直だね」


 また笑った。


 どうしてこの人は、こんなに楽しそうなのだろう。


 私が困っているのがそんなに面白いのだろうか。


「リヴィア」


 突然、アルベルトが口を挟んだ。


「施設の案内が始まる。こちらへ」


「はい」


 私はすぐにアルベルトの後ろへ向かった。


 これでいい。


 ルシアンから離れられる。


 そう思ったのに。


「リヴィア」


 また呼ばれた。


 振り返る。


 ルシアンがこちらを見ていた。


「何ですか?」


「その髪飾り」


 彼の視線が、私の髪に留まる。


 銀色の髪飾り。


 昨日からつけている、小さな薔薇の飾りだ。


「綺麗だね」


「……ありがとうございます」


「君によく似合ってる」


「…………」


 私は一瞬、何も言えなくなった。


 頬が熱くなる。


「そ、そういうことを簡単に言うものではありません」


「どうして?」


「どうしてって……」


 私は視線を逸らした。


「……誤解されますから」


「誰に?」


「誰って……」


 答えられない。


 ルシアンは少しだけ目を細めた。


 そして、楽しそうに笑った。


「なるほど」


「何がなるほどなんですか?」


「やっぱり、君は面白い」


「もう……!」


 私は小さく頬を膨らませた。


 その姿を見て、ルシアンがさらに笑う。


 私は慌てて前を向いた。


「……絶対に関わらないって決めたのに」


 小さな声で呟く。


 誰にも聞こえていないと思った。


 しかし。


「何か言った?」


 後ろからルシアンの声がする。


「何でもありません!」


 私は振り返らずに答えた。


 その日の帰り道。


 馬車の窓から夕暮れの王都を眺めながら、私は深く息を吐いた。


 ルシアン・ヴァルクレスト。


 彼はゲームには存在しない。


 だから、私は彼について何も知らない。


 どんな未来を迎えるのかも。


 何を望んでいるのかも。


 そして――。


 なぜ、私にあれほど興味を持っているのかも。


「……本当に、何なの?」


 夕陽に照らされた窓に、自分の顔が映る。


 灰金色の髪。


 青灰色の瞳。


 少し赤くなった頬。


「……まさか」


 私は慌てて首を振った。


「違う。これは絶対に違う」


 私は恋愛なんてしない。


 攻略対象にも近づかない。


 ヒロインの邪魔もしない。


 そして何より――。


「私は、破滅を回避するために生きるんだから」


 そう言い聞かせる。


 けれど、その言葉とは裏腹に。


 私の頭の中には、ルシアンの笑顔がいつまでも残っていた。

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