東の仙境へ続く扉
扉が、ゆっくりと開いていく。
その向こうから流れ込んできたのは、王城地下の冷たい空気とはまったく違う風だった。
甘い花の香り。
遠くで聞こえる水のせせらぎ。
そして、どこまでも続いているような青い空。
「……ここ、本当に王城の地下なの?」
エヴリンが驚いた声を漏らす。
誰も答えられなかった。
扉の向こうには、巨大な空間が広がっていた。
白い石で作られた橋が空中に伸び、その下には雲海が広がっている。
遠くには山々が浮かび、その頂には白い建物がいくつも建っていた。
その建築様式は、エルディアやヴァロリアとは明らかに異なっている。
曲線を描く屋根。
赤と金の装飾。
空へ伸びる細長い塔。
そして、巨大な龍の彫刻。
「……東の仙境」
ミレイアが呟いた。
彼女の声には、驚きと恐怖が混ざっていた。
「母の記録にあった場所と同じです」
リヴィアは一歩、扉へ近づいた。
「これが……本当に存在していたなんて」
「僕も初めて見る」
ルシアンが隣に立つ。
「ヴァロリアの記録では、東方には古代文明の遺跡が残されているとしか書かれていなかった」
「つまり……この場所そのものが隠されていた?」
「おそらくね」
リヴィアは扉の縁に刻まれた文字を見つめた。
古代文字の下に、見覚えのある文字が一つだけあった。
『世界』
そして、その隣に――。
『存在』
さらに、その下には――。
『選択』
「……また、この三つ」
リヴィアが呟く。
すると、ルシアンが手を伸ばした。
「行こう」
「……はい」
二人が同時に扉を越える。
その瞬間。
青い光が二人の身体を包み込んだ。
「きゃっ……!」
エヴリンが驚いて声を上げる。
アルベルトと騎士たちも続いて扉を抜ける。
最後にミレイアが足を踏み入れた。
全員が向こう側へ到着した瞬間――。
扉が静かに閉じた。
そして、音もなく消えていく。
「戻れなくなった……?」
アルベルトが振り返る。
そこには、扉があった場所に白い霧だけが残っていた。
「しばらくは戻れないかもしれません」
ミレイアが答える。
「母の記録では、仙境への門は『二つの鍵が揃ったときだけ開く』と書かれていました」
リヴィアは胸元の青い宝石を握った。
「……なら、戻る方法も二つの鍵に関係しているはずです」
「その可能性は高い」
ルシアンが頷いた。
そのとき。
遠くから鐘の音が響いた。
――ゴォォン。
一度。
二度。
三度。
そして、四度。
リヴィアの顔から血の気が引いた。
「……また、四つ」
アルカディア。
ヴァロリア。
そして、この場所。
すべてで第四の鐘が鳴っている。
「第四の鐘は、何を意味しているんでしょう」
エヴリンが不安そうに尋ねる。
リヴィアが答えようとした、その瞬間だった。
空から何かが降りてきた。
巨大な影。
風圧で木々が大きく揺れる。
「全員、下がって!」
ルシアンが叫ぶ。
リヴィアの前に立ち、剣を抜いた。
次の瞬間。
金色の鱗を持つ巨大な龍が、白い橋の先へ舞い降りた。
大地が震える。
龍の瞳は、黄金色に輝いていた。
「……龍」
エヴリンが息を呑む。
アルベルトも剣を抜く。
しかし、リヴィアは動かなかった。
龍の視線が、まっすぐ自分へ向いていたからだ。
「……私を見ている?」
龍はゆっくりと頭を下げた。
そして――。
人間の言葉で語り始めた。
『ようやく来たか』
全員が凍りついた。
『運命を拒んだ者よ』
リヴィアの胸元の宝石が輝く。
龍の視線がルシアンへ移った。
『そして、存在しなかった王子よ』
ルシアンの表情が変わる。
「……また、その呼び方か」
『お前は三百年前の記録を越えて、再びこの場所へ辿り着いた』
「僕を知っているのか?」
『正確には、お前自身ではない』
龍は静かに目を細めた。
『お前と同じ魂の響きを持つ者を知っている』
リヴィアは息を呑む。
三百年前の青年。
セラが待ち続けていた人物。
やはり、すべてが繋がっている。
「では、教えてください」
リヴィアは龍を見上げた。
「三百年前、何が起きたんですか?」
龍はすぐには答えなかった。
しばらくして、低い声で言う。
『世界が一つにされようとした』
『未来を記録し、可能性を選別し、不要とされた未来を消す計画だった』
「……組織の目的」
ミレイアが呟く。
『そうだ』
龍は続けた。
『しかし、一人の異世界人と、一人の王族がそれに抗った』
リヴィアの心臓が跳ねる。
『その二人の選択によって、世界の修正は失敗した』
「その王族が……三百年前の、ルシアン殿下と同じ魂を持つ人?」
『そうだ』
ルシアンは拳を握った。
「その人は……どうなった?」
龍の黄金の瞳が、悲しげに揺れる。
『消えた』
「……!」
『世界の記録からも、人々の記憶からも』
『だが、その魂だけは完全には消えなかった』
リヴィアはルシアンを見る。
彼は黙っていた。
やがて、龍がリヴィアへ視線を戻す。
『そして、お前もまた三百年前とは異なる形で、この世界へ現れた』
「私も……?」
『お前の魂は、この世界の未来に何度も干渉している』
「何度も……」
『だから、お前は鍵なのだ』
リヴィアの手の中で、青い宝石が強く輝いた。
『そして王子もまた鍵』
龍は二人を交互に見る。
『二つの鍵が揃った今、東の仙境に眠る最後の記録が目覚める』
その言葉と同時に。
遠くの白い宮殿から、巨大な光の柱が空へ伸びた。
地面が震える。
空に無数の魔法文字が浮かび上がる。
その中心には――。
『最終記録』
という文字。
リヴィアは息を呑んだ。
「……最後の記録」
すると、宮殿の奥から声が響いた。
女性の声。
以前、映像の中で聞いた声と同じだった。
『ようこそ、二つの鍵を持つ者たち』
リヴィアは顔を上げる。
宮殿の最上階。
そこに、一人の女性が立っていた。
長い黒髪。
白い衣。
そして――黄金色の瞳。
女性は静かに二人を見つめる。
『あなたたちが来るのを、三百年待っていた』
リヴィアの背筋に、冷たいものが走った。
三百年。
その言葉は、あまりにも長い時間だった。
そして女性は、最後にこう告げた。
『リヴィア・アーデント』
『ルシアン・ヴァルクレスト』
『あなたたちには、知らなければならない真実がある』
宮殿の扉が、ゆっくりと開いた。




