東の仙境からの呼び声
ヴァロリア王国へ向かう街道を、馬車は再び走り始めていた。
先ほどまでの戦闘が嘘のように、周囲には静けさが戻っている。
しかし、馬車の中にいる誰一人として、先ほど見た光景を忘れることはできなかった。
特にリヴィアは、両手を膝の上で強く握りしめていた。
脳裏に焼きついているのは、ミレイアのペンダントが映し出した光景。
白い宮殿。
見たこともないほど広大な庭園。
その奥に立っていた、白い衣をまとった女性。
そして――黄金色の瞳。
『ようやく、鍵が二つ揃った』
あの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
「……東の仙境」
リヴィアが小さく呟くと、向かいに座っていたルシアンが顔を上げた。
「気になっている?」
「……はい」
リヴィアは少し迷ってから頷いた。
「ミレイアさんのお母様が研究していた『世界の可能性』。それと、あの映像……偶然とは思えません」
「僕もそう思う」
ルシアンは窓の外へ視線を向けた。
夕暮れの空が、馬車の窓から細長く見えている。
「ただ、一つ気になることがある」
「何でしょう?」
「『二つの鍵』という言葉だ」
その瞬間、リヴィアの指がぴくりと動いた。
「……私も、それが気になっています」
すると、隣に座っていたミレイアが静かに口を開いた。
「母は、昔から『二つの鍵』という言葉を口にしていました」
「え?」
リヴィアとルシアンが同時にミレイアを見る。
ミレイアは胸元のペンダントを握った。
銀色の装飾が、馬車の揺れに合わせて小さく揺れる。
「母が研究所を逃げ出す直前、私にこう言ったんです」
ミレイアは少しだけ俯いた。
「『もし青い瞳の王子と、青い宝石を持つ少女に出会ったら、その二人をヴァロリアへ導きなさい』と」
リヴィアの心臓が大きく跳ねた。
思わずルシアンを見る。
彼もまた、驚いた表情を浮かべていた。
「……青い瞳の王子」
ミレイアの視線がルシアンへ向く。
「あなたのことです」
「そして、青い宝石を持つ少女……」
リヴィアは自分の胸元に視線を落とした。
ドレスの内側。
そこには、アルカディアで手に入れた青い宝石がある。
「……私」
「はい」
ミレイアは頷いた。
「母が言っていた二つの鍵が、あなたたちなのかもしれません」
車内に沈黙が落ちた。
リヴィアは無意識に宝石を握りしめる。
すると――。
淡い青い光が、指の隙間から漏れた。
「っ……!」
突然、ルシアンの胸元にある王家の紋章が淡く光った。
二つの光が互いに呼応するように、馬車の中を照らしていく。
「これは……」
アルベルトが前方の座席から振り返った。
「また魔力反応か?」
「違います」
ミレイアが立ち上がった。
「この反応……母の研究記録にあったものと同じです」
青い光が一つに重なった。
次の瞬間。
馬車の中に、再びあの映像が浮かび上がった。
白い宮殿。
広大な湖。
空を舞う金色の龍。
そして、その宮殿の階段に立つ、先ほどの女性。
黄金色の瞳が、まっすぐこちらを見つめている。
『鍵を持つ者よ』
声が響いた。
リヴィアは息を呑んだ。
『西の世界で生まれた運命を捨て、別の未来を選んだ者よ』
「……私のこと?」
女性は答えない。
ただ、黄金の瞳がリヴィアを見つめている。
『そして――』
視線がルシアンへ移った。
『存在しなかったはずの王子よ』
ルシアンの表情から笑みが消えた。
「……僕が?」
『あなたが存在したことで、世界の記録はすでに変わった』
その言葉と同時に、映像の奥に無数の光が現れた。
一つ一つが、別々の世界。
別々の未来。
そこには、異なる姿のリヴィアがいた。
笑っているリヴィア。
泣いているリヴィア。
誰かと手を繋いでいるリヴィア。
そして――ルシアンのいない世界。
リヴィアの胸が締めつけられた。
「……やめて」
映像の中で、ルシアンの姿が消える。
「やめて……!」
リヴィアは思わず立ち上がった。
その瞬間、映像が途切れた。
青い光が消え、馬車の中には静寂だけが残った。
「リヴィア」
ルシアンの声がした。
彼の手が、そっとリヴィアの手首に触れる。
「僕はここにいる」
「……殿下」
「だから、そんな顔をしないで」
優しい声だった。
けれど、リヴィアは返事ができなかった。
自分でも気づかないうちに、目元が熱くなっていた。
「……怖かったんです」
小さな声が漏れる。
「また、誰かに未来を決められるのかと思って……」
ルシアンはしばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「なら、決めさせなければいい」
「え……?」
「僕たちの未来を、僕たち以外の誰かに決めさせる必要はない」
ルシアンはまっすぐリヴィアを見つめた。
深い青の瞳には、迷いがなかった。
「リヴィア。僕は、自分が存在しなかったことになっても構わないとは思っていない」
「……」
「だから、自分の未来は自分で選ぶ」
その言葉に、リヴィアの胸が熱くなる。
けれど同時に、頬まで熱くなってしまった。
「そ、それは……」
「うん?」
「……ずるいです」
「何が?」
「そんなことを真顔で言われたら……反応に困ります」
ルシアンが小さく笑った。
「困っている君を見るのは、嫌いじゃないけどね」
「……殿下!」
リヴィアが頬を膨らませる。
その様子を見ていたミレイアが、初めて小さく笑った。
「……なるほど」
「何がですか?」
「母が二つの鍵を探していた理由が、少し分かった気がします」
ミレイアは窓の外を見た。
遠くに、巨大な城壁が見え始めていた。
夕暮れの空を背景に、無数の尖塔がそびえている。
ヴァロリア王国の王都だった。
「もうすぐです」
ミレイアが呟く。
「ここから先は、母が残した研究記録があります」
リヴィアは窓の外を見つめた。
ついに、ヴァロリアへ到着する。
そこには、ルシアンの過去がある。
そして――三百年前の出来事を知る手掛かりも。
だが、王都の上空には。
誰にも見えないはずの黒い影が、静かに浮かんでいた。
その中央には、あの黒い王冠の紋章が刻まれている。
『二つの鍵が揃った』
低い声が響く。
『ならば、次は扉を開けるだけだ』
黒い影は、ゆっくりと王都へ降りていった。




