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銀竜が見た未来

 森が静まり返っていた。


 木々の間から差し込む光さえ、巨大な銀色の竜を前にして凍りついたように感じられる。


 その翼は、広げれば森全体を覆ってしまいそうなほど大きかった。


 銀色の鱗は陽光を反射し、まるで無数の鏡のように輝いている。


 そして何よりも。


 その瞳。


 深い青色の瞳が、真っ直ぐリヴィアを見つめていた。


「……竜」


 リヴィアの口から、震えた声が漏れる。


 前世で何度も見たゲームの中にも、竜は登場した。


 けれど、それはあくまでゲームの演出だった。


 画面の中に描かれた存在。


 今、目の前にいるものとは違う。


 この竜には、圧倒的な存在感があった。


 呼吸するたびに空気が震える。


 翼がわずかに動くだけで、木々の葉が一斉に揺れる。


「リヴィア」


 ルシアンが低い声で呼ぶ。


「俺の後ろへ」


「はい……」


 リヴィアは一歩後ろへ下がった。


 しかし、竜はルシアンを見なかった。


 ずっとリヴィアだけを見ている。


「……どうして」


 リヴィアの指先が震える。


「私を見ているんですか?」


 竜はしばらく沈黙していた。


 やがて、巨大な頭を少しだけ下げた。


「お前が、あの門を通った者だからだ」


 低い声。


 その声は耳で聞くというより、身体全体に響いてくるようだった。


「私を……知っているんですか?」


「知っている」


「どうして?」


「お前の存在は、この世界に何度も記録されている」


 リヴィアは息を呑む。


「何度も……?」


「そうだ」


 竜の瞳が細くなる。


「だが、そのたびに結末は異なっていた」


 リヴィアは眉を寄せた。


「結末……?」


「お前は何度も選び、何度も失った」


 胸の奥が冷たくなる。


「私は……そんな記憶ありません」


「当然だ」


 竜は答える。


「今のお前は、一度目の人生しか覚えていない」


「一度目……?」


 リヴィアの呼吸が止まる。


 ルシアンも驚いたように竜を見る。


「どういう意味だ?」


「この少女は、一度だけ生まれ変わったのではない」


 竜は静かに告げた。


「世界が繰り返されるたび、異なる形で現れている」


「……」


 リヴィアの頭の中が真っ白になる。


「それじゃあ、私は……」


「お前は、お前だ」


 竜が言う。


「だが、世界にはお前と似た選択をした者が何度も存在した」


「……」


 リヴィアは胸元を握った。


 前世の自分。


 神谷紗月。


 そして今の自分。


 リヴィア・アーデント。


 その二つだけだと思っていた。


 しかし、さらにその前にも。


 自分と同じような存在がいたのだろうか。


「それが……三百年前の少女?」


 セラが呟いた。


 竜がセラを見る。


「そうだ」


「……!」


 セラの顔が強張る。


「あなたは、あの時代を知っているの?」


「知っている」


「なら、教えて」


 セラが一歩前へ出る。


「三百年前、私は何をした?」


 竜はしばらくセラを見つめた。


「お前は門を閉じた」


「それだけ?」


「違う」


 竜の声が低くなる。


「お前は、自分自身を門の中に封じた」


「……!」


 リヴィアがセラを見る。


「セラ……」


「私は……自分を?」


「世界を守るためだった」


 竜は続ける。


「だが、お前は一人ではなかった」


「もう一人……?」


「そう」


 リヴィアの脳裏に、先ほどの言葉が蘇る。


 門を通った時にいた、もう一人。


「その人は誰?」


 リヴィアが尋ねる。


 竜は答えなかった。


 その代わり、視線をルシアンへ向ける。


 ルシアンの表情が変わった。


「……俺が関係しているのか?」


「お前は、三百年前には存在していなかった」


「なら――」


「だが」


 竜が言葉を続ける。


「お前と同じ魂の波長を持つ者は、あの時代に存在していた」


 ルシアンが黙った。


 リヴィアの胸がざわつく。


「同じ魂……」


 その言葉を口にした瞬間。


 頭の奥で、また何かが弾けた。


 見覚えのない光景。


 古い王城。


 燃える街。


 セラ。


 そして――。


 誰かがセラの手を握っている。


 顔は見えない。


 けれど、その人の髪は黒に近い青色だった。


「……!」


 リヴィアは頭を押さえた。


「リヴィア!」


 ルシアンがすぐに近づく。


「大丈夫か?」


「……今、何か見えました」


「何を?」


「分かりません」


 息が苦しい。


 知らない記憶。


 知らない光景。


 それなのに、なぜか懐かしい。


「黒い髪……」


 リヴィアが呟く。


「殿下と同じ色でした」


 ルシアンの瞳が揺れる。


 セラも驚いている。


「……まさか」


「セラ?」


「その人の顔は?」


「見えませんでした」


「何か言っていた?」


「……」


 リヴィアは目を閉じる。


 遠い記憶のようなものが浮かぶ。


 声。


 低くて優しい声。


『必ず戻る』


 その言葉が聞こえた。


「……必ず戻る」


 リヴィアが呟く。


 ルシアンが息を呑む。


「それは……」


「分かりません」


 リヴィアは首を振った。


 竜は二人を見つめていた。


「記憶が繋がり始めたか」


「記憶が……?」


 リヴィアが竜を見る。


「私に、三百年前の記憶があるんですか?」


「まだ記憶ではない」


「では?」


「残響だ」


 竜が答える。


「世界に残った過去の痕跡が、お前の魂に触れている」


「どうして私に?」


「お前が門を通ったからだ」


 竜の瞳が再び輝く。


「そして、お前が選択をしたから」


「……」


 リヴィアは、地下で表示された文字を思い出す。


『戻る』


『進む』


 自分は『進む』を選んだ。


 その結果、この場所へ来た。


「私の選択が、過去を呼び起こしている?」


「そうではない」


 竜は静かに否定する。


「お前の選択によって、未来と過去の境界が薄くなった」


 リヴィアは言葉を失った。


 つまり。


 自分が選んだことで、この世界の時間そのものが変化し始めている。


「では、あの組織は……」


 ルシアンが尋ねる。


「何を望んでいる?」


 竜の表情が険しくなる。


「あれらは、世界を一つにしようとしている」


「世界を一つに?」


「複数存在する可能性を、一つに統合するつもりだ」


 リヴィアは眉を寄せる。


「それをすると、どうなるんですか?」


「一つの未来だけが残る」


「……」


「それ以外の可能性は、すべて消える」


 リヴィアの背筋が冷たくなる。


 ゲームのシナリオ。


 決められた未来。


 攻略対象。


 ヒロイン。


 悪役令嬢。


 それらが一つの物語として固定される。


 もし組織がそれを望んでいるのなら。


 自分が知っている『ゲーム』こそが、その完成形なのかもしれない。


「だから、私を狙っている……」


「そうだ」


 竜は頷いた。


「お前は、可能性を増やす存在」


「私が?」


「お前は未来を選ぶたび、新しい道を生み出す」


 竜の瞳がルシアンへ向く。


「そして、お前が彼を選んだことで――」


 リヴィアの心臓が大きく鳴った。


「彼という存在も、この世界に強く固定され始めた」


「……私が、殿下を?」


「そうだ」


 ルシアンはしばらく黙っていた。


 そして、リヴィアを見る。


「なら」


 静かな声だった。


「俺は君に感謝しなければならないな」


「え?」


「君が俺を選んだことで、俺がここにいるのなら」


 ルシアンは少しだけ笑う。


「俺は、君の選択を後悔しない」


「……」


 リヴィアの顔が熱くなる。


「そ、そういう意味で選んだわけでは……」


「分かっている」


「本当に?」


「ああ」


 ルシアンの笑みが少し深くなる。


「だが、嬉しい」


「……殿下」


 リヴィアは視線を逸らした。


 今はそんなことを考えている場合ではない。


 そう思っているのに。


 胸の鼓動だけは、なかなか静まらなかった。


 その時。


 森の奥から、低い轟音が響いた。


 竜が空を見上げる。


「来た」


「誰が?」


 セラが尋ねる。


「世界を固定しようとする者たちだ」


 森の上空に、黒い魔法陣が次々と現れる。


 その数は、十。


 二十。


 それ以上。


 リヴィアの表情が強張った。


「こんなに……」


「逃げるぞ」


 ルシアンが言う。


「どこへ?」


 竜が巨大な翼を広げた。


 風圧で草原が大きく揺れる。


「私の背に乗れ」


「え?」


 リヴィアが目を丸くする。


「王都へ戻る」


「竜に乗って?」


「歩いている時間はない」


 ルシアンが先に竜の背へ飛び乗る。


 そして、リヴィアへ手を伸ばした。


「来い」


「……はい!」


 リヴィアはその手を取った。


 強く引かれ、竜の背へ乗る。


 セラも続く。


「しっかり掴まれ」


 ルシアンが言う。


「どこを?」


「俺を」


「……!」


 リヴィアの顔が赤くなる。


「それしかないんですか?」


「落ちたくなければな」


「……分かりました」


 リヴィアは恐る恐るルシアンの腰へ腕を回した。


 近い。


 あまりにも近い。


 けれど、今は気にしている場合ではない。


「飛ぶぞ」


 竜が翼を広げる。


 次の瞬間。


 巨大な身体が空へ舞い上がった。


 風が激しく顔へ当たる。


 リヴィアは目を細めながら、ルシアンにしがみついた。


 眼下に森が広がる。


 遠くには、アルカディア王都。


 そして、その空を覆う黒い魔法陣。


「……あれ」


 リヴィアは一つの魔法陣を見つけた。


 その中央に、人影が立っている。


 黒い衣装。


 銀色の髪。


 そして――。


 その手には、黒い王冠。


「王城で見た人……」


 リヴィアが呟く。


 黒い影がこちらを見上げた。


 遠く離れているはずなのに。


 なぜか、その目がはっきりと見えた。


 影が口を動かす。


『次は、あなたが選ぶ番だ』


 声は聞こえなかった。


 それでも、リヴィアには確かにそう言われた気がした。


 竜は王都へ向かって飛び続ける。


 リヴィアはその影を見つめながら、強く拳を握った。


 自分の未来を選ぶ。


 その覚悟は、もうできている。


 けれど――。


 もし自分の選択によって、ルシアンの存在まで変わってしまうのなら。


 次に選ぶ時。


 自分は、本当に迷わずにいられるのだろうか。


 答えは、まだ出なかった。

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