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サレ妻イングリットの復讐:浮気夫を殺す完璧な計画

作者: maricaみかん

 今日も私は、最高の妻としての活動をする。今から出かける夫を見送るために、玄関まで着いていくところよ。

 ピンと張った服を着た夫は、私の準備した最高の格好をしている。寸分の狂いもないわ。香水も、しっかりと整えたもの。柑橘系の、ほんのわずかな香り。

 ドアを開けた夫を、華やぐような笑顔で見送るわ。


「いってらっしゃい、あなた。では、また。今日はビーフシチューを作っておきますね」

「ああ。楽しみにしているよ、イングリット」


 夫の頬に手を添えて、そっとキスをする。いつも通りの流れね。

 馬車に乗って、夫は職人ギルドまで向かっていく。私はチリひとつ残らないように掃除をして、残りの時間で手土産を持って挨拶回りをする。とても、大切なことよ。


 それらを終えたら、ビーフシチューを含めた夕食を作る。スプーン一杯のズレもない品を。帰ってきた夫を、完璧に出迎えるために。

 ちょっと早くて重い足音が聞こえたら、玄関まで向かう。

 扉を開くと、その先に夫がいた。抱きついて、またそっとキスをする。


 やや頬のこけた夫は、すぐにくたびれたシワだらけの服を脱ぎ散らかした。

 作っておいた夕食を食べ、服を洗濯して、残りの作業を終える。そしてふたりの寝室へ向かったわ。


「今日も、お願いしますね。三人くらいを目指して、頑張りましょう」


 夫はすぐに頷いて、私はふたりでの夜を過ごした。最高の技術で、とろけさせて。

 そんな日々が壊れたのは、夜の夫が、甘ったるい匂いをさせていた瞬間から。

 明らかにおかしい。朝にはしっかりと、私の用意した爽やかな香りだったのに。完全に、乱れている。


 違和感を覚えた私は、次の日には近所の人に聞き込みをして回ったの。そうしたら、有力な情報を得ることになったわ。


「あなたには言いづらかったんだけど……。実は、連れ込み宿に女の人といる姿を見たことがあって……」


 眉を困らせた顔からは、心からの心配が見える。香水の香りとも符合するわ。

 つまり、答えはひとつよ。私は、悲しげな様子で目を伏せた。


 私は浮気された。それはつまり、私が足りない妻だったと判断されるということよ。

 完璧な良妻賢母であるのなら、愛されて当然。つまり、私の理想とした良妻賢母など、どこにもいないの。

 私は、役割を正しく果たしてきたわ。けれど、夫は違うようね。


 なら、いらない。夫も、子供も、未来も、なにもかも。私の求めるものなど、どこにもないのだもの。


 更に調査を進めると、浮気相手は複数だと判明した。私がつかんだだけでも、両手の指を超える。つまり、彼は私を愛する妻とは思っていなかったということ。

 私は、ただ家事や近所付き合いをしてきただけではないわ。金銭的な援助もしていた。

 夫がギルドの幹部になれるように、相応の資金を注ぎ込んできたの。結婚するまでに稼いだ、半分ほども。

 だというのに、夫は私を顧みない。なにせ、他の女との逢瀬の直後に私を求める始末。


 なら、私のやるべきことは決まっているわ。復讐よ。私の未来を、理想を、人生を壊した夫に、相応の報いを。

 どうすれば、完璧な復讐ができるのでしょう。帰ってきた夫を刺し殺すことはできるわ。けれど、それで良いの? ただ哀れな女で終わるだけではないの? 浮気された女としてだけ生きるなんて、許されないわ。


 だったらいっそ、もっと劇的に。本気の復讐を。なら、もっと大掛かりでなくてはならないわ。限界まで突き抜けて、残酷な死を。


 確か、このあたりに根付くマフィアが居たわ。クロードファミリーだったかしら。それに、夫を殺させるのはどうでしょう。

 おそらく、私は凌辱の果てに死ぬ。マフィアを利用した罪で。代わりに、夫だって相応の末路を迎える。悪くないわ。


 どうせ、理想の未来など訪れることはないもの。誰が、浮気された哀れな女を理想の妻とするというのでしょう。再婚したところで、私の願いは叶わない。

 なら、この命を惜しむことはないのよ。全身全霊をかけて、復讐を成し遂げてみせるわ。


 そうね。まずはクロードファミリーを調査しましょう。確か、領主の父が殺されたとか。なら、夫を地獄に送ることくらい簡単なはずよ。そうね。何か、逆鱗を探り当てることができたなら。それに夫を触れさせることができれば、復讐は叶うわ。

 雨音をわずらわしく感じながら、私は計画を練り始めたの。


 その日の夜は、夫に抱かれながら策を考えていた。いつも通りに、完璧な快感を与えつつ。


 ギルドへのツテ、近所付き合い、個人的な関係の相手。それらすべてを駆使して、調査を進める。最終的に、探偵を利用することに決めた。まずは、ギルド職員が教えてくれた娘と会ってから。


 話をした探偵は、眉をひそめていたわ。


「悪いことは言わねえ。やめときな。クロードファミリーに手を出したら、やけどするぜ」


 そこで私は、探偵の娘からの手紙を出したわ。彼女が身に着けていたリボンと一緒に。にっこりと、微笑んで。内容は、依頼を絶対に断ってはダメとだけ。探偵は取り出して読んでいく。うなだれて、何度も頷いていたわ。


 領主トラバントは、少なくとも表向きには真っ当な領主としての治世を行っている。領民の視察も定期的に実行し、民の声を直接聞く様子。そして、次の視察がいつかも分かった。


 クロードファミリーのドンは、娘を溺愛しているらしい。箱入り娘で、男慣れもしていないのだとか。複数の女と浮気するような夫となら、逆に効果的かもしれない。


 他にも様々なことを調べたけれど、主に2つの情報を軸に策を練ったわ。


 そして、私は領主が視察するタイミングで会いに向かう。それなりに劇的で、同時に私の苦痛を知らしめる方法で。

 といっても、単純なものなのだけれど。巡回している領主の馬車にひかれたフリをする。それだけ。


 領主がどう動くかは、よく調べたわ。関係各所に布告されていたから、そこを起点として。最高のタイミングを、選んだわ。

 私は、領民に手を振る領主に気付かないフリをして、ふらふらと歩いていったの。そして、馬車に当たったという様子で吹き飛んでいく。あざが残るくらいに、勢い良く。


 当然のように、領主は飛び出してきたわ。民を思う領主だというのなら、当たり前よね。

 そして私は、苦しげな顔で領主に抱き起こされていったの。少しだけ、かすれた声を出しながら。


「大丈夫ですか? ああ、傷になっていますね。治療の手配をしましょう」


 私の傷を、眉をハの字にして心配そうに見ている。そのまま、領主はその場にいる配下に指示を出していく。私は、領主の馬車に連れられることになった。

 対面した領主は、まだ若い。ただ、堂々としているのが分かる。燕尾服をぴしりと着こなしていたわ。穏やかな顔をした、人相の良い存在。見た目だけなら、そんなところだった。


 私は、うつむいて引き裂かれたような声を出していく。まるで、悲劇の渦中にあるという顔で。


「す、すみません……。領主様に、ご迷惑をおかけしてしまって……」

「馬車にぶつかるほど、考え事をしていたのでしょう。良ければ、聞かせていただけませんか?」


 予定通りに、進んだ。私は目を揺らしながら、うつむいて話を始める。


「ありがとうございました。実は、夫に浮気されたことを考えていたら、あんまり前を見ることができなくて……」

「それは、大変でしたね。暖かいものでも飲んで、落ち着いてください」


 領主はそう言い、指を鳴らす。すると、執事らしき男から紅茶を渡された。準備が良い。感心しながら、私はゆっくりと紅茶を飲んでいく。温かさに顔をほころばせる演技をしながら。

 飲み終えて、もう一度うつむく。視線をさまよわせて、それから決意を秘めた顔で領主に話しかける。必死の勇気を出しているように、まっすぐに目を合わせて。


「私と、ふたりで話をしていただけませんか? 疑わしいというのなら、私の全てをお見せしましょう。どこなりとも、ご自由に」


 私の言葉を受けて、領主の顔が変わった。好青年風の顔から、一気に唇を釣り上げている。私を値踏みするように、じっと見ていた。


「目を見れば分かる。本気で、さらけ出す気だな? くくっ、面白い女だ。商売女って風情でもないのにな」


 声色も、変わっている。口調も。おそらく、これが領主の本性。つまり、順調に進んでいるということ。

 私はまっすぐに領主の目を見つめ続けて、頷いた。結果として、屋敷に誘われることには成功した。

 ふたりきりとなった部屋は、執務室といった風情。豪華なシャンデリアを吊るされて、壁紙も派手。けれど、机は機能的で頑丈そう。ただし、作業に関係ない部分、つまり座って手の届かないところには装飾がある。飾り気と運用の中間点に見えたわ。

 おそらく、領主としての見栄は表向き。本質的には、合理性を尊ぶのでしょう。


 領主の性格を推測しながら、私は本題に入っていく。夫への復讐を、確実に果たすために。


「あなたは、父を殺された。ただ、機嫌を損ねたという理由だけで。私の夫にドンの娘を辱められれば、良い復讐になるはずです」

「くくっ、よく調べているねえ。俺たちが敵対していると見込んだわけか」

「お願いします! 私は殺されても良い! なんとしても、成し遂げたいんです!」


 私は全身を震わせながら、頭を下げる。一瞬待って、土下座にまで移行する。領主は、上から下まで私をながめていたわ。私を測るかのように。

 しばらくして、領主は私を起き上がらせる。楽しげな笑みを浮かべて、私を見ていたわ。


「領主をあごで使って、マフィアを踊らせようとはな。気に入ったよ」

「あなただって、何をしてでも復讐したい気持ちは分かるでしょう?」

「そうだな。俺の父が死ぬ時に、よく分かったよ」

「でしたら、私達は手を取り合えるはずです。領主様は、私を生贄に差し出せば良いのです」


 領主は少し黙り込む。それから少しして、目を細めて私を見てきた。少しだけ、興味深そうに。


「良い覚悟だねえ。さて。どうやって、お前の夫と出会わせるつもりだ?」

「ドンの娘は、時々町中に出ていると聞きました。そこを狙いましょう」

「なるほどな。なら、お前はどこを狙う? 良い店なら、紹介状を書かせても良い。どうだ?」

「領主様も通っている酒場がありましたよね? 確か、止まり木の巣でしたか」

「くくっ、正解だ。流石だぜ、イングリット。見事なもんだ。素晴らしいとも」


 指を鳴らして、私に笑みを向けてくる。心底楽しくて仕方ないというように。なら、認められたのでしょう。悪くないわ。


「これで、協力してくれますよね。あなたの試練は、超えられたんですから」

「ああ。あそこは、ドンの娘の行きつけでな。それで、俺も目をつけていたのよ」

「ずいぶんと、ドンの娘について詳しいのですね。ずっと前から、知っていたなんて」

「クロードファミリーについては、一家言あってな。お前にとっても、都合が良いはずだぜ?」

「そうですね。おかげで、計画を進められそうです。領主様を選んで、良かった」

「お前は正解を引き当てた。幸運の女神様に愛されているねえ。なんて、悪い言い回しだがな」

「夫が死ぬというのなら、その幸運に感謝しましょう」

「ああ、夫は死ぬだろうぜ。豚の餌が可愛いもんだと思えるくらい、残酷にな」

「そして、私もですね。領主様は、私を生贄に差し出すのですから」

「マフィアの面目を潰したら、そいつの命も潰れるものさ。あっけなく、な」


 ハンカチを取り出して、領主はクシャリと握りつぶす。その姿が、未来の夫と私であるかのように。私は、迷わず頷いた。

 せめて、完璧な復讐を。それだけ果たせるのなら、死んでも構わないわ。


「では、夫に口説かせる準備が必要ですね。箱入り娘なら、そう難しくはないでしょうが」

「ドンの娘は、確かに箱入り娘さ。夢見がちと言って良い。お花畑がお似合いなのさ」


 そう言って、領主はまた笑っていた。ハンカチを戻すついでに、ポケットに手を突っ込んで。悪い男という雰囲気が、隠せていなかった。

 領主と、計画の詳細を詰めていく。十分に成功させられると、判断できたわ。


 そして、私は動き出す。一度家に帰って、まずは夫の帰りを待つ。

 夜になって結ばれ、その後。私は本題に入る。少しでも、隙ができる瞬間に。


「ねえ、あなた。いつも、疲れているでしょう? 良い店の無料券をもらったの。期日は決まっているけれど、どう?」


 もちろん、ドンの娘が通っている店。領主が用意した券。隣同士になれるように、店主に話を通してもらう予定よ。

 券を差し出すと、夫は顔に喜色を浮かべていたわ。


「ありがとう、イングリット。ここ、人気店らしいんだ。楽しみだよ」


 計画が順調に進んでいると確信しながら、私は夫にキスをしたわ。地獄への道行きとなるように。


 翌日。私は、先に料理屋に向かっていったわ。店主に部屋を借りて、領主の用意した変装をする。夫に気付かれず、計画を進めるために。

 日が傾きかけた頃、夫はやってくる。隣の席には、やや派手な格好をした女が座っていたわ。箱入り娘と聞いていたけれど、遊びたい年頃なのかしら。

 店主に目をやると、頷いている。ドンの娘で、間違いないみたいね。


 夫はうまく見とれている様子。この調子ならば、順調に進むでしょう。頭の軽い夫で、助かったわ。


「一杯、どうかな? この日の出会いに、乾杯したくてね」

「私の立場に興味を持ったのですか?……知らないのですね。じゃあ、付き合いましょう」


 夫はきょとんとした顔をしていて、だからドンの娘は受け入れたみたい。クロードファミリーの娘ともなれば、しがらみも多いのでしょう。

 だからこそ、酒が進んだ様子。夫は、彼女に愚痴をこぼしていた。


「どこもピカピカな家に、朝から決まった夕飯。疲れちゃう気持ちだって、あるんだよ」


 妻がいるだなんて言おうともせずに、そんなセリフを吐く始末。私がどれだけ手間をかけて掃除や料理をしていたか、知ろうともしない。

 こんな夫を選んだことが、間違いだったのかもしれないわ。でも、構わない。そう遠くないうちに、精算してみせるのだから。私は、横目で夫を見続けた。


 ドンの娘は、背中をさすりながら親身に聞いていた。何か、共感するところがあるかのように。


「分かります。決まった毎日を生きるのって、疲れますよね」


 頷きながら、言っていたわ。マフィアの娘なのだから、役割を求められる。それは確かでしょう。なら、夫の悩みはちょうど良かったのかもしれないわね。

 夫も頷き返す。それからは、せきを切ったかのようにお互いの話を続けていたわ。

 ひとまず、順調に進んだ様子。今後も関係を続けられるように、支えるだけよ。


 帰ってからは、夫と夜を過ごす。そんな夫は、私に要求を伝えてくる。


「あの店の無料券だけど……、他にも手に入ったりしないかな?」


 浮気の相談を本人にするとは、いい度胸ね。そう思ったけれど、私は笑顔で頷いた。ただ、計画を完璧にこなすために。


 用意した無料券で、ふたりは逢瀬を重ねていた。関係が深まる姿を、私はずっと見ていた。

 同じ店で会うのにも飽きたのか、別の場所にもふたりは出かける。領主からの情報のおかげで、なんとか追いかけられた。

 やはり、領主は妙に詳しい。けれど、計画にとっては都合が良いだけ。違和感を、私は意図的に無視したの。


 店の外では、手をつないで出かけている姿も見えた。ずっと話していて、お互い笑顔。夫は、私の前では見せない顔をしていた。


「この通りの先にある店に行こうか。それなりにお金はあるから、おごるよ」

「ふふっ、良いですね。あんまり、手が届かなかったんです」


 その先にある店は、せいぜいちょっと高いという程度の店。私なら、毎日でも通える程度。


 おかしい。ドンの娘であっても手が届かない店とは思えない。

 どういうこと? 私、あるいは領主は騙されているの? あごに手を当てて、考えようとする。

 けれど、代替の策はすべて潰れてしまう。領主のせいにするのも、店主とのやり取りを考えれば不可能。事前に代案を用意していないのは、失策だったわ。

 つまり、今の状況で手を打っても無駄。余計に事態を悪化させて終わり。分かりきっている。なら、領主に騙されている方に賭けましょう。


 残る可能性としては、この手で夫を殺すこと。最悪の場合には、実行しましょう。

 もう、私は全力で突き進むだけ。他に道はない。どうせ、最初から死ぬつもりだった。変わりはしないわ。


 ふたりを追いかけ続けていると、夜には連れ込み宿に入っていた。ふたりの関係は、とにかく順調に進んでいた。

 隣の部屋で聞き耳を立てると、甘い声が聞こえてきた。それを、ただ聞き続けていたわ。


 行為が終わり、ふたりは寝物語を話し出す。


「あなた、奥さんがいるんでしょう? 本当に、良かったの?」


 ドンの娘は、夫が妻帯者だと知っていたみたい。箱入り娘とは、笑わせる。やはり、情報と一致しない。

 けれど、もう他に道はない。ただ、当初の計画を進めるしかないの。


「イングリットには、僕なんて釣り合わないよ。あんなに、すごいんだから」

「なら、一緒にすべてを捨てる? この街から出て、新しい生活をする?」

「……そうだね。それが、良いのかもしれない」


 ふたりは、駆け落ちの準備をしているようだった。その情報を、私は領主のもとに持って帰ったわ。


「分かった。クロードファミリーは、問題ない。必要なところに、指示を出しておく」

「ドンの娘は、箱入り娘とは程遠かったです。本当に、問題ないんですか?」

「お前の夫は確実に死ぬ。それは、保証するさ」


 領主は、じっと私の目を見て、肩を叩いた。その言葉には、真実が込められているよう。同時に、含みも感じたけれど。おそらく、何かを知っている。

 つまり、クロードファミリーの策に引っかかったわけではない。領主の狙い通りというだけ。

 なら、構わない。夫が無惨に死ぬというのなら、私がどうなろうとも。

 だから、私は領主の手を取って微笑み返したの。


 約束された駆け落ちの日。私は、変装して夫を追いかけていったわ。その死に様を、この目で見るために。たとえ、クロードファミリーに殺されようとも。


 夫は、待ち合わせ場所の公園で立ち尽くしていた。少し、居心地が悪そうに。何か、周囲を気にしながら。

 しばらくして、ドンの娘もやってくる。どこか、みすぼらしい姿で。焦ったような顔で。

 ドンの娘は、夫の手を取るやいなや駆け出した。私は、早足で追いかけていく。


「ちょ、ちょっと……」

「しっ、急いで」


 明らかに、ドンの娘は急いでいた。何かある。それは間違いない。

 走りに追いつくためには、私も走らなければならない。けれど、公園から出たばかりでは目立って仕方がない。夫に気付かれることは、ほぼ確実。

 それを避けるために、なんとか引き離されないように着いていく。ふたりは、路地裏に進んでいた。


 遅れないように追いかけると、道が3つに分かれていた。どれかを探るために、耳をすませる。いくつもの足跡が聞こえる。

 私は、少し早くて思い足音が聞こえた方に向かう。結果が待っているところに。


 その先では、夫とドンの娘が何者かに追いかけられていた。複数いるみたい。

 もう、私が隠れる意味はない。そう直感して、全力で走る。息を切らすことも気にせずに。


 やがて、ふたりは行き止まりにたどり着く。追手たちは、鉄の棒を取り出していた。


「ま、待って。いったい、何が……」

「知る必要はない。そこにいる女ともども、消えてもらう」

「そう簡単に、終わると思わないで!」


 夫が困惑している間に、ドンの娘はナイフを持って追手に襲いかかる。その顔面に、鉄の棒が直撃した。

 血を吹き出して、ドンの娘は倒れていく。続いて、追手たちは夫にも殴りかかる。

 殴打音が何度も響き、夫はうめきながらのたうち回っている。血しぶきが舞い、段々と動きがにぶくなる。炎のゆらめきが消えるように。錆びた匂いが、届いてきたわ。

 やがて、悲鳴すら聞こえなくなった。最後まで、私は見続けた。夫が無様に死ぬ様を。


 夫も、ドンの娘も死んだ。なぜ、ドンの娘まで? 汚れたから、捨てられたの? 反抗したから? それとも、偽物だった?

 間違いなくクロードファミリーである追手は、こちらに向かってくる。

 今から、私に最後が訪れるはず。せめて優雅に死んでみせましょう。そう考えて微笑むと、手下たちは私のところを通り過ぎていった。


 いったいなぜ? わずかに希望を持たせて、後で絶望に叩き落とすため? でも、目撃者としても、彼の妻としても、いま殺さない理由はないはず。

 分からない。分からないまま、私は足を領主の屋敷に進めていった。答えが待っている。そんな予感とともに。


 私の姿を見た領主は、唇を釣り上げた。そして、拍手をする。


「おめでとうさん。お前の復讐は、達成できただろ?」

「はい……」

「お前を殺さないように、俺が指示していたのさ。手間だったんだぜ?」


 にやりと笑う領主。その顔を見て、彼が私を踊らせていたのだと理解できた。

 理由も詳細も、まだ分からない。ただ確実なのは、私を何かに利用したということ。

 私は何も分からない様子を装って、質問を続けていく。


「でも、あの人達はマフィアの……」

「分かっているだろう? 答えは、単純明快そのものさ」


 要は、とても簡単。クロードファミリーと領主トラバントは、最初からつながっていた。それだけ。

 私の調査は、間違っていた。民衆には、徹底的に情報操作されていた。


 領主は、とても機嫌が良さそう。なら、問答を続けていきましょう。


「つまり、ドンの娘も……?」

「ああ。どうも、役者じゃなかったみたいでね。裏切りの兆候が見えていたのさ」

「だから、白黒はっきりさせたかった。そこに、私が現れた」

「ああ。天の配剤だと思ったもんだぜ。なんともまあ、都合の良いことだってな」


 指を鳴らしながら、領主は獣のような笑みを浮かべる。私という存在が、ドンの娘を彩る舞台に必要な最後のピースだったということ。

 お互いにとって、都合が良かったのでしょう。


「私の夫を使えば、ドンの娘を試せるから……」

「そしてあいつは、お前の夫と逃げようとした。分かるだろ?」

「ドンの娘は、黒だったということ」

「正確には、影武者だがな。顔が似ていたから雇われただけの、安い女さ」

「そう、だから……」


 ドンの娘に関係する情報が一致しなかった。領主は気にせず行動していた。最初から最後まで、領主の計画通りだったということ。

 領民には穏やかな顔を向けておいて、とんでもない怪物だわ。


「くくっ、箱入り娘がやけに積極的だとは思っていただろう? だが、必要だから見逃していた。そうだろ、イングリット」

「それは……」

「答えは、この通りさ。最初から、偽物だったというわけだ。見事なもんだろ?」


 楽しくて仕方ないというように笑って、こちらを見ている。自慢げな顔とは、このことかしら。

 まさか、ここまで完璧に騙されるなんて。思っていた以上の役者だったみたい。でも、悪くないわ。死んでもいいとは思っていたけれど、死なずに済むに越したことはないもの。

 ひとまずは、私の命を救ったということにしておきましょう。


「それなら、あなたの父親が殺されたのも……」

「ああ。そもそも、俺が依頼を出したのさ。改革案を出していたら、廃嫡されそうになってね。困ったものだぜ、まったく」


 薄く笑いながら、軽く語っている。おそらく、廃嫡だけが原因ではない。父を殺された悲劇の息子を演じることもできる。マフィアとの敵対関係も、自然とアピールできる。共謀は、隠されていく。

 本当に、よくできた策。だからこそ、分からないことがある。


「なら、どうして私を……」

「殺さなかったのか、か。惜しいからさ。お前の才能は、ただの主婦じゃあり得ねえ。素人としては、完璧だったぜ?」

「そう、なんですね……」

「領主もマフィアも利用しようとする度胸。弱みを遠慮なく利用する冷徹さ。そして正解を掴みとる運。掘り出し物なんてもんじゃねえのよ」

「つまり、あなたは……」

「ああ。なあ、イングリット。俺のもとで、その才を振るわねえか? お前なら、天下一にもなれるだろうぜ」


 そう言って、領主は笑いながら手を差し出してきたわ。 領主もマフィアも、私が立てた計画を知っている。もう、普通の幸福は手に入らない。なら、望み通りにしても良い。

 実際、私の計画は悪くなかったはずよ。磨き続ければ、もっと高度な計画を実現することもできる。 私は領主の手を握って、できる限りの笑顔を浮かべた。


「分かりました。お話、受けようと思います」

「そうか。今後とも、よろしく頼むぞ。お前の手で、大勢を踊らせてみたくないか?」


 私は、領主とマフィアの間でバランスを取る役割を求められている。 私の策は成功したけれど、踊らされてもいた。次は私が踊らせてみせるわ。領主も、マフィアも。

 良妻賢母ではなくなるけれど、理想の秘書として生きることはできる。領主を立てる、完璧な存在として。悪くない。きっと、誰よりも輝けるはず。


 さあ、次は誰を殺しましょう?

 サレ妻イングリットの復讐、楽しんでいただけたでしょうか。


 私の中では、多くの挑戦を盛り込んだ作品として書かせていただきました。

 挑戦が成功しているかを知りたいので、どのように感じたかを感想として教えてくださると嬉しいです。

 イングリットに共感できたか、あるいはどのような人間に見えたか、また、夫や領主についてはどうかなど、思いついたことを聞かせてください。

 読み手の数だけ正解はあると思いますので、色々な感想や解釈があると助かります。


 ぜひとも、よろしくお願いします。

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