料理長 x 見習い 2
料理長の顔が鬼のように真っ赤に染まり、怒りに歪んだままゆっくりと持ち上がる。
「あなたは、誰よりも『食うことの苦しさ』を知っている人でしょう? あの貧しい村で、汁を捨ててでも腹を満たすしかなかった日々を……。 それでも、誰かの『美味しかった』という一言で救われた日々を」
私は一歩、前に出た。
「私も、似たような世界から来ました。 食べ物が溢れてるのに、みんな病気になってる世界です。 甘すぎるもの、辛すぎるもの、油っこすぎるもの……。 それを『美味い』って言ってくれる人がいるからって、ずっと出し続けてる世界」
マーブル料理長の瞳が初めて揺れた。
「あなたはもう、誰かの『美味しかった』で救われる必要なんてない。 今度は、あなたが誰かを救える立場なんです」
静寂。
鍋の湯気がゆらゆらと立ち昇るだけだった。
やがて、料理長はゆっくりと立ち上がる。
「……お前たち」
低い、でも確かに震える声。
「今日の賄い、全部捨てろ」
料理人たちが一斉に顔を上げる。
「そして……剣聖様」
私は、思わず背筋を伸ばした。
「明日の晩餐から、厨房は俺とお前の共同責任だ。 文句がある奴は、今すぐ出て行ってもいい」
誰も動かない。
料理長は私に向き直ると……。 初めて鬼のような顔を崩して、照れ臭そうに頭を掻いた。
「……汁は、捨てねえ。 俺が捨てちまった分まで皆にちゃんと食わせてやる」
その瞬間、厨房中から怒涛のような歓声が上がった。
マーブル料理長は、私にだけ聞こえる小さな声で呟いた。
「……お前、なかなかいい目をしてるな。 まるで、昔の俺を見てるみたいだ」
(それは私でなくて、他の誰かに言って)
私は、心の中でお断りしながら、精一杯の笑顔で答えた。
「では、料理長。 まずは『汁を捨てない、現代栄養学仕様のスープ』を一緒に作りましょう」
マーブル料理長は、ニヤリと笑って私の肩をドンと叩いた。
「望むところだ、新入り」
……って、ちょっと待て! 新入りって私のこと!?
厨房の奥から、料理人たちの野太い声が響いた。
「料理長! 新入りちゃん可愛い~~~!」
「包丁持たせてみていいすか!?」
「俺、指切ったら看病して貰おうかな!」
(いや、違うから!?……この人たち自由すぎる!!)
でも、なんだか……すごく、楽しそう。
明日から、王宮の食卓は確実に変わる。
汁を捨てない、誰かの命を救うための本当の意味での「美味しい」料理が並ぶ。
私は、マーブル料理長と固く握手を交わした。
……火傷だらけの、でもすごく温かい手だった。
(これが、私の新しい戦場だ)
剣聖じゃなくて、料理人の見習いとして。
「いや! 違うって! 何でこうなったの?! マリーもハンカチで涙拭いてないで何とか言ってよ!?」
その後、マーブル料理長はスープ作りに生涯を捧げ、何処にでも生えている草に栄養と、ある食物と混ぜると劇的に美味しくなる組み合わせを見つけて大ヒット。
ある時、貧困地域で飢饉が起こった時にこのスープで大勢の命が助けられた事から『剣聖の慈愛』という名で長く愛される王国のスープの代名詞にまでなったと言うのはまた別の機会にお話ししましょう。
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マーブル料理長
マーブル・マードッグ(45歳)
王城の筆頭料理長
幼い頃の貧乏暮らしから食に憧れ、料理人を目指して長年苦労してやっとここまで登り詰めた。
腕の火傷跡は料理人の勲章と、料理の時は腕捲りをするのが癖。
その経験から情に厚く、新人への指導も熱心で時に誤解を受ける事も。




