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ep6

月が静かに夜空を照らしていた。


 僕は、穏やかな歌を口ずさみながら、王宮の石畳を歩いていた。


胸の奥で何かが疼く。だがそれを言葉にすれば、すべてが壊れてしまいそうで、声にはできなかった。


 屋敷へ戻ると、玄関前にはユナが立っていた。


「ジュリアン様、お帰りでしたか。王女様は、お部屋に戻られております。どうぞお入りくださいませ。」


「ありがとうございます。」


 僕は、静かに王女様の部屋の扉を叩いた。


「王女様、ジュリアンです。お入りしてもよろしいでしょうか。」


「どうぞ。」


 室内に入ると、王女様は窓辺に佇み、遠くを見つめていた。


「この部屋の向かい側にある屋敷が、私の部屋だそうです。」


 王女様は振り返り、ふっと微笑む。


「当然のことだけど、白蓮国の時と違って、あなたと過ごせる時間が減ってしまうのね。」


「この地に私も来られただけでも、不幸中の幸いでございました。それに皇太子である李杏様は、本当にお優しい方でございます。王女様のことも、きっと幸せにしてくださるでしょう。」


「……そうね。でも王妃様は、私たちのことを良く思っていないようだった。大丈夫かしら?」


「王妃様は非常に厳しい方との噂でございます。特に李杏様へのご愛情が深いゆえに、今後も王女様へのご当たりが強くなるやもしれません。お気をつけくださいませ。」


「明日から王妃による皇太子妃教育も始まるそうだわ。私、異国の地でやっていけるのかしら…」


「大丈夫でございます。王女様はこれまで、白蓮王朝の王女としてのご教育をしっかりと受けてこられました。どうかご自身をお信じくださいませ。」


 しばしの沈黙が流れたあと、彼女がぽつりと呟いた。


「ジュリアン、婚礼式前に最後のお願いを聞いてくれる?」


「何でございましょう?」


「……私を抱きしめて。」


「何をおっしゃるのですか。明日からあなた様は、トア様の妻になられるお方です。」


「だからよ。明日からは、あの方の妻として生きていかなくちゃいけない。だから、今日だけは、本当に愛してる人と一緒にいたいの。お願い…こんなこと、今日しか言えないから…」


 僕は、ゆっくりと彼女を抱きしめた。小さな体が、震えていた。


「ジュリアン……愛しているわ。あなたのことを。この世で一番。」


 だが、僕は何も言わなかった。ただその腕に力を込め、沈黙を貫いた。


「……あなたは、やはり何も言ってくれないのね。」


 彼女が呟く。その声には、切なさと諦めが混ざっていた。


 僕は、俯いたまま苦しげに唇を噛む。だが、次の瞬間――


 そっと顔を上げ、彼女を見つめ、何も言わぬまま、その唇にそっと口づけを落とした。


 驚く彼女。だが彼女は、目を閉じ、受け入れた。


 2人は、静かに夜を迎えた。誰にも知られることのない、たった一夜の真実。


 ――この時の私たちは、気付いてはいなかった。

 あんなことが起きるということを。

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