ep5
僕には、歳の離れた弟がいた。
小さい頃から人懐っこい性格でいつも僕のことを兄上と呼び、慕ってくれていた。
父と母、弟の4人で毎日笑顔の絶えないそんな家庭だった。
だがそんな日々も長くは続かなかった。
今から15年前。
僕が8歳の時。
その日はやって来てしまった。
この日の宮殿は、異様なほど静まり返っていた。
廊下に灯された燭台の炎が、わずかに揺れるたび、その影が壁に長く伸びては、また縮む。
遠くで衛兵の足音が一度だけ響き、それが止むと、空気が再び凍りつくように沈んだ。
まるで、城全体が息を潜めて、これから起こることを知っているかのようだった。
「外がやけに静かだ。何かあったのか?」
僕は、弟であるルカに尋ねた。
すると彼は、
「今日は、絶対に外に出てはならない。お父上がそうおっしゃっていました」
「なぜだ?」
「分からないけど……お父上、すごく怖い顔をしていらっしゃった」
その時だった。外で――剣のぶつかるような、乾いた音が響いた。
二人は顔を見合わせ、慌てて屋敷の外に駆け出した。
屋敷の門を抜けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、数人の兵に囲まれた父の姿だった。
「お父様!」
「ジュリアン、家から出るなと――言ったはずだ……!」
父の声が怒りと焦りに震えていた。
「どういうことだ、何を企んでいる!」
父の視線の先にいたのは――王様だった。
「今日からこの国の王は私だ。……お前にはここで死んでもらう。」
「俺が何をしたというのだ!国のため、民のために働いてきたはずだ!」
を治めていた僕の父。
謀反を起こしたのは、まさかの父の家臣だったソンジェだった。
「優しすぎる王など、王に非ず。年貢を減らしすぎた結果、我ら家臣の給金は減り、王国の財は尽きかけている。これ以上、お前には任せておけん!」
ソンジェが手を振ると、兵士たちが一斉に剣を抜いた。
ジェヒョンは叫んだ。
「お父上!」
父は最後に、鋭い目でジェヒョンを見つめた。
「ジェヒョン、ウヌを連れて逃げろ……!私のことはいい、弟を守れ……そばにいてやれなくて、すまない。逞しく生きろ……!」
「でも……!」
「早く行くんだ!」
「……お父上ぇぇぇぇぇ!!」
刹那――剣閃が走り、父の身体が地に崩れ落ちた。
「追え!子どもたちを逃がすな!」
ソンジェの声が飛ぶ。
二人は駆け出した。兵たちの声と足音が迫ってくる。
「ウヌ、このままじゃ見つかる……僕がおとりになる。お前はこの間に逃げるんだ!」
「いやです!兄上も一緒に……!」
「これしかないんだ。きっと、また会える。だから元気でいてくれ……!」
ジェヒョンは弟の手を振りほどき、兵たちの方へと走った。
「兄上!!」
ウヌの叫びが、闇夜に吸い込まれていく。
数分後――
ジェヒョンは捕らえられ、宰相ソンジェの前に跪かされていた。
「弟はどこへ行った?」
「お、お願いです……弟の命だけは……!こ、殺すならぼ、僕を殺してください。弟には手を出さないでください!どうかお願いします」
「ふむ……そんなに弟が大事か?」
「……は、はい」
「お前の弟の命と引き換えに、私に何の得がある?」
ジェヒョンは必死に頭を回した。そして、言った。
「……ぶ、武術。……そして、教育です。僕はこの8年間、皇太子として剣術、統治、礼儀、すべてを学んできました。それらすべて、あなたのもとで使います。どうか、弟の命だけは……!」
宰相はしばらく無言だったが――やがて声をあげて笑った。
「ハハハハハ……ハハハハハ。面白い。刺客として、わしの娘――ジアの護衛となれ。誓え。裏切れば……お前と弟の命はないと思え」
「は、はい……こ、このご恩、け、決してわ、忘れません」
――このとき僕は、誓った。
どんなことがあっても……王に忠誠を誓い、弟を守り抜くと。
たとえそれが、自分を殺す道だったとしても。
父を裏切ったソンジェが父を殺したあと、トリカブト王国を建国し、王としてこの土地を治めることになった。
僕は、父を殺した王の娘である王女様の護衛として生きる選択をした。
この世にもう父上はいない。
弟もこの世で生き延びているのかどうかも分からなかった。
僕は、家族なしでこの一生を終えるのだろう。
どこかそんな風に思っていた。
だが、
「兄上!」
また再び彼のこの声を聴けるなんて。
思ってもみなかったのだ。
弟は、僕と別れた後、海を泳ぎ、紅蓮国までたどり着いたらしい。
食糧もなく、村の中で倒れていたところを村の人が助けてくれ、今日まで生き延びてきたことを教えてくれた。
「ウヌ……俺もずっと、お前の無事を……祈っていた」
僕は、弟を再び抱きしめた。
「でも、兄上は迎えに来なかった。ずっと待っていたのに……信じていたのに……!」
その訴えに、僕は言葉を失う。代わりに弟の頭を撫でることしかできなかった。
「すまない……ウヌ。それには訳があるんだ。ずっと、ずっと会いたかった。」
その時、市場の向こうから声が飛んできた。
「ウヌ。何をしている、早く!」
「はい。今向かいます」
弟は名残惜しそうに兄を見上げる。
「すみません、兄上……もう行かなくちゃ。」
「ああ。俺はしばらくここにいる。また必ず会おう。」
「……はい。また、必ず。」
弟は米俵を抱え、駆けていった。
その背を見送りながら、僕は胸の奥にこみ上げる思いを押し殺す。
僕の愛する弟が今日まで生きていてくれた……。
僕が選んだ道は、間違っていなかった……
彼の瞳に、熱いものが滲んだ。




