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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

トイレの花子さん

作者: 潘蛇羅G

 冷房の付いていない教室で、木造築ウン十年の学校に勤務している教師なんて相場が決まっている。


 古い環境なんだから生徒も遅れている連中だろう、いくらイビろうとも文句は言わない奴隷に違いない、パワハラなんて概念を奴等は知らない、と横暴に振る舞う人格破綻者かハラスメントなんて言葉を知らない生徒から無茶ぶり、モンぺからの攻撃、ことなかれ主義の上司から無茶ぶり、保護者からの攻撃を申し訳なさそうにすべて受け入れる自己犠牲の塊の博愛主義者のどちらかしかいないわけで。


 つまりいま目の前にいる頭をポマードで固めた時代錯誤の男がお釈迦様に身を捧げるウサギには見えない以上は、そしてこんな環境にしか雇われない男であることは、つまりは、


「あ、こら、まちなさい、……まてっ、そこを動くんじゃない」


 校内でタバコを吹かすチンピラを笑って許す臆病者ではないのである。


「おぉ、魚沼がにげたぞぉ、ふふふ、だっせぇ」


 さっきまで黙っていたギャラリーが囃し立てる。


 別にわたしが怖かったから黙っていたわけではないし、きっとどうでもいいから無視していたのだろう。


 やつらの表情はいつだって貼り付いているようなもので、自分なんか持っていなくって、騒げさえすればいいのだ。


「ちっ」


 そんな立派なリーゼントを作っていらっしゃるんだから。


 どうせジブンも校内で喫煙を嗜む不良だったのだから。


 生徒が歴史的に継承されてきた伝統的行為に耽ることも許していただきたいな、と思った。


「浅井先生、彼を止めてください」


「おい、またか、魚沼、いいかげんにしろよ」


 ギュルギュルギュル、と立て付けの悪い年期の入ったドアから坊主頭のデカブツがあらわれた! 


 またチンピラ教師。


 むしろ昔に比べて健全化、真面目で明るい生徒ばかりのオンボロ学校であなた方の不健全、不真面目、非行の三拍子揃った貴重な文化をただ一人維持しているはぐれものをよってたかって追い詰めようとするなんて。


 ドスンドスン、ギッタンバッタン、足脚が床を踏み、ささくれだった廊下から危険な音が聞こえる。


 転んだら尖った針を突き刺し、踏み込んだらすぐに人を地獄に引き釣りこむ妖怪のような木目廊下。


 本当に長い廊下だと思う。


 不規則で混沌とした木目からは時折ひとの顔が浮かんできて、そいつの表情はいつもにこやかなものだった。


 振り向きざま、人を見下すような表情にもみえるそいつにタバコをお見舞いした。


「おい、火事になったらどう責任とるつもりだ!」


 伊藤の右手がぶん、と音を立てて拾い上げ、浅井はパッ、と消火器を手に取った。


 そこまで念入りにしなくても、と思った。


 しゅうしゅう、と言う音を背にして階段をかけのぼった。


 踊り場には錆び付いた窓が掛けられていて、でもそいつは飛び降り防止の為だとかいう理由で真新しい囲いが取り付けられていたし、風の入らない窓は別段日光を取り入れることもなかった。


 なぜなら今日の空模様は曇天で、一筋の青もない白色と灰色で満たされたいい天気だから。


 白色と灰色は一番よい色でつまり良いことだとしっているから。


 自分の肺はヤニが染み付いて真っ白になっているに違いないし、医療系ドラマで見た肺の写真はみんな真っ白いものだったのだからこれは正しい。


 ああもう、せっかくいい気分でタバコを吸っていたのに。


 いい加減アタマもくらくらしてきたのでもう一本いこう。


 できるだけ煙に包まれていたいから空調がなくて、密室で、邪魔物がいないところ。


 古くさい校舎でも地震対策はバッチリで、立派な防火壁もあるし、当然空調管理も行きとおっている。


 エアコンがないのはきっと涼んでラクをしている生徒を見るのが腹立たしいからに決まっている。


 わたしだってジブンが苦労してきたのにほかの人間がラクをしているとカッとなってしまう。


 それに生徒なんかにお金を使うのは彼らにすれば無駄なのだ。


 職員室のエアコンもそういっている。


 エアコンの効いた部屋にいれば、そこは天国で、彼らは木造建築の歴史のある趣のある職場で授業準備をしながら、ミーンミーンとセミの声、過ぎ去った昔を想いだし、カランと氷の溶ける音で我にかえるのだ。


 ……旧校舎へ駆け出した。


 きっとそこは古いから。


 空調なんて気取ったものなんか、ないはずだ。


 いまにも崩れ落ちそうな校舎の他に旧校舎なんてものがあることは常識的に考えてもおかしいし、そんな常識では考えられないことが起こる、つまりアンビリバボウ、ということは大抵金銭的な問題が絡んでおり、もっと単純にいえばこの学校にはお金ってものがないのだろう、毎月寄付のお願いとか届くし。


 恐らく耐震構造になっていないであろう旧校舎は映画でしか見ないような平屋のだだっ広い建物でそういった建物に付き物の関係者以外立ち入り禁止の看板が建っていた。


 が、わたしは関係者であるのでこの黄色いヘルメットを被って頭を下げている子供を蹴り倒すし、彼は頭から雑草のなかに倒れていった。


 ずっと立ちっぱなしだろうし、良いことをしたな、と思った。


 正門には鍵が掛かっているものと思っていたが、そんなことはなかったし、こんなテキトウな学校に寄付なんて払ってやるものかという想いは強くなっていく。


 気が長い方ではないので思い付いたらすぐに行動するし、それは吉日を選び続けているということだから人生を間違えたことはない。


 木を組み合わせて作られた壁から生ぬるい風が漂ってくる。


 気取った人間はいつの時代にもいて、昔っから空気の入れ換えをいの一番に考えてきたのだ。


 もしくは白蟻に食われて倒壊まぢか。


 はたまた手抜き工事の欠陥学校。


 始めてきた校舎でもどこに何があるのかなんて知らべることはないし、失せ物が見つからないことなんかない。


 わたしがこうだと思えばおまえはいつもそうなのだ。


 校舎のつきあたりはなぜか空気がよどんでいた。


 やはりわたしのなすことに間違いなんかないのだ。


 ……そこは便所、つまりトイレ、でもまぁいいか、と思った。


 旧校舎のトイレは上から下まであるドアで区分けされた個室がある現代的なものではなく、昔ながらの中段しかドアで隠されていない個室と小便器を利用するひとが顔を会わせて会話できるおおらかな時代の名残を留めていたし、わたしはこういった時代のフアンだったのでかえって嬉しい。


 まぁ、旧校舎に会話するひとがいるわけでもないのだけれど。


 開放的な個室の便器には蓋は付いていなかったが、綺麗なものだった。


 きっと旧校舎から新校舎に移り変わるときにみんなで丹精込めて掃除をしたのだろう。


 チリひとつ落ちてやしなかった。


 親からくすねたタバコを口に加えて、ライターで火を起こす。


「あちっ」


 ライターの火はいつもわたしの親指を焼いたし、爪の焼ける臭いはいつだってわたしを興奮させた。


 たんぱく質の焼ける臭いにはどこはひとをおかしくさせる物質が含まれていることはみんな周知のことだとは思う。


 火葬場ではいつだって黒い猫が集まってくるものだし、それを指摘したらおまえはおかしいときまって親からレッテルを貼られるのだ。


 見えているのに見えないというなんておかしいことだし、あるのに見えなくなっているとしたらそれは黄色い救急車にのって病院にいくはめになる重大事だ。


 わたしはタバコの銘柄なんか知らない。


 いつだってテーブルに置いてあるそれをかっぱらうのだ。


 喉から肺を熱風が駆け抜け、魔法の風はわたしから熱狂を奪い取り、呼吸器官を白い煙で満たす。


 冷静さを取り戻したわたしは据わった目をしたまま煙を世界に返してやる。


 世界が煙に成り代わろうとしている。


 こんこん、とノックの音。


「はぁい」


 今日のタバコは魔法の煙だろうな、と思った。


 たまにこんなことがあるものだ。


「……花子さんいらっしゃいますか」


「花子さんじゃないです」


 トイレを埋め尽くした煙を吹き消してやりたくなった。


 おもいっきり息を吸って吐き出してやろう。


 花子さんを信じている子供には受動喫煙をさせてはいけないことに決まっているのだ。


 実在していようが妄想であろうが、そんなことはなにも大切なことを説明できるものではないし、区別のつけられるものではないから。


 実家の甲斐犬が飼い主に牙を剥くこともあるし、あり得ない子供の時から毎日世話をしてやっているのに、その牙が話し出すことも、あなたいつも犬の餌を掻っ払っていつじゃない、あるのだ。


 破ったらきっとお偉いさんによって縛り首にされてしまうだろう。


 ふっ、と旋風を巻き起こす。


「ごほっ、ごほっ」


 白シャツに赤のサスペンダー。


 いかにも花子さんというルックス。


 予想通りおかっぱ頭だし、痩せ干そってガリガリの骨人間で、想像通りのそのまんまの姿をしているのだから当然これはわたしの妄想に違いないし、妄想と現実の区別がつかないような子供でもない、足音も立てず歩くなんて無理だってわかってるし、いやできるひともいるかもだけれど、でも謝る必要もないかな、と思った。


 そもそも、ここ男子トイレだし、こいつ妄想の幻想で幻だし。


「あ、いや、すみません、大丈夫ですか」


 返事をするときに、あ、だの、あー、なんてつけてしまうのがわたしの癖であり、そのあとにはすみませんと言ってしまうのはサガであってどうしようもないことなのだ。


 でも不良は礼儀正しいとも言うし、ひとに頭を下げるのは最上級の謙譲さを表しているから問題はない。


 わたしはジブンに不良のレッテルを今日も貼るのだ。


「はーい、花子さん、なんといらっしゃいます、なにして遊ぶ?」


 ひとが謝ったとき、なによりもまず苦しんでいる加害者を許してやるべきだし、許してやんないなら殴りかかるか無視してやるべきで、だからその話を無視するのは対応としてはあっているんだけど、なによりも無視されるのは普通に腹立つ、と思った。


「うーん、じゃあ、首吊りごっこ」


 無視して一人遊びを始めるひとはたぶん性格が悪いと思う、でもわたしは暴力は嫌いだ。


 なんたってタバコのお陰で肺はガチガチだし、持久力はないし、瞬発力もない。


 クラスでも走るのはビリ、もっとも体育の授業に出ているからといって不良でないなんてことはない、いつだって心はヤンキーだから、ヤンキーって野球とか好きそうだし、だ。


「ごほごほっていってましたよね」


 濡れたカラスのような髪がサラリ、と音を立てるのを初めて聞いた。


 ずきゅん、と思わず驚嘆してしまいタバコが手から零れる。


 白い霧のなかでオレンジの花がポワンと咲いた。


 首を傾げるだけでこんな音を出せるひとは見たことがないのでやはり幻のようだ。


「あ、いや、聞こえてない、のかなと思って、だったらもう一回言った方がいいよな、と思って、いや、すみませんね、ほんとうに」


 もう一度サラリ、と首を傾げた。


 そしたらすぅ、とドアをすり抜けて。


 ヒョイ、と煙から伸びた手でわたしの首を絞めた。


 嫌なことがあったら嫌な奴の命を取るタイプらしい。


「そんなことされたら抵抗するけどいいんすか、おれはまじっ……」


 またサラリ、と首を傾げたけど、もう首を回しすぎて、三時の方向をさしていた。


 いくら顔が良くてもひと並外れていると怖いな、と思った。


 息が吸えないことより、頚に沈みこむこの指が痛い。


 そもそも骨張っていて子供の指ではない、大人ではないか、ならもうよくないか、といっても暴力はな、と思った。


 でもまぁ、幻覚だろう、そうにちがいない。


 もう霧も大分褪めてきた。


 魔法の煙で消えた世界ではくっきりとしないものはなにもなくて、便器の黒ずみは何年たっても取れていなかったし、芳香剤のニオイはトイレに染み付いて一度のタバコでは消しきれなかった、つまり、わたしは積み重ねとは偉大だということが言いたいのだ。


「ふ、ふらふらするな、首吊りごっこでこんなんなったのはじめて。まだまだ奥が深いんだねぇ」


 肉のない指では力が入らないのは通りで、幻も現実に屈し始めたようだ。


 見えないものが見えてしまったなんて馬鹿正直に言ってしまう人間は座敷牢を終の住処にするほかないし、魔法の煙をごほごほ吸い込んでしまっては見えてしまっても収監されても仕方がないだろう。


「タバコって猿でも犬でも極りますからね。歯が話しかけてきたことから察するに無生物にも当然極ります。いや、歯も生きているかもしれませんけど、話したりしないじゃないですか。ほらあなたの指も骨張っているしだから効くんですね。いやでももう少しお肉とは食べた方がいいと思いますよ。老婆心ながらですが」


 食べるつもりだったんだよ、という目をしている。


 薄汚い場所にいる焦点の定まっていない虚ろな目をした子供は空腹、そう相場が決まっているものだ。


 でも力が抜けたことはないし、夢幻には効きやすいんだろうか、それともただただ身体が小さいから?


「あっ」


 花子さんは床に吸い込まれていった。


 タバコをくしゃり、と踏み消した。


 摩りきれた床に煤のあと、と平たくつぶれたタバコが残っている。


 だが、掃除されることも、解体されることもない旧校舎で、もうしばらくは痕跡を留めているだろう。


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