いつか
わかっていた。だって一番の相談相手だったのだから。悠斗に相手のことを相談され分かるわけもないがやる気を失わせないよう応援しサポートしていた。また相手も俺が一番の友達であるとわかっているので俺にアドバイスを求めてくる。俺は好きな人には幸せになってもらいたい。だけど…だけど付き合わないで欲しかった。でもそれは俺のエゴであって2人の恋路の邪魔でしかない。俺はこの時どんな思いで2人をサポートしたのかあまり覚えていないが1つ覚えているのは、楽しくはなかった。俺は誰よりも早く付き合った報告を受けた。人生で初めて悲しくて泣いた。俺はそれまで泣いたことがなかった。強がりとかではなく泣く理由がなかった。ただこの日はそんなことは関係なしに泣いた。そして孤独を感じた。ずっと2人で居れると思ったのだ、これからも2人で…。そんな考えは今や負け犬の遠吠えに過ぎなかった。応援していたはずなのに涙は止まらなかった。
悠斗が付き合って1週間、おれは切り替えるようにしていた。そもそも俺は男を本気で好きになったのは初だったのだ。元カノだっていたし、彼女と別れたあとも好きな人は女性だった。高校でも彼女を作ろうとは思っていたがそれほど考えてはいなかった。ただ悠斗を失った俺は真に守るべき人がいると思った。俺には保育園からの幼馴染がいた。彼女は明るくて元気な子だった。家族ぐるみの仲であるため彼女とは会う日が多かった。俺は好きというよりも俺が護らなくてはという使命感が昔から彼女には芽生えていた。ただ冬の性なのかはたまた失恋の性なのか俺は彼女が好きになっていた。11月俺は思い切ってデートに誘ってみた。彼女は誘いを受けてくれた。だいぶ不格好なデートではあったが楽しかった。その翌週もデートに行き俺たちはほとんど毎日寝落ち通話をするような仲になった。
そして12月が来た。
俺は柚歩に勉強を教えてくれと頼まれた。まぁいいだろうと思い。引き受けたのだが、同時刻神奈も別の人と勉強をしていたらしく4人でやろうということになった。神奈と勉強をしていたのは柚歩といい感じの人。名を紫音と言う。そこからちょくちょく勉強を教え合っていたのだが、途中からそのグループは寝落ち通話グループとかした。俺は寝なくても次の日動けるタイプの人間のためほとんど起きていたのだが、交代交代で起きる3人と話すのはとても面白かった。だいたい何故か一対一の状況になってしまうのだがたまに3人の時や4人で話す時は面白かった。
ある日このメンツと浪漫で出かけようということになった。何も考えてなかった俺はすっかり楽しくなり承諾した。浅はかだった。俺はダブルデートの完全おじゃま虫とかし、すぐにいなくなりたかったがここで帰ると言い出せば雰囲気を壊してしまうため最後まで気配を消していた。多分消せてなかったが。正直に言うと本当につまらなかった。間違えて行くと言った俺も悪いが何故俺を誘うんだ?逆におかしいと思わなかったのか?無性に腹が立ったがどうしようもない。ただこれだけはやはり許せない。なぜ俺が発言すると嫌そうな目で俺を見る、喋んなみたいな目で俺を見るな、いつもは仲良く部活とか寝落ち通話する仲のはずなのに、なぜそんな目ができるんだ。やめてくれ。
俺は帰ってくるとすぐに寝た。幼馴染からLINEが来ていたのにも気付かず寝てしまった。
寝落ち通話グループは何も無かったかのように続いた。単純に疑問に思ったのは何故このグループに浪漫はいないんだ?まぁなんでもいいが。
少しすると冬休みが始まった。
クリスマスイブおれは彼女に告白すると決めた。
彼女とデートに行くことは決まっていたのだが、告白するのにも色々と勇気が必要だった。これまで俺はある人にずっと手伝って貰っていたのだが最後に勇気を貰うことにした。その人は華奢な見た目でとても人形みたいで可愛らしい人だった。悠斗の彼女だ。悠斗の彼女は俺の幼馴染と親友で俺の相談相手だった。彼女は俺が悠斗と自分が付き合えたのは俺のおかげと俺を手伝ってくれているのだ。こういう性格をしているから悠斗に好かれてしまうのだ。彼女は俺に一言いける!とメッセージをくれた。俺はその言葉を信じ、いざ決戦の地へ向かった。
場所は遊園地、俺はイルミネーションが1番綺麗に見える観覧車で告白しようと決めていた。その遊園地は元々動物園でありそこと合併して動物園公園になっておりイルミネーションまではそこで時間を潰した。正直ここで告白してもいいなと思ったが勇気が振り絞れなかったので時を待った。そして運命の時が来た。俺達は観覧車に乗ると綺麗なイルミネーションが窓から見え幻想的な雰囲気を醸し出していた。そして俺は深呼吸していざ告白した。
俺は一番最初に悠斗の彼女に伝えた。
成功したと。
彼女は凄く喜んでくれた。悠斗にも伝えたが興味なさげだった。このギャップは一体どうなっているのだろうか。俺は幸福を感じた。
幸せなんて束の間かもしれないしかしその束の間をどれほど満喫できるかは結局自分次第なのだと僕は思う