不思議な夢
それからしばらく経ち、ようやくショックから立ち直った凛音たちは事務所に戻っていた。路地でうなだれている成人男性2人があまりにも見苦しかったのか、建物の影に隠れて様子を窺っていた冬希がどこからか取り出したハリセンで思いっきり殴ったおかげで凛音と春は正気に戻ることができた。できたのだが、もうちょっと方法を考えてほしい。
偶然その場を目撃した主婦Kは語る。あれは素晴らしいスイングだったと。まるで某メジャーリーガーのような振りかぶり、そして一切の躊躇なく男性2人をしばく無慈悲さ⋯⋯あの子はきっと大物になる。
「そもそもどこからハリセンなんか出したんだよ」
「玉雪が持ってた」
「なんでだよ!?」
玉雪とは冬希と契約している金のカミである。冬希とは正反対の陽キャで時々精神的にも物理的にも眩しい。見た目はとても神々しくまるで女神のような少女なのだがなぜハリセンを持っていたのかとても気になる。気になるが深堀りすると心の中の大事なものが失われてしまう気がする。特に女神のイメージが。憧れが。というか、
「冬希もいたなんて気づかなかったな」
「私の存在感の薄さを舐めるでない!」
「自分で言ってて悲しくないのかそれ⋯⋯」
順に凛音、冬希、春である。ボケ、更に続くボケ、そして疲れ果てたツッコミ。殺されかけてもコントができる。それが彼らのなんの役にも立たない特技なのだ。笑わせる観客などいるはずもなくただただ春の精神をゴリゴリと削っていくだけだが。
それにしても日頃から気配が少なくトイレから出ると目の前に立っていた、ということも少なくない冬希だがあの殺伐(?)としていた空間の中でもまったく気づくことができなかった。これは凛音が鈍いのか、いやきっと冬希が存在感の薄さを極めたせいだ。そうに違いない。ポジティブに生きよう。
「⋯⋯なんか失礼な事考えてない?」
「そんな訳無いだろ!そうやって疑うこと自体が失礼なんじゃないか!?」
「それもそうか!」
「はっはっはっはっは」
「はっはっはっはっは」
「「はっはっはっはっは!」」
お互いを睨みながら肩を組み笑い合っている凛音と冬希。横にいた春は疲れた顔で空を仰いだ。
「なんのキャラだよ⋯もうやだあの人達⋯⋯」
その日の夜、凛音は自室の机でノートと向き合っていた。あの双子の情報をまとめているのである。
・双子の殺し屋
・少女は水のカミと契約。いつもはシュッとした水(?)で戦う
・少年はなにかの事情で生霊になっている。契約しているカミは不明
・とても強い
・カミに何らかの異常を与えることができる
最後の情報は鬼燈から聞き出したものだ。戦闘の途中に突然会話できなくなった彼だが、なぜか急に意識が消えたらしい。しばらく経つと元通りになったらしいが、戦闘中にカミを無力化できるというのは恐ろしいことだ。今の時代、カミの力は銃よりもミサイルよりも強く、その力に頼って戦い武器を持ち歩かない者がほとんどである。春が持っていた刀もカミの力で作られた物だ。そんな中でそれを封じることができるということは、どんなに強い相手と戦っていても戦車と赤子のような決定的な戦力差があるということだ。
「何者なんだろう⋯⋯」
[他に情報は無いのか?なにも詳しいことが書かれていないではないか。まるで子供の感想のような⋯]
「分からない事だらけなんだよ⋯他に情報といったらめっちゃ美形ということくらいしか⋯」
だめだ、これこそ小学生の感想だ。鬼燈と一緒にため息をつく。いや、ここで考え込んでもどうしようもない。身ぐるみ剥がされた写真で脅されている訳でもないし彼らのことは後回しにしよう。それよりもまずは冬希に見つからないお菓子の隠し場所と春がイライラしない金策を考えるのが先だ。そう思い凛音は眠りに就いた。
就いたはずだった。
「⋯⋯どこだここ」
凛音は真っ白な部屋の中にいた。部屋の中には真っ白なテーブルが1つとこれまた真っ白な椅子が2脚置いてあり、片方に凛音が座っている。もう片方は空席だった。そしてテーブルの上にはチェス盤のような正方形のマス目が描かれた板がある。しかしそこに置かれているのはチェスの駒などではなくいくつかのカラフルな駒だった。状況を把握できず立ち上がろうとしたが、体が動かない。目線は動くし声は出るし変顔だってできるのに顔以外を動かすことができない。
そんなこんなしているうちに盤の上の駒が動き出した。思わず息を呑んで見つめる。まず赤、銀、金の駒が真っ白な駒を囲んで守るようにした。そこを複数の紫色の駒が取り囲む。その紫色はドロドロ、ネチャネチャとしていそうな気味の悪い色で見ているだけで気分が悪くなってくる。そして紫の駒の1つが白の駒に突撃して行き、白の駒の前にあった銀の駒にぶつかった。
「あっ!」
ぶつかられた銀の駒はヒビが入り壊れそうである。そこにもう一度紫の駒がぶつかろうとした時、どこからか飛び出した1つの水色の駒が紫の駒たちを一気に吹き飛ばした。その衝撃よりも銀の駒が壊れなかったことになぜか言いようのない安堵を感じる。しかしその安堵は紫の駒から吹き出したドロドロとした何かで吹き飛んだ。凛音は動けないというのにどんどんその液体は増えていき、あっという間に部屋全体に広がってこちらにやって来る。逃げなければと思うのに体は動かない。どうしよう、アレには触れたくない。早く、早く逃げなければ!⋯⋯⋯でも、
ドコニ?
「はっ」
目が開く。思わず飛び起きるとそこは自室だった。周りを見渡す。部屋は真っ白ではないしテーブルや椅子以外にも物がたくさんあり散らかっていて、ボード盤など置いていない。ちゃんと体も動く。
「⋯⋯何だ夢か」
そう思う。思うのにさっきの恐怖がなかなか消えない。体を抱きしめてガタガタと震えていると周りの空気がふわっと暖かくなった。
[怖い夢でも見たか?]
「⋯⋯鬼燈」
物心ついたときから馴染みのあるぬくもりに心の底からほっとする。心地よい暖かさの中でうとうとしていると頭を撫でられた気がした。筋骨隆々で無骨な鬼燈が慣れない手つきで頭を撫ででいると思うと心が暖かくなる。幼い頃から自分を守ってくれていた存在の絶対的な安心感。さっきの恐怖など忘れていつの間にか眠りに落ち、再び起きたときには凛音は何も覚えていなかった。