救いようのない(side???)
「ただいま」
そう言って誰もいない家に帰る。ドアが閉まる音が響き、表情が消えるのが自分でも分かった。世の中は異質なものを排除する。ただ無表情で過ごすよりもにこにこと表情を作っていた方が都合がいいと気づいたのはいつだったか。壊れた本性を隠して過ごすのは結構疲れる。
『おかえり〜。今日もお疲れ様』
ふわりと笑みを浮かべて弟が言う。こうは言っていても彼もずっと付いてきていたのだが。半透明の弟を眺め、肩の力が抜ける。しげしげと眺めていると顔に?マークが浮かんで見えるような表情に思わず顔が緩んでしまった。
『今俺の顔見て笑った?ひどいなあ』
「ごめんごめん」
怒りながらも作ってくれた夕食を取り、風呂に入る。湯船に浸かると思わず気の抜けた声が出てしまった。いつも似たような生活を送っているが、珍しく変化のあった今日のことを思い返す。
あの茶髪の男は何なのだろうか。普通の人間は殺人犯とわざわざ関わろうとは思わないのに、興味津々といった様子で質問攻めにしてきた。しかも追いかけて来ておいて何もしないとは。なんというか本能で生きていそうな男だ。まともとは言えない気がする。まともが何かは知らないが。
しかしそこがある種の人間に好かれるのだろう。例えば、今にも殺されそうな男を見た瞬間咄嗟に間に滑り込んで守り、痛めた腕を決して気づかれないようにしていた銀髪の男とか。建物の影から殺意を込めた目で睨んで何かを仕掛けようとしていた金髪の少女とか。彼らもおかしい。水を切るとは何なんだ。そんな事するから腕を痛めるんだ。少女も睨みながらパソコンを高速でタイピングしていて怖かった。なんなんだ、ちゃんと画面見ろ。
「目付けられたかな」
湯船から上がる。ザブンと音が響く。誰に目を付けられようと、誰に恨まれようと単調な日常は変わらない。気に入った依頼を受け、人を殺して金を稼ぐ。ただそれだけだ。もうとっくに自分は壊れていて、殺人に忌避感など感じない。ある【目的】のためならなんだってできる。その事を自嘲しながらいつの間にか眠りに落ちていた。
〈逃げなさい!!〉
誰かの叫び声が響く。はっと目を開けると見えたのは真っ赤な光景。大好きな人達が切り刻まれて散らばっている光景。恐怖で息が荒くなる。何が起こっている。どうして、誰が、悲しい、つらい、許せない、憎い、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして⋯⋯⋯
ガタンッ
後ろで音がした。後ろを振り向くと見えたのは刃物の光。そして、
〈危ない!〉
血に染まったあの子の……
『………!、………!』
誰かが呼ぶ声がして目が覚めた。何が起こっている。ここはどこで、さっきのは。涙が出る。息が吸えない。だれか、誰か助けて、
『大丈夫、大丈夫だからほら、ゆっくり息を吸って⋯⋯』
目の前にいる少年に気づく。誰だ、違うあれは弟だ。【あの時】から行方不明になっていたのに、ある日魂だけ戻ってきてくれた己の半身。抱きしめようとして触れられない事を思い出す彼の悲しそうな顔を見て思う。
ああ、いつものか。
眠るのは怖い。いつもあの夢を見る。忘れるな、決して許すなと言わんばかりに。そんなこと分かっている。忘れられる訳がない。少しでも犯人に近づくために、弟の体を見つけるために、裏社会に入り人を殺して情報を得てきた。
こんな事をしていても叱ってくれる両親はもういない。いるのはどこまでもただ側に寄り添ってくれる、それなのに決して触れられない弟だけ。
なぜか昼間の茶髪の男を思い出した。不思議な雰囲気の彼は、これからも縁があるような気がする。彼ならば変えてくれるだろうか。この終わりの見えない復讐の日々を。そして終わらせてくれるだろうか。この救いようのない、自分だけ無事に残ってしまった人生を⋯⋯