遭遇
その数週間後のことである。凛音は春、冬希とともに買い物に来ていた。原因は冬希の突然の爆食である。事務所にみんなでこつこつと貯めていたお菓子がすべて消えた。一瞬で消えた。切なすぎる。という訳で今日は冬希の給料でお菓子の買い出しに来ている。あのときの少女のことは何も分かっていないが、鬼燈が言った通り縁があったらということだろう。
「あ、あれもうまそう」
「量も多いしいいな。冬希の金だから気兼ねなく使えるし」
「もうやめてえええ」
凛音は春とともに次々とカゴにお菓子を積み上げていく。冬希はもう半泣きだが自業自得だとしか思えない。彼女が食べたお菓子の中にはとっておきのチョコレートがあったのだ。自分のご褒美に買った一万円もするチョコレートが一瞬で胃の中に吸い込まれていくのを目撃した凛音の恨みはかなり深い。それは春も似たようなものだろう。遠慮なく元は取らせてもらう。
「この鬼畜⋯」
「自業自得だアホ」
「そもそもなんであんなに食べたんだ?」
冬希がそっと目を逸らした。
「あれ、なんか都合悪いことでもある?」
「単純に腹が減っただけだと思ってたが⋯」
「えっ」
冬希の驚いた顔を見るに、どうやらなにか勘付かれていると思っていたらしい。が、残念ながら凛音も春と同じく異常にお腹が減っただけだと思っていた。つまり、顔に出した冬希の自滅である。
「ほらさっさと吐け」
「ヤ◯ザだ、助けて凛音」
「早く白状しなー」
「私の味方はどこに!」
ゲームに課金するために食費を削っていました。
やっと白状した本当の理由に、みんなのママこと春は激怒した。今にも怒鳴りだしそうだが外なので控えているのだろう。恐ろしい表情を無理矢理取り繕って笑おうとしているため顔がすごいことになっている。つまり怖い。とても怖い。早く落ち着かせなければ周囲の精神衛生上よろしくない。何かないかと周囲を見渡した瞬間凛音は目を見張った。
ぞっとするほど美しい、あの少女がいた。
今日は真っ黒ではなく大きなロゴの入ったTシャツとデニムパンツを着ている。また、あの人形のような無表情ではなくにこにこと愛嬌のある笑顔を浮かべていた。この前とは随分違う様子に本当に同一人物なのか不安になってくる。目を離せずじっと見つめていると、視線に気が付いたのか彼女が振り向いた。その時凛音は見てしまう。にこにこと作られた笑みの奥の、恐ろしく醒めきった冷たい瞳を。凛音に気づいたのか僅かに目を見開き、次の瞬間少女がダッと走り出した。思わず追いかける。
「おい凛音!?」
春に声をかけられるが返事をする余裕はない。少女は店を出るとそのまま走り続け、複雑な路地の角を何度も曲がっていく。夢中になって追いかけていくと凛音はいつの間にか薄暗く細い路地裏に立っていた。急に薄暗くなった周囲に我に返る。少女はこちらを待ち構えるかのように真正面から見つめてきた。あの無表情で。
「⋯君は、この前道を教えてくれた子だよね?」
返答はない。
「そして君は、その前に人を殺していた?」
少女の表情が変わる。にいっと笑みが作られていく。不気味なその笑みは間違いなく肯定だった。
次の瞬間、急に寒気を感じた凛音は横に飛び退く。その直後、凛音がいた場所には大きな亀裂ができていた。ぞっとする。動かなければ間違いなく死んでいた。やらなければやられる。そんな気配をひしひしと感じた。
「⋯鬼燈!」
[おう]
周囲に炎が浮かぶ。少女の笑みが深くなる。次の瞬間2人の力がぶつかり合った。炎とぶつかり合っているのは、
「⋯これは、水?」
「そう」
初めて少女が喋った。とても楽しそうな様子で歌うように話す。
「私のカミは水だよ。いつもはバレないように水をシュッて細くした刃で戦ってるけど」
今日はサービス。
そう言うとさらに水の圧力が増えた。力の差が大きすぎる。このままでは押し負けてしまう。そう感じた瞬間、いきなり炎が消えた。
「鬼燈!?」
何かあったのか。いや、今は彼を気に掛ける余裕もなく。やばい。とっさに目を閉じる。しかし、いつまでたっても衝撃はやってこなかった。恐る恐る目を開けるとそこには、
「⋯春?」
刀を持った春が立っていた。ナイスタイミング。
「馬鹿か。まんまと罠に嵌まりやがって」
「罠!?」
「気づいてなかったのか!?どう見ても誘い込まれていただろ!」
2人の様子を見ていた少女がぼそっと呟いた。
「水を切るなんて、脳筋すぎない?⋯」
その言葉に思わず春を見上げる。ミズヲ、キッタ?
「なんか文句あるか?」
「さすがに脳き⋯」
言い切る前にゴツンと拳骨が落とされる。かなり痛い。不満げに見ると、助けてもらったくせに。と彼の目が雄弁に物語っていた。その通りである。とにかく、春は強い。これでこの場は助かるだろうと安堵した瞬間場違いな、穏やかで優しげな声が響いた。
『この人たち、どうする?』
もう一人!?そう思い身構えた凛音たちの前には奇妙な光景が広がっていた。
まっすぐと立つ少女。そしてその背後から抱きつく彼女に瓜二つの少年。彼の姿は薄っすらと透き通り、ゆらゆらと浮いていた。カミでも、人間でもない。この少年はなんだ。
「どうしようね。人を殺したって話されるのは困るけど、依頼じゃない殺しはしないって決めてるし⋯」
そうだ!といい笑顔で言う少女に嫌な予感がする。
「身ぐるみ剥いで写真を撮ってさ、脅せば良くない?」
『いいね。それならしっかり口止めできるだろうし、何よりおもしろそう』
何一つ良くない。それにあの少年、優しそうな雰囲気だが絶対腹黒い。おもしろそうとはなんだ。目を輝かせた少女に迫られて焦り、慌てて声をあげる。
「ちょっと待って!もともと警察に言うつもりはないよ!」
「凛音!?」
「だって君たち?が殺したのは人間のクズだし、別に良いと思うんだよね」
凛音は別に優しい人間ではない。自分と、自分の大切な人たちに影響がなければなんとも思わない。確かにと頷いている春もきっと同類だ。
「⋯じゃあなんで追いかけてきたの?」
「ただの興味。と思わず反射で」
「なにそれ。逃げられると追いかけたくなるっていうあれ?」
「あと君は殺し屋なのかな、と思って」
「だったらどうするの?」
「どうもしないよ?」
『「え?」』
「だからただの興味だって。まあ一応事件のことは聞くけど」
双子はポカンと目を丸くしている。春はというと、頭を抱えていた。
「ところでさ、君」
少年にさっきからずっと気になっていたことを聞く。
「君って何者?死んでるの?」
「死んでない!!」
少年ではなく少女が叫ぶ。そして思わずといった様に口を抑えた。
『⋯俺はただのしがない生霊ですよ。体が迷子になってしまって』
体だけ迷子になるということはあるのか。初耳だ。興味が尽きない。さらに質問を重ねようとしたとき、頭を小突かれた。
「すまんな。こういう奴なんだ⋯」
疲れたように春が言う。なにやら双子も可哀想なものを見るような目で春を見ている。3人で分かりあったような雰囲気が生まれ疎外感がひどい。
「⋯じゃあ、頑張ってね⋯」
「おう⋯」
少女が春を励まし、双子は去っていった。やはり凛音だけ仲間外れになっている。文句を言おうとしたその瞬間、なにかに気づく。
「⋯あれ?」
「⋯ん?」
双子は去っていった。もう一度言おう。双子は去っていった。あまりにも自然に、なにも情報を残さず。
「「やってしまった!⋯⋯⋯」」
そこには路地裏で打ちひしがれる成人男性2名という不思議な光景が広がっていたという。