ep.4 追放
城の高い壁を越え、王国の街を離れた翔が足を踏み入れたのは、広大な森だった。
城から数歩歩けば、周りは瞬く間に緑に包まれ、町の喧騒は消え失せ、ただ静寂と自然の音だけが広がっていた。翔はその静けさに不安を感じ、足元の土を見つめながら歩き始めた。
「どうすればいいんだ…?」翔は何度もその言葉を口にしたが、誰も答えてくれない。
王国を追放された彼には、もう頼れる者も、助けを求める場所もなかった。食料も水も、これからどう生きていくべきかもわからない。すべてが未知で、彼にとって絶望的な状況だった。
心の中で何度も思い直し、自分を奮い立たせようとしたが、その度に現実の厳しさが翔を押しつぶしていった。
王国で過ごしていたときには、少なくとも「勇者」としての期待があった。
しかし今、翔は何者でもなく、ただこの広い森の中に一人取り残されてしまった。
歩き続けることに疲れ、足元がふらついてきた翔は、ついに立ち止まり、深い息をついた。
周りにはただ緑が広がり、遠くには山々のシルエットがぼんやりと見えるだけだった。
辺りに人影は一切見当たらない。木々が風に揺れる音だけが、孤独をさらに際立たせていた。
翔は膝をつき、地面に両手をつけて座り込んだ。
涙がにじんできそうなほど、心の中が重く、押しつぶされそうだった。
その時、空が暗くなり、天を引き裂くような雷鳴が轟いた。
顔を上げると、黒雲が急速に広がり、次第に大粒の雨が降り始めた。
冷たい雨が、突き刺すように全身を打ち付けたが立ち上がる気力もなく、地面を這い進み、近くの木の下に隠れた。
木の枝は雨を多少はしのいでくれたが、それでも風と共に激しい雨が降り続け、翔はその場でどうしてよいか分からず、ただ打たれるように身を縮めた。
「こんなところで…死んでしまうのか?」翔は思わずその言葉を呟いた。
身体を震わせながら、強く冷たい雨を感じ、彼は絶望的な気持ちに襲われていた。もはや生きる意味も見失い、ただ雨音に耳を澄ませていた。
その時、森の中から突然、異様な気配を感じた。翔は周囲を見回す。
しかし、暗闇に包まれた森には何も見当たらない。
次第に恐怖心が増し、彼の心臓が急激に高鳴り、体が自然と身構えた。
ガサガサという音とともに、闇の中から人影が現れた。
その人物は、普通の人間ではなかった。
黒いローブを纏い、肩に無数の刺繍が施されたその服装は、一般的な服とはまったく異なっていた。
暗闇の中でも、その人物の目は異常に光を放ち、見る者に強烈な印象を与える。
翔は恐怖を感じ、背筋が寒くなるのを覚えた。
その人物が近づいてきたとき、翔は恐る恐るその顔を見ると、驚くべきことに、彼の顔は人間とほとんど変わらない。
しかし、その目の奥に宿る冷徹な輝きが、彼の本性を物語っていた。
翔はその存在が人間ではないことを直感的に感じ取った。
男はじっと翔を見つめ、無表情で口を開いた。「お前、随分と弱そうだな。」
その低く冷徹な声が、翔の耳に突き刺さる。
翔は驚き、反射的に一歩後ずさりしたが、その足は泥に絡まり、動けなくなってしまう。
恐怖に囚われ、口が乾いて何も言えない。ただ、震えるばかりだった。
「まぁ、いい。どうせお前は助からない。」その男は翔をじっと見据え、無感情な口調で続けた。
翔はその言葉に、息を呑んだ。
そして、この状況でも何もできない自分に嫌気がさした。
男は少し考えるように黙り込むと、やがて口を開いた。
「だが、お前を無駄死にさせるわけにもいかない。俺が世話をしてやろう。」
その言葉は、冷徹なものだったが、翔はその一言に救われた気がした。
安心感からなのか自然と涙が溢れ出してきた。
今は、生き延びるために、この男の手を借りるほかない。
「ついて来い。」
そう言って、男は自分の歩調を速め、翔を引き寄せるように森の中へと進んでいった。
翔はその後ろを追うしかなかった。
二人は暗い森を進み続けた。雷が何度も轟き、木々の葉がざわめき、土砂降りの雨がますます激しくなっていたが、男は全くその状況に動じることなく歩き続けていた。
翔はその後ろで、必死に足を動かしながら、心の中でいろいろな思いを巡らせていた。
この男との関わりがどんな結果を招くのか、想像するだけでも不安でいっぱいだった。
しかし、同時に、少しだけ希望を見出していた。生きるためには、この状況を乗り越えなければならない。
やがて、歩き続けること数十分。
視界が急に開け、目の前に異様な光景が現れた。それは、人里離れた場所に建てられた、巨大な石の城のような建物だった。
黒く、冷たい石で造られ、外壁には奇怪な彫刻が施されている。
「ここが、俺ら魔族の拠点だ。」男は無表情でそう言い、翔をその建物に招き入れた。
翔は魔族という言葉に全身が震えたが、ここで引き返すこともできず、恐る恐るその建物の中に足を踏み入れた。
建物の中は、外の荒れた天候とは対照的に、暖かい光に包まれていた。
石造りの部屋には火が灯り、奇妙な雰囲気を醸し出しているが、どこか心地よさも感じられた。
中に入ると、目の前には数人の魔族らしき者たちが立っていた。
彼らもまた、人間のような外見をしているが、目の奥に異常な光を宿しており、ただならぬ存在感を放っていた。
翔はその視線に気圧され、思わず立ちすくむ。
だが、男は何も気にする様子もなく、「ここでは、しばらく安全だ。」と冷静に言った。
その後、男は翔に自己紹介を始めた。
翔はその言葉に耳を傾け、緊張感を少しだけ解くことができた。
「俺の名前はザラゴス。」男は静かに名乗った。
その名前は、翔には全く聞き覚えがなかったが、彼の冷徹な目つきに何かしらの重みを感じさせるものがあった。
「魔族といっても、俺たちにはいろいろな者がいるが、俺は比較的、"王族"に近い存在だ。」
その言葉に、翔は思わず目を見開いた。
「王族? それはどういう意味ですか?」翔は恐る恐る尋ねた。
ザラゴスは無表情のまま続けた。
「魔族の中には、力を持つ者が多く、我々は『支配者』の血を引いている。だからこそ、魔族の中でも格が違う。」
その言葉は、どこか誇らしげに響いたが、その一方で冷ややかさも感じさせるものだった。
「お前には理解できないかもしれんが、俺たちの世界では、力は手段と考えている。」
翔はその言葉を聞きながら、これから自分がどんな世界に足を踏み入れることになるのかを、ますます不安に感じた。
「お前がここで過ごすためには、ある程度のルールを守らなければならない。」
ザラゴスは冷静に続けた。
「お前が生き残りたいのなら、俺の指示に従え。俺の力を借りたくないのなら、今ここで死ね。」
その言葉には、冷徹な決断が込められていた。
翔はその厳しい言葉に少し震えながらも、何とか頷いた。
今は生き延びることが最優先だ。
その先に何が待っているのかはわからないが、少なくとも今は、目の前の男ザラゴスを信じる外なかった。