登場時間は10分でした
神の至宝のごとき美しい容貌の若きテゼリウス公爵は、国一番の不細工と囁かれる国王の末姫マリーリア王女と婚姻を結んだ。
政略結婚ではなく、テゼリウス公爵の熱烈な求婚による恋愛結婚で。
そして父親である公爵に似た長男と次男が誕生して、三番目に生まれたのは父親にも母親にも似ていないソフィーリアであった。
ソフィーリアは容姿は似ていなかったが、各部分はそっくりだった。すなわち、父親の一番悪いパーツと母親の最上のパーツが合わさり、結果として可もなく不可もなしの平凡な顔立ちの令嬢として生まれてきたのだ。
「なんて可愛いのだろう! 愛しの妻が天使を生んでくれた!」
「なんて可愛いのでしょう! わたくし天使を生んでしまったわ!」
「「天使だ、僕たちの天使だ!! 僕たちの妹は世界一可愛い!!」」
父親と母親と兄たちは、家族の欲目全開でソフィーリアを溺愛した。
可愛い、可愛い、と魔法の呪文のように毎日聞かされたソフィーリアは自分は可愛いと誤解を──しなかった。
何故ならば、ソフィーリアには生まれた時から前世の記憶があったからだ。
「うそ! 私、赤ちゃんになっている!?」
と混乱して叫んだが、赤ちゃんなので顔を赤くしてオギャアと泣くことしかできなかった。
ひとしきり泣いて落ち着くと、ソフィーリアは部屋を見渡した。広い部屋。配置されている家具は豪華で品がいい。先ほど泣いているソフィーリアをあやしてくれたメイド服の女性や部屋の家具などを見ると、かなりのお金持ちの家に生まれたことが理解できた。そして中世ほどの文明であることも、その後わかってきた。
電気ガス水道ありの快適な生活の記憶はあるソフィーリアは唸った。科学文明がなければ魔法文明がありますように。お風呂と衛生的なトイレは絶対にゆずれない! オギャアオギャアとキバリにキバっていると、ぽん、と出た。魔法の光と、おむつの中にも便秘気味だったブツが。
やったー! オギャアと勝利の雄叫びを上げたソフィーリアだった。
そして5歳になった、ある日に。
ソフィーリアは、乙女ゲームの世界に転生して、大聖女となるヒロインの背後に並ぶ聖女たちの一人となるのだ、と気がついた。
ソフィーリアの役割は、背景モブ聖女とちょい役の悪役令嬢の兼業であった。
王道の悪役令嬢は王子の婚約者で、ソフィーリアは聖女でありながら大聖女の才能に嫉妬して、ちょこっと悪いことをして神殿から追放される役柄。
ヒロインが攻略対象者とイチャイチャしながらストーリーを進めるための、いわばスパイス。
嫌なんですけど。
追放されるといっても公爵家に帰るだけ。
聖女といっても、聖魔法を所有していたから箔付けに神殿に入っていずれ結婚する設定のソフィーリアであったので、王道の悪役令嬢のように酷い目にあったりはしないのだが。
他人の恋愛のスパイスになんてなりたくなかった。
せっかく権力も財産もある公爵家に生まれて溺愛してくれる家族も婚約者もいるのだから、人生を贅沢に楽しみたい、と。
そのために、前世の記憶からサクッと聖魔法を覚醒させて聖女となった。
あとは詐欺師のように、ありがたい聖女のお告げを連発させるだけ。
何しろ百発百中、外れ無し。
ソフィーリアは大好きだったゲームの知識を利用しているので、高位貴族の家庭内事情もめちゃくちゃ詳しい。
「宰相家の後妻が、先妻の息子を虐待しているわ」
「はい、聖女様。ただちに宰相家へ」
「魔術師長の長男が、魔力暴走をおこして母親が死んでしまうわ」
「はい、聖女様。ただちに魔術師長の屋敷へ」
「王国の南部で春に魔虫が大発生して、畑が全滅するわ」
「はい、聖女様。ただちに南部に警告を」
5歳で聖女となって、以来10年。
結果としてソフィーリアは王国を豊かに繁栄させ、乙女ゲームの攻略対象者のトラウマをバシバシへし折った。ちょい役の悪役令嬢としては上出来である。
おかげで乙女ゲームの設定がおかしくなってしまった。もしヒロインも転生者ならば大激怒ものだった。しかしソフィーリアは、その設定を崩すために頑張ったので大満足であった。
ヒロインの幸せよりも自分の幸福!
ソフィーリアには、0歳の時から1歳年上の婚約者がいるのだ。
5歳で乙女ゲームの世界であると理解した時、このままだとソフィーリアの優しい婚約者は乙女ゲームが始まる前に死ぬ運命だと知った。
だから乙女ゲームの設定をめちゃくちゃにしたのである。
婚約者の命を救っても、もしかしたら乙女ゲームの強制力とか矯正力とかが働いてストーリー通りに戻すために婚約者が死ぬかもしれない、と考えたのだ。けれども設定そのものが壊れていたら、強制力も矯正力も無効になるのでは? と。
何しろ婚約者のヴィクトリスは、高速ハイハイで突撃してきてソフィーリアが赤子で動けないことをいいことに、がっちり抱き込みソフィーリアを舐めまわしたのだから。きっちり責任をとって嫁にしてもらわねば、とソフィーリアは考えているのだ。
無垢な赤ちゃんに。
抵抗できない赤ちゃんに。
ペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロ、よだれまみれにした婚約者が成長して壮絶な美形になろうとも赤ちゃんの頃の記憶を持つソフィーリアは、絶対に忘れたりはしないのである。
そのペロペロ婚約者が。
現在では、涎を垂らしていた面影もない凛々しく優しい貴公子が。ソフィーリアの耳を吸ったり、鼻を吸ったり、口を吸ったり、花の蕾のような小さなこぶしを吸ったりしてチュウチュウチュウチュウしていた面影もない超絶美貌の彼が。
ソフィーリアには甘く他者には氷点下よりも冷たい、ソフィーリアの小餅のような頬っぺたをチュパチュパチュパチュパしていた面影もない、捨てても捨てても戻ってくる呪いの人形みたいに執念深くソフィーリアを激愛する腹黒なヴィクトリスが。
単なる巻き込まれモブとなって死んでしまうなんて、ソフィーリアには許容できなかった。
演劇でも小説でも乙女ゲームでも、ヒロインとヒーローと役つき登場人物以外は、王族であろうと上位貴族であろうと全員モブ。国王であろうとモブである。
そういうストーリーで、でも────だから?
モブであろうと人生はあるし、生きているのだ。
どうしてヒロインとヒーローのために、ストーリーを盛り上げるためだけに婚約者が死なねばならないのだ?
ヒロインは乙女ゲームのヒロインであって、ソフィーリアの人生のヒロインはソフィーリアなのである。ヴィクトリスの人生がヴィクトリスのためだけにあるように。
ソフィーリアが自分の人生を頑張っているように、乙女ゲームのヒロインも自分の力で努力すればいいのだ、とソフィーリアは思った。
で、結果として。
「背景モブ的ちょい役の悪役令嬢のクセに、設定を破壊するんじゃないわよ! あんたのせいでイベントが何も起こらないじゃないの!!」
と、降臨したヒロインに怒鳴りこまれることとなった。お花畑ヒロインにふさわしい、時期も春。お花畑ヒロインの専売特許とも言える謎の強メンタルによる、身分をわきまえない愚かな台詞とともに。
どうやらソフィーリアと同じく前世持ちらしいヒロインに、ソフィーリアは眉をひそめた。常識が通じない、と言うよりも現実を見ていないタイプかも、と。
しかし、さすがヒロイン。可愛い。ソフィーリアの父親と兄たちとヴィクトリスの神の領域のごとき美貌には負ける下の下だが。
すでに攻略対象者を二人おとして、両脇に侍らしている。ハンサムである。ソフィーリアの父親と兄たちとヴィクトリスの足元にも及ばない下の下の下だが。
商人の息子と男爵家の嫡子だ。ここから、さらにステップアップして高位貴族へとルートが開いていくのだが、高位貴族には相手にされなかったらしい。
可愛らしい顔を歪めて怒るヒロインに、シレッと強かにソフィーリアはさも初対面のように応えた。実際に現世では初対面であるし。
「どなたかしら?」
絶世の美貌に囲まれて育ったソフィーリアにとって、ヒロインの可憐な顔も路傍の石と同じである。
この場合ソフィーリア自身の容貌を問題にしてはいけない。ソフィーリアは家族からも婚約者からも溺愛されているのだ。円満だからいいのである。
故にソフィーリアは強気でヒロインを煽った。
「下位の聖女の方かしら? 私への面会希望ならば、まずは神殿を通してから順番にお願いしているのだけども」
ソフィーリアのバックは、生家の公爵家と血縁の王家、さらにヴィクトリスの公爵家プラス大神殿である。男爵家の庶子であるヒロインに、身分制度が法律に等しい王国においてソフィーリアは1ミリも負ける要素がない。
不審者であるヒロインに、ソフィーリアの護衛たちは腰に帯びた剣の柄に手をかけ前に出る。
ヴィクトリスはソフィーリアの肩を抱き寄せ、ヒロインに厳しい表情を向けた。
神殿の入口での、衆人環視の出来事に人々の間で大きなざわめきが走る。春に咲いたばかりの草花を蹴散らす勢いで人々が集まってきた。
「なんと罰当たりな……!」
「大聖女様に向かって!」
「誰か神官様を、神殿兵ももっと呼んでっ!」
人々の非難の声が聞こえていないのか、何の根拠もなく自分の都合のよいように解釈する夢見るみたいな思考回路をしているのか、ヒロインはソフィーリアに対して感情を撒き散らす我が儘な子どものように罵倒を浴びせる。もしかしたらヒロインは、この世界をゲームだと思っているのかもしれない。
しかしゲームでもヒロインは最初から愛されている存在ではない。きちんと成すべきことをして行動した結果、相手から愛情を向けられているのだ。
であるのにこのヒロインの、自分はヒロインだから身勝手をしても許される、誰からも愛されて当然、という態度にソフィーリアは嫌悪感を覚えた。
「何を偉そうに、ちょい役の分際で! お高くとまって笑っちゃうわ! この不細工!」
敬語すらない暴言に次ぐ暴言の数々に、人々が絶句する。もはや不敬罪の天元突破であった。
「それに大聖女の地位はあたしのものなのに! 可愛くて綺麗なあたしにこそ相応しいのよ、あんたみたいな不細工が大聖女なんて自分の顔を鏡で見なさいよね! 人のものを奪うなんて、あんたは悪役令嬢ではなく泥棒なんじゃないの!?」
「泥棒? 悪役令嬢、私が?」
ソフィーリアは、くすり、とヴィクトリスに身をすり寄せながら嗤った。
「綺麗だと? おまえ如きが?」
美という絶対権力を身に纏いヴィクトリスが、極寒の眼差しでヒロインを睨む。
「鏡を見るべきはおまえの方だ」
ピシリッ、と空気に亀裂が走らんばかりに冷たい声だった。春なのに真冬のように温度が下がる。ヴィクトリスが、冷たく凍る冷酷な視線をヒロインに定めた。
「誰ぞ、鏡をもて。その醜い女に己れの姿を見せてやれ」
しずしずと大きな姿見の鏡が運ばれてくる。
ドン! と置かれた鏡に映るのは。
不満げに鼻をふくらませ、怒りに目を吊り上げ、さんざんソフィーリアに嘲笑を浴びせる口元は曲がり、興奮で顔に赤みがさすヒロインの姿が映っていた。
美しい顔を歪めても美しさはそのままに却って美貌に凄みを増すヴィクトリスのような者はいるが、ヒロインは真逆のタイプでハッキリ言って醜かった。
「醜いな」
ヴィクトリスの声音は冷たい。突き付けられる言葉がヒロインを抉る。
「おまえのどこが美しいと言うのだ?」
周囲の人々からの、蔑むような、嫌悪するような、冷ややかな視線がヒロインに突き刺さる。この時になって、ようやくヒロインは辺りを見回して自分の不利を招く状況を悟った。
やっとヒロイン一行は、どうしようもなく窮地に立ち孤立していることを理解したが、時間は戻らない。とっさに逃げ出そうとしたが。
「無礼者を捕らえよ」
ヴィクトリスに命令された護衛兵によって、あっという間に捕縛されてしまったのだった。
「どうしてよ!? そんな不細工が敬われて、可愛い私が何故チヤホヤされないのよ!? 間違っている、私がヒロインなのに!」
喚きながらヒロイン一行は引き摺られて兵士に連行されていったが、ソフィーリアこそ何故と思ってしまった。
何故、この世界に生まれた者として生きないのか? と。
前世でも上下関係は何処にでもあったのだ。
ましてや、この世界は絶対的な貴族社会。
ヒロインとして夢見た人生が上位貴族に通用せずに、その鬱憤をソフィーリアが元凶だとぶつけようとしたのかも知れないが、無謀で浅慮すぎる。
前世では未成年が暴言を吐いても罪に問われることは少なかったが、貴族社会において上位者への失言は社会的もしくは生命的な終了である。
ソフィーリアは溜め息をついた。
「今の方、何がしたかったのかしら? 単に不敬罪で罰せられたかったのかしら?」
「さぁな、時々春になれば変なのが出るから、その類いではないかな」
容赦なく切り捨てるヴィクトリスだが、ソフィーリアを抱きしめる手は優しい。繊細なガラス細工に触れるみたいな手つきは、ソフィーリアが大切だといつも指先から伝えた。
「怖くなかったか? あんな狼藉者を近付けさせてしまって悪かった」
「いいえ、ちっとも。だってヴィクトリスがいてくれるもの」
ソフィーリアの言葉にヴィクトリスは嬉しげに愛しげに双眸を細めた。
潤むような柔らかい春の風が、花の香りを吹き送る。
木々の間からは小鳥のさえずりが聞こえた。小さな嘴が木肌をつつき、ぷるぷると体を震わす小鳥が可愛い。
ソフィーリアとヴィクトリスの顔が近づく。
瞳にお互いの姿だけを映して、信頼と愛をこめて微笑んだ。くふふ、と幸福な笑い声がもれる。
華奢な指と長い指が、失なわれた片羽根を探すように交差しあって、絡む。
「愛しているわ」
「愛しているよ」
うららかな陽光の春爛漫。
イチャイチャする恋人たちのスパイスとなって、表舞台から10分で消えてしまったヒロインであった。
「カルテット、4/10000」というファンタジーを連載中です。
もしよかったら、よろしくお願いいたします。
読んで下さりありがとうございました。