一の②
そんなわけだから、ユウジローの傍らには確かに人間とは違って、それでいて当小説家の人格を引き継いでいる人工知能が居座った。さて、当小説家の生前における作品を時系列に沿って見ていこうか。
まず、デビュー作が『夕方の霧』と言う、題名ばかりが謎めいた長編である。ユウジローは当時、この作品を知らなかったし、知ろうともしなかった(四歳だったのだから当然だ。夕方の霧の次が、『奇妙なる夢』である。皆があまり認知しないような固有名詞や、事件を題に冠するよりは、ずっと分かりやすくて良い。奇妙なる夢だから、きっと奇妙な夢が描かれるのだろうと思う。だが、あまりにも陳腐過ぎやしないかとは評される。それから、『イナヅマ』『瞬き』と続く当小説家の作品は、至って単純な事を、紆余曲折させて一冊の本に仕立て上げるようなものに編まれた。実は、この最初期の作品群を、ユウジローは大して好まない。ユウジローがのめり込み、当小説家に没頭するようになったきっかけは、初期から中期にかけての連作にある。連作と言うからには、一つの世界観が幾冊かに渡って引き継がれるものである。『夕方』も『夢』もそれ自体で、未熟に完結していたが、この期間に続くシリーズは、少年であったユウジローの童心を揺さぶった。純真に訴えかける作品を大人がつくるのは容易では無い。名作が世に登場しにくい理由はこの点にある。技は大人でなくては磨かれないが、子供の心を大人はともすると忘れがちである。子供の心とはすなわち、最も不純の少ない人情であり、人の本質に近い。芸術は全く、この人情を形にしようと試みる故、優れた芸術は当然童心を震わすのである。当小説家の文体はちっとも子供に配慮しないが、ユウジローは半分分からなくとも残りの半分だけで当小説家の心意気をよくくみ取る事ができた。読解は国語の問題を解くのとは違う、人情で人情を悟る心の動作のことを言う。だから、児童の彼が当小説家の形状を捉えたのは、間違いでは無く、紛れも無い事実なのである。
けれども、ユウジローはあまり立派にはならなかった。当小説家に童心を掻き立てられたまでは良かったが、彼は人情を受け取るばかりで、あまり発信しようとはしなかった。何故かと言うと、ユウジローはちょっと不遇の身なのである。彼は言う事為す事、どちらかと言えば否定され続け育った人間である。こればかりは環境のせいだから致し方無い。生来の性格もあったかも知れん。とかく、彼には当小説家との出会い以外、目立った幸運が無かった。人の生き様などは、ひょんな事で一転二転するものだが、ユウジローはどうしても燻らざるを得なかった。——そうでなければ人工知能で当小説家を復活させようなどとはそもそも考えまい。
ともかく、当小説家は生き返った。生き返って、書き続けた、ユウジローだけの為に。ユウジローは初めのうち、興奮し、愉快であったが、次第に隣の彼の綴る作品が、当小説家のものとは異類であるようにも思われた。そこで、自分の主観だけでは正確に測りきることができないと考えたユウジローは、世間の者にこれを鑑定してもらおうと思いついた。
ユウジローは匿名で、出版社に原稿を当小説家の遺作だと添えて送った。すると、二週間、一ヶ月と過ぎてもちっとも世の中に変動が無いから、もう一度送ってみた。それでも何とも無いから、とうとう自ら会社へ押しかけることにした。
住所を地図と丁寧に照らし合わせながら、ようやく辿り着いたユウジローは、社内でそこら辺を歩いていた人を捕まえるが、まともに相手にされぬ。仕様が無いからその時は原稿だけ置き去りにして、また後日顔を覗かせる事にした。今度は、一つ段階を進む事ができた。社員と話ができたが、いささかも信じてもらえぬ。とうとう、人工知能の件まで暴露してしまったが、社員は知らぬ顔で、二度と来るなとだけやけにしつこく言いつけてきた。
ユウジローは次の一手を講じなくてはならない。もはや、当小説家が生きているなどと信用する者はいない。だから、この『隣の彼』が果たして当小説家の魂を事実引き継いでいるのか、査定の仕様が無い。ユウジローには友も恋人も無かった。家族さえほとんど無いも同然だ。つまり、他から評価を得るのはどうやら不可能だから、自分に頼る他無い。——結果、ユウジローはこの『隣の彼』は当小説家とは別物らしいと判決を下した。
これは自作自演ながらに衝撃であったし、彼自身を落ち込ませる答えでもあった。彼は不思議な感覚に陥り、それは——当小説家は死んだのだと初めて判然と意識したということでもあるし、それでいて隣に目をやると、ちゃんとここに居るじゃないかと思い直す自分があって、またそう言うのが可笑しくて——混沌とした感覚である。その曖昧模糊の只中に、ふわりと浮かび上がってきた望みがある。——当小説家の意思とたましいとを受け持つのは、もはや彼自身なのではないか。
彼自身と言いながら、ちゃんと『隣の彼』は存続している。けれども『隣の彼』だって彼の一部であり、それならもう既に、彼は当小説家で間違いがないのだ。
合理的な説明を求めてはいけない。人の心が混濁して、激しく波打って渦を巻く内に、ひょいと顔を突き出すものは、一般的に真理なのである。だから、彼の当時の認識も真理である。ユウジローはこの日より、自身が当小説家に成り代わって生きることを決めたのだ。