一の①
一
一匹狼は孤独の象徴である。彼は何が悲しくて群れを離れたのだろう。それを知るには直接、彼に尋ねてみなくてはなるまい。けれども、人間はどうしても狼とは意思疎通できそうもないから、どうやらこの疑問は今生解決されそうに無い。
では一匹人間と言うのはあるだろうか。生命と言うのは、やはり一人では寂しくて——兎などは寂しいとそれだけで死んでしまうと言うし——生き長らえてはいけぬのかもしれない。ただ、人間という生き物が集まると、それはそれで色々と面倒なことが起こる。人間が集まって、社会を形成すると言う。この社会と言うのは無形で、しかも属する者に絶大な圧力を加える不可思議な物質である。物質と書くと、違和感を生じる者があるかもしれないが、ここでは敢えて、社会と言うもののヘンテコな様を形容している。形を持たず、目に見えず、誰のものでも無いが、力を加えるからには物質である。——可笑しい。
ともかく、人間が集まると社会というものができる。社会というのは、狼の群れとはちょっと違っていて——狼に限らず他のどんな動物とも違うだろうが——秩序を編み出すのに損得勘定をいつ何時にも持ち出さなくてはならない。もっとも、厳密にこれは他の動物たちに大きく違う所ではないだろう。ただこの損得勘定が異様に緻密である。だから、人間の損得勘定の事を特別契約と呼ぶことにする。契約は、非常に面倒である。
契約とは言え、素直に履行されるとは限らない。守らなかった者は、弾劾されるべきだし、排除されなくてはならないと言うのが、何処にいるか分からない社会による指図である。かと言って、契約は事細かだから、常時履行する訳にもいかない。第二に、契約を誰と誰とが一体とりかわしているのかと言う問題だが、実はこれさえ定かでない。社会か? 社会には実像が無い。故、大手を振って僕は社会と契約をしていますなどと宣言すると、白い目で見られる。そもそも、当人にその契約を結んだ覚えなど到底無かろう。そうであっては誰と、とは言いがたく、それでいて人間として生きていると言うことはやはり契約はしているのである。
難問の謎解きをやりたいわけじゃない。要は、これからある一青年の始める事が、一体その契約に違反するのか否か、問いたいのである。
青年が何を試みたのか。彼はある人工知能の開発を試みた。
人を——生命を衝き動かすのは、欲である。何々したいに基づいて、人は行動を起こし、選択する。すると、青年の研究も、やはり欲を出所にしている。彼の欲とは、ある小説家の次回作が読みたいと言う、至極簡単なものであった。
その小説家は、夭折して既にこの世を去った。青年は——青年の名はユウジローといった——ユウジローは、熱心に当小説家を応援した者である。当小説家は、ユウジローの事をからきし知らない。けれども、ユウジローは当小説家を起こりから末までよくよく勉強しているつもりでいた。勉強する内に、彼が隣に居るような感覚にさえ陥った。また、家族のようにさえ錯覚した。だから、ユウジローにとって当小説家の卒爾の死は、本物でなかった。確かに、彼の肉体は滅びたかも知れない。が、元々ユウジローの傍らにいたのは、彼の歴史を積み重ねた人型であった。本物でなかったと言うのは、つまり、当小説家が死んでも、暫くユウジローにとって彼は生きていたのだ。ユウジローが彼の死に気づくきっかけは、砂時計である。砂時計は、砂が積もり切って静止画となる。ユウジローがふと傍らを振り向くと、当小説家は既にピクチャーであった。ピクチャーのままじっと動かなかった。ユウジローはこの、時を降らせることを忘れたピクチャーを、もう一度動かそうと試みる者である。
動かす燃料は、当小説家の意思で無くてはならない。そうでなくては、もはや当小説家は『当』を剥奪されて、ただの小説家と化す。第一に、当小説家が彼の横に確然と復活せねばならない。それでもって第二に、生きて活動するからには創作しなければならない。創作しない当小説家など、一俗人とそう大差はなくなる。よって、この頭脳は新作を発表し続けるのである。
人は評価されたいが故に、傷つくことを恐れ、嘯き、他人を傷つける。傷つけ合って、忌み合う内に、疲れ果てた世捨て人が芸術に走る。が、この芸術が広く世に認知され、高評価を受けると、再び人は俗事に心労する。——このような人情の陰影とは無縁の、常に傑作を生み出し続けるマシーンである。これがちょっとした革命を起こすだろう事は、想像に難くなかろう。
一匹人間など、居らぬ。居っても、きっと我々のような忙しい者には感知されぬ。人の世の歴史は、程無い内に途絶えるだろう。そんな中に、こうした面倒な事件が紛れても、目新しい分には良い。人は事件にうろたえ、蠢動し、ためらって、横暴になり、やがては収束して行く。儚き歴史に、一つ波を立てて飾るとすれば、きっと意義はあるのだろう。