第三話 少女と神父と
完結まで毎日17時に投稿します。
先程、エイミーと別れた小高い丘から見る限り、村は落ち着いているように見えていた。しかし、何かがおかしい…村に近づくにつれて、その思いは一層強くなっていく。
村はその全体を囲うように、人の背丈ほどの高さがある木製のフェンスで囲われていて、外から入るには門を通る他になさそうだ。つまり、ここが手紙にあった吸血鬼らしき男の立っていた場所ということだろう。
吸血鬼とは、ヨーロッパ各地の古い伝承に登場する、人間を襲って生き血を啜るという怪物である。かなり強力な不死性を有しているとされ、教皇庁においても人狼に匹敵する人類の天敵と見做されているものの、これまで実際にその存在を目にすることはほとんどなかった。
人狼と違い、元々その数が多くないせいか、或いは隠蔽が上手なのかは定かではないが、教皇庁に残る過去の討伐記録にも吸血鬼に関するものはほとんどなかった。かろうじて、数代前のエクソシストが遺した記録にそれと思しき怪物との交戦記録が残っていたが、それによれば吸血鬼は尋常でない怪力を持ち、死体を操る能力を持つという。
またその性格は極めて狡猾かつ残忍で、首を切り落とすか、心臓を破壊しなければ死ぬことは無い不死性をも備えている。見た目にはほぼ普通の人間と大差がないようだが、およそ人間とは思えない鋭い牙と紅い瞳を持っているのが特徴であると記録には残されていた。
ただ、これは伝承に残されている情報とほぼ同じものであり、有益な情報とは言い難かった。
村の中に入ると、大きな広場があり、その中心には井戸が設置されていて、そこから放射状に道が出来ていた。入口の門から見て広場の右側が住宅街、左側には、広場に面した小さな商店と酒場があって、さらにその奥には教会が見えた。さらに正面奥にある森の手前には、いくつかの家畜小屋が見えている。農村にしては、そこそこの規模の村のようだ。
「先に教会へ行ってみるべきか?」
独り言ちながら、クリストフは先程から感じていた違和感の正体に気付いた。
広場に、特に本来ならたくさんの住人が集まっているであろう井戸の周辺に誰もいないのだ。初めは、やはり住民が全滅してしまったのかと思ったが、広場に面した住宅から、いくつかの視線を感じるので、誰もいなくなってしまったというわけでもなさそうだ。
住民達は、流行り病が蔓延していると思っているのだろうから、外に出ず、息を潜めて生活をしているということか。しかし、それでは早晩生活が成り立たなくなってしまう、なんとしても、この事態を早期に解決しなくてはならない。
その為にも情報を仕入れたい所だと、商店や酒場を覗いてみたものの、どちらも人の気配はなく、営業していない様子だ。
古今東西、情報収集するなら、酒場で話を集めるのが一番手っ取り早いものだ。酔っぱらいの集まりだけに真偽不明のものも多いが、酒は隠し事をつまびらかにする効果も高い、話の種を手に入れさえすれば、後は精査するだけでいい。この際、酒場だけでも開いていてくれれば助かったのだが。
一件一件各家を回って情報を集めてもいいが、効率が悪い。そもそも、流行り病を警戒している住民が、余所者の自分を受け入れて話をしてくれるとも思えない。やはり、ここは教会で先遣隊の情報を得るべきだと思い至った所で、身体の大きさに見合わない桶を持った少女が、歩き難そうに井戸へ近づいてくるのに気付いた。
「よいしょ…よいしょ…!」
少女はまだずいぶんと幼い容姿をしている。エイミーよりもさらに年下だろう、精々7つか8つくらいの年頃に見えた。そんな少女が自分の背丈ほどもある桶を抱えて歩いてきたので、クリストフは慌てて少女の元へ駆け寄り、手を貸してやることにした。
「君、大丈夫かい?手伝うよ」
「わあ、お兄さんありがとう!」
屈託のない笑顔で礼を言う少女から桶を借りて、水を汲んでやると、たっぷりと水の入った桶はそれなりの重さになった。とても子どもに持てる重さではなさそうだ。
「よっと、これは君じゃ持てないだろう。お父さんかお母さんは?」
「お母さんは病気で寝てるわ。…お父さんはいないの」
少女の表情は少し翳りを見せたものの、気丈に振る舞っているのか、すぐに明るい笑顔を取り戻してみせた。
「そうか…じゃあ、俺が家まで運んであげるよ。お家はどこかな?」
「いいの?…お兄さん良い人だね!ありがとう!こっちよ!」
少女は一瞬不安そうにクリストフの顔色を伺ったものの、すぐにまた笑顔を見せて、踊るような軽快さでクリストフを案内してくれた。その間に、少女はクリストフにあれやこれやと質問をしながら楽しそうに笑っている。
(村の雰囲気から言って、こんなに明るく笑える子が残っているとは思えなかったが…強い子なんだな)
そんな事を考えていると、広場から2~3件ほど奥に行った所で少女の家に到着したらしく、少女は玄関を開けて、お母さーん!と叫びながら家の中へ入っていった。後を追うように、クリストフも家内へ向かう。
家の中に入ってみると、室内には病人特有のすえた匂いが充満していて、とてもではないが、いい環境にあるとは言えない状態だ。
少女に案内されて、薄暗い寝室に入ると、母親と思しき女性がベッドの上で苦しみ悶えていた。
すぐさま水の入った桶を脇に置き、「失礼」と声をかけて、女性の身体をチェックする。
「ア、アア…!ウアアア…!」
女性は苦しみの余りか、瞳は焦点が合わず、唸り声を上げるだけで、少女やクリストフの事も理解出来ているか解らない。また、高熱と痙攣、それに酷い衰弱が確認できるが、脈は異常なほど強く激しい鼓動を打っている。
「これは…いつからこんな状態なんだ…」
クリストフの口から、思わず声が漏れた。正直に言って、この状況では後数日保つかもわからない有り様だ。
対処療法としてヒールをかけ、荷物の中から清潔な布を取り出すと、ちょうどいい大きさに切る。それを先程汲んできた水で湿らせると、それを口に咥えさせてほんの少しずつ水分を摂らせることにした。
こんな回りくどい事をせずに直接水を飲ませてやりたい所だが、ここまで衰弱していると、まともに飲み込むことが出来るかも怪しい。かと言って、まだ新しい医療行為である点滴を打つには、道具も場所も足りない。熱性けいれんで舌を噛ませないためにも、今はこれで様子を見る他なさそうだ。
一先ずの処置を終え、クリストフが振り向くと、少女はニコニコと笑みを浮かべながらこちらを見ていた。その笑顔を見た時、ほんの一瞬違和感を覚えたが、少女が視線を外し、母親の手に縋りつく時には消え去っていた。
「お母さん、さっきより苦しくなさそう…お兄さんありがとう!」
「…ああ、どういたしまして。それはそうと、君は食事はどうしているんだ?」
「夜には神父様がご飯を持ってきてくれるから、それを食べているの」
母親がこんな状態ではと少女の身を案じたが、そこはどうやらうまくやれているらしい。
「そうか」と一言返事をして、クリストフは胸を撫で下ろした。
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