第二話 教皇の依頼
完結まで毎日17時に投稿します。
二日後、クリストフは馬車に揺られながら目的地へと向かっていた。あの後、教皇から持ち掛けられた話によると、教皇の従妹にあたる人物の孫が嫁いだ先の村で、異変が起きているらしい。
それは流行り病のようで、罹った人間は原因不明の高熱を出し、狂ったように暴れ苦しんだ後、命を落とすのだそうだ。だが、それだけならばまだ良かった。本当に奇妙なのはその後である。
その村では、夜になると流行り病で命を落とした者たちが墓から這い出て、歩き回るのだと言う。場合によっては人や家畜を襲うこともあるようで、今やその村はかなり危険な状態にあるようだ。それを知らせる手紙が教皇の元に届いたのは、一月程前の事だった。
その手紙を出した教皇の親戚は、すぐに村を出ているので無事らしいが、深刻な事態であれば、放っておくわけにはいかない。教皇は、すぐに手配をし、悪魔祓いを主任務とするエクソシストを3名と医者を2名、現地へ派遣した。だが、それっきり彼らとは連絡が取れなくなってしまったというのだ。追加の人員を送ろうにも、何が起きているのかが解らない。
加えて、エクソシストはあまり数が多いわけではない為、これ以上、迂闊に人を割くことも難しい。
困り果てた教皇は、遂に旧知の仲であるクリストフを頼った…という次第である。
クリストフは、エクソシストが本来の役目ではあるが、多少なりとも医学の心得もある。この事態の解決には、打って付けの人選と言えるだろう。それにしても、今気になるのは問題の原因だ。話と共に、教皇に届けられた手紙そのものも読ませて貰ったが、その内容は、中々に衝撃的な内容だった。問題は病による致死率や死体が動く…ということではない。手紙の送り主が、件の病が蔓延る直前に見たという人影についてだ。
もしそれがクリストフの想像通りなら、村はかなり悲惨な事になっているだろう。手紙が送られてきてから今日までの期間を考えれば、場合によっては、村の住民は既に全滅しているという事も十分有り得る。もちろん、先遣されたエクソシスト達の連絡が付かない理由も…
一応、それを想定した準備や対策をしてはきたが、何分クリストフにとっても未知の相手だ。ただのリビングデッドや、人狼を始めとした怪物達、もしくは悪魔との戦いに関しては経験があるものの、今回の相手は初めてのケースだった。出来れば予想が外れて欲しいと願いながらも、戦闘になった場合の想定を始めた頃、御者台から、元気のよい声が届いた。
「神父様ー!もうすぐ目的地に到着しますよ!」
「…ああ、解った。ありがとう」
馬車の窓から外を見てみると、遥か遠くに断崖と水平線が見えた。目的の村は、もうすぐそこだ。
「いやぁ、神父様をお乗せする時は、馬の調子が良くて助かります。」
ニコニコと笑いながら、御者の少女が荷下ろしを手伝ってくれた。
「こちらこそ、いつもすまないな、エイミー。君は若いのにしっかりしていて助かるよ」
クリストフはエイミーの頭を撫でながら礼を伝える。
エイミーは、教皇庁に仕える御者の一族の少女だ。彼女はまだ11歳になったばかりで歳若いが、馬の扱いに関しては天才的だし、よく気が付くので同僚達からも可愛がられている。現在、怪我で一線を退いている父親に代わり、最近ではすっかりクリストフの専属のようになって御者を務めてくれているのだが、クリストフが悪魔祓いを主任としたエクソシストであることは知らされていない為、少し可哀想な思いもある。
(悪魔祓いの為の移動を手伝わせていると知ったら、泣かせてしまうかもしれないな)
神父になるには、それなりに経験や年齢、それに学びが必要だが、修道士の見習いや小間使いに関しては年齢制限のようなものはあまりない。さすがに御者を務める子どもはエイミーの他にいないが、悪魔祓いの手伝いに子どもを使うのは気が引ける。
それでなくとも、特に子どもには悪魔や怪物などは恐怖の対象であろう。
大人の同僚たちでさえ、それらを目の当たりにすれば気絶するほど恐怖を感じる者たちも少なくないのだ。何度か話そうかと思った事もあったが、わざわざ怖がらせることもないかと、クリストフは未だに事情を話せずにいる。
荷物から給金の入った革袋を取り出して、エイミーに手渡した。かなりずっしりとしたその袋の重さは、エイミーにも想定外だったらしく、受け取ろうとして、危うく取り落としそうになっていた。
「こ、こんなに頂いていいんですか!?村まではまだ距離がありますけど…」
「構わない。今回の仕事は少々危険だからな…本当は君に頼むべきではないと思っていたんだ。これはそのお詫びだと思って、何も言わずに受け取ってくれ。」
「そ、そうだったのですか…」
エイミーから、ごくりを生唾を飲む音が聞こえる。彼女らのように教皇庁に仕える立場としては、どんな危険な仕事であっても、命じられればそう簡単に断ることなど出来はしないのだが、エイミーのような子どもを、そんな危険な場所に近づけるのにはやはり誰しも抵抗があるものだ。ただ、クリストフには事情があって、エイミーに仕事を頼むしかなかった。
クリストフは、教皇庁の神父達の中でも特に珍しい力を宿している。自然界に存在する数多の事象、それらを再現する奇跡の御業…教皇庁ではそれを『神の法』または『法』と呼ぶ。それらは傷を癒したり、生命活動を促進させて解毒をする事も出来るし、魔を払い、邪を退ける結界を張ることも出来る。熟達すれば、限度はあるが肉体の強化も可能だ。怪物たちと互角以上に渡り合う『不死のクリストフ』にはそんな秘密があった。
エイミーの頭を撫でたのも、持続型回復の法『リジェネ』をかけるためだ。
自分が馬車の中にいるのならば、こっそり『ヒール』をかけて疲れを癒してやることもできるのだが
さすがにここからは別行動になるので、しばらく効果の続く『リジェネ』をかけて、出来るだけ帰り道の負担を軽減してやりたかった。
同様に、馬車を引く馬達を撫でてやりながら、疲労を軽減してやる。これで昨晩逗留した近くの村までは持つだろう。他の御者に仕事を頼み辛いのは、これが原因である。
『法』を扱うには、神の祝福を得た人間だけが持つ力、法力を使う必要がある。
法自体は、訓練次第で使いこなせるだろうが、個人個人が持つ法力には限界がある、それはある種の才能と言ってもいい。その為、扱えるものが多くはいないのが欠点である。
また、おいそれと法の存在や技術を広めれば、悪用するものがいないとも限らない。法はあくまで、教皇庁の秘匿技術とされているのだ。それ故、クリストフの力を知っているのは、同じ力を持つ一部の同僚達か、上司であるダニエル司教や教皇、そして検分役を務める司祭達くらいのものである。
さらに言えば、クリストフが乗った時だけ馬の調子がいいなどという噂が出回ってしまえば、他の同僚達に疑われたり、やっかみを産む可能性もある。何も知らない人間からすれば、これは異端の力…俗に言う『魔法』や『魔術』と大差ないのだから。
元々、エイミーの父親であるジョナサンが、事情を知った上で専属の御者を買って出てくれていた為にその流れで、エイミーに仕事を頼むようになったのである。今は一時的に仕事を休んでいるが、怪我が治ればまたジョナサンが復帰してくれることだろう。その時まで、出来るだけ多く仕事を回して給金を弾んでやりたいと、クリストフは考えていた。
「では、私はこれで。お迎えは一週間後でよろしいですね?」
荷物の降ろし忘れがないよう確認した後、エイミーは御者台に乗って、クリストフに聞いた。
「ああ、それで頼む。それと、もし俺が現れなくても決して、あの村には近づかないように。あの村には危険な伝染病が蔓延している可能性があるんだ。万が一、一週間後の同じ時間に俺が現れず、一時間程待っても姿が見えなかったらすぐに引き返して、これをヴァチカンのダニエルという司教に渡してくれ。…いいな?」
そう言って、クリストフは懐から一通の手紙を取り出し、エイミーの手にしっかりと握らせた。
黒い封蝋の付いた手紙…それは、任務の失敗を示す符丁である。エイミーもそれの意味くらいは理解しているので、言葉も出せず冷や汗を流しながら頷き、その手紙を大事そうに懐にしまいこんで、馬を走らせ、その場を後にした。
「頼んだぞ。…さて、行くか、吸血鬼の巣へ」
そう呟きながら、クリストフは教皇から見せられた手紙の最後を思い出す。
―ああ、教皇様、私は頭がおかしくなってしまったのでしょうか?しかし、私はこの目でハッキリと見たのです。流行り病が蔓延る直前の月夜の晩、村の入口でうすら笑いを浮かべて、血塗られたような紅い瞳を輝かせ、獣より鋭い牙を生やした男が佇み、こちらをじっと見つめているのを…―
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