第十一話 悪魔
完結まで毎日17時に投稿します。
三日月の浮かぶ夜空の下で、一人の少女が屋根の上に座って何かを眺めている。昨日、クリストフが村に到着してすぐに出会った、あの少女だ。
空中へ足を放り出し、ブラブラと揺らす姿は、まだ年端もいかぬ少女らしい姿に見える。その傍らに、首の肉を半分以上噛みちぎられた神父風の男の死体がなければ、だが。そんな少女から数歩分離れた場所に霧が立ち込めると、それは深紅のドレスを身に纏った美しい吸血鬼へと姿を変えた。
「あ、おばさんだー!こんばんは、いらっしゃい」
少女は、それを全く気にする様子もなく、無邪気な声で挨拶をした。まるでよく見知った近所の知人に出会ったかのような気軽さだ。美麗の吸血鬼―カーミラもまた、少女の行いを気にするでもなく、冷たい目で彼女を見据えていた。
「おばさんの事、ずっと見てたんだよ?魔法、凄かったね!」
普通の少女であれば、瞳を輝かせて語る所のはずだというのに、彼女の場合、その瞳には一切の光が無く、まるで穴が開いたように暗黒の闇が広がるばかりだ。対するカーミラの紅い瞳は、月明かりを受けて、より一層に輝きを増している。
「あら、そう。お望みならいくらでも見せてあげてもいいけれど…その前に貴女に聞きたいことがあるの、いいかしら?」
「ん?いいよー。なにかな?」
少女は、どんな質問が来るのか楽しみで仕方がない様子だ。揺れる足の動きは早くなり、身体全体までが振れている。
「貴女の父親と、母親の事は解るかしら?」
「パパ…?うーん、しらない!ママも知らないなぁ、だって、わたしが生まれたときにはもう死んじゃってたから」
あっけらかんと語る少女は、一欠片の寂しさも感じさせる事なく他人事のように答えて、話の続きを待っている。その姿に、カーミラはたっぷりと憐れみを込めて言葉を続けた。
「そう、貴女は何も知らないのね。じゃあ、ローラという名前に聞き覚えはない?」
カーミラの言葉を聞いた途端、先程まで天真爛漫な笑顔を見せていた少女は、スッと虚ろな表情になって空を見つめていた。その横顔を見て、よく似ている…とカーミラは思った。
自分達、始祖の同胞を裏切り、魔王にすら反目して人間界へ去った女吸血鬼。カーミラが誰よりも愛した、ただ一人の妹であり、恋人でもあった存在…『ローラ』に。
だからこそ、許せない。
そのあどけない顔は、カーミラにとって唾棄すべき対象にしか映っていなかった。
「地下墓地で見つけたあの吸血鬼の死体…貴女の産みの親は子を宿していたのね。ローラは、それを利用した。まだ胎児ですら無かった貴女に自らの因子を植え込む事で、母親がどうなるかを見たかった…そんな所でしょうね」
人間を吸血鬼とするには、処女や童貞でなければならないという制約があるが、宿した子どもが吸血鬼となった場合は、その母親がどうなるかは解らない。
ただ、親から子へ影響があるとするならば、子から親へもまた影響があるはずだ。恐らくローラは、単なる好奇心でそれを試したのだろう。そして母親が下等吸血鬼化したのを確認して満足し、あの地下墓地で殺したのだ。あの死体に一切抵抗した形跡が無かったのは、ローラが主として支配していたからだとカーミラは予想していた。
ローラという女吸血鬼の事は、誰よりもカーミラが一番理解している。そういう事を平然とやってのける性質の持ち主であると。
それにしても、とんでもない事をしてくれたものだと、カーミラは思った。ここにいるのは人としての倫理や思考を持たず、かといって、吸血鬼として或いは魔王に従う魔族の一員としての知識や気概もない、ただ力のみを持って産まれた子供…正真正銘、純血の吸血鬼の因子によって誕生した、始祖の直系だ。
死体を組み合わせて、新たな怪物を創り出したのもこの少女だろう間違いなく彼女は、下等吸血鬼より上位の存在となっている。そんなものが人間界で野放しになっているなど、魔王は決して許しはしない。
いずれ来る天界の軍団との戦争に備えて、魔王は確かに戦力を欲している。だが、魔王が何よりも警戒しているのは、それの時期が早まる事だ。もしこの少女のように、悪魔達が人間界で好き勝手に暴れ回れば、神は確実に目を付けるだろう。未だ神の軍団に勝つ見込みすら見えない状況で、天界から攻め込まれる事こそが、魔王にとっては最も痛手であり、避けねばならない状況だ。
かつて、魔王が神に反逆した際、彼が敗北した相手は、弟である大天使ミカエルであった。筆頭の大天使として神に迫る力を持ちながらも、ミカエルに勝てなかった理由を、魔王は考えた。
当時、彼の反逆に付き従い堕天した天使達も大勢いたが、その多くは高位の天使達ではなかった。当然下位の天使達では、大天使達と渡り合える存在などいるはずがない。つまり、魔王は神の軍団の内、高位の大天使達を全て相手にしなければならなかったと言う事になる。ここに敗北の原因を見た魔王は、堕天の後、魔界において自らの右腕となる戦力の確保を最優先に考え、現在に至っている。それを台無しにするような真似は、許されるわけがないのだ。
ただ、この少女が戦力として優秀なことは間違いない。カーミラの個人的な思いは別として、言っておかねばならないことがあった。
「一応聞いておくけれど…貴女、私と一緒に魔界へ来る気はない?」
「魔界?」
「ええ、私達、始祖吸血鬼の故郷…全ての魔族の生まれた場所よ。
貴女なら、きっと喜んで迎えられるわ」
胸に詰まる不快感を堪えて言葉を告げると少女は当初とは別人のように豹変して、激しい感情を露わにした。
「それで?ママを玩具にした連中の仲間になって暮せって?…冗談じゃないわ。私はアンタも、私やママの人生を滅茶苦茶にした奴も絶対に許さない!」
怒りに満ちた少女の叫びが、周囲に木霊する。すると、彼女の身体からドロドロとした黒い靄が染み出して、あっという間に村全体を包み込み始めた。地下墓地で嗅いだものよりも更に酷い死臭を放つそれは、月の光すら遮って、漆黒の闇を齎した。
「…懐かしい匂いね。本当は、魔界に焦がれているんじゃなくて?」
「うるさい!」
少女は激昂し、その身体から強烈な魔力の塊を放って、座っていた屋根ごと建物を破壊した。カーミラはそれをふわりと空中に飛んで避けると、スカートを片手で抑えながら、ゆっくりと地面へ降りた。対して、少女は背から翼を生やして空中に浮かびつつ、カーミラを睨みつけている。
「この村の連中は、ママを見殺しにしたんだ!あの吸血鬼が村に来た時、自分達が助かる為に私を差し出した!それを忘れて、暢気に暮らして…許せない!だから、皆殺してやった!アハハハハ!」
高笑いする少女は、既に自分と母の意識の区別が出来ていないようだった。カーミラがクリストフの血から、彼の人生を知り得たように少女は母親の死体から、その全てを取り込んだのだろう。それが自我を持たぬ赤子であったが故に、母の知識や経験を吸収したことで、その意識は溶け合い、混ざりあってしまっている。
「もっと…もっと殺してやる!お前達吸血鬼も、人間も!私を救わなかった神も!皆殺してやるんだ!」
もはや、少女の心には憎しみと殺意しか残っていない。彼女は吸血鬼でありながら、母親の亡霊を取り込んだ怨霊というべきモノになり替わっていた。
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