第十話 対決
※グロ表現があります、苦手な方は読み飛ばして頂きますよう、お願い致します。
完結まで毎日17時に投稿します。
緩い螺旋状の階段を登り始めると、ほのかに甘い匂いが感じられる。どこかで嗅いだような、覚えのある匂いだ。階段を昇っていくと、段々とその匂いは強くなっていった。
「この匂いは…教会のキッチンで嗅いだあれか。ということは、この先は居住スペースと繋がっているのか」
「ふぅん…」
クリストフの言葉に、カーミラは興味がありそうな無さそうな態度を見せていたが、次第に匂いが強くなるにつれ、その表情には酷く邪悪さが滲む笑みが零れ始めている。
階段を昇り切ると、クリストフの背丈の倍はある大きな扉が現れた。鍵は掛かっていないようで、ノブを回せばあっさりと開いていく。扉を開ききった先の部屋には、世にも悍ましい光景が広がっていた。
腑分け場のようなその部屋は、どうやら元は死体安置所だったようだ。
今や人間の加工場と化した室内には、大人や子ども、或いは男女の区別もなく、いくつもの人間の死体が所狭しと並んでいた。中には皮を剥がれ、解体されかかっているものもある。壁や床は飛び散った血や体液で汚されて変色しており、元の色がどんなものだったのかも解らない。腐臭立ち込めるミンチ機の中で加工途中の肉が何の肉なのかなど、考えたくもない。
また、首を刎ねられ、天井から逆さに吊るされた死体からは血が抜き取られているようで、その下には大きな盥に一杯の血が湛えられていた。その傍に置かれたワイン瓶には見覚えがある…昨晩、コバーンが飲んでいたのと同じものだ。
他にも、解体されてそれぞれの死体から抜き取られた内臓や脳は、無造作に置かれているものもあれば、調味料と共に鍋に入れられて煮込まれているものもあり、明らかに食べかけのものさえあった。
そして、先程から強くなっていた匂いは、扉の傍にあった蒸留器で血液を蒸留し、香料を混ぜ合わせたもののようだ。
「酷いな…」と呟き、思わず顔を顰めるクリストフ。いくつもの戦場を経験し、時には悪魔崇拝者の儀式なども目の当たりにしてきたが、ここまで陰惨な光景を見るのは初めてだった。
「元人間の下等吸血鬼らしいわね。血液だけじゃ飽き足らず…と言った所かしら」
見下すような口振りで事も無げに語るカーミラの口元には、嘲笑うかのような笑みが浮かんでいる。悪魔である彼女にとっては、この光景は取るに足らないものなのだろう。
一方、部屋の一角にトロフィーのように飾られている子供の首を見て、クリストフは今までにないほどの怒りに身を震わせた。
「コバーン…あの男…!」
思わず斧を持つ手に力が入り、ギリギリと握り込む音がする。その時、突如として地下墓地から続いたものとは別の扉が開くと、逆光の中に紅い目を光らせた男…コバーン神父がそこに立っていた。
「ぬぅ?誰だ!?どうやってここに入った!」
「コバーン!貴様ぁっ!!」
いくつもの死体を飛び越え、クリストフがコバーンに飛び掛かった。
コバーンは一瞬の内に身を翻し、横一線に放たれたクリストフの斧の一撃を躱すと、隣のキッチンへ飛び退る。そこへ、尚も肉迫しようとするクリストフの真横に何者かが飛び込み、強烈な蹴りを放った。クリストフはそれを咄嗟に防いだが、身体は大きく吹き飛ばされ、キッチンの壁を突き破り、礼拝堂へと投げ出された。
すぐさま体勢を立て直し、睨みつけたその先には、三人の神父が立ち塞がっていた。
「カール!コンラッド…!」
コバーンと共にクリストフの前に立つのは、行方不明になっていた三人の内の二人。アベルに従っていたはずの、狂信の兄弟達だ。
(アベルがいない…?どこだ?)
視線は外さず気配を探るが、近くには感じられない。一方、先程の攻撃が頬を掠めたのか、わずかな傷口から血を垂らしながら、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて、コバーンが口を開く。
「まさかあの爆発で生きていたとはな…!どうやって地下墓地に入ったのか知らんが、まぁいい。それよりどうだ?同僚との再会は?この二人は童貞だったんでな、手下として使わせてもらっているよ…!」
ゲラゲラと笑いながら、コバーンはカールとコンラッドの肩に手をかけた。二人の瞳に光は無く、意識があるようにも見えない。まるで、話に聞く蝋人形のようだ。
(アベルはかつて異端審問官だった頃に妻帯し、子供もいたと聞く…そうか、彼は…)
この場にいないアベルは、二人と違い殺されてしまっているのだろう。目の前にいるカールとコンラッドも、既に死体なのかもしれないが…クリストフの心に、より一層の怒りの炎が燃えた。その内心はどうあれ、仮にも神の使徒たる者達を死後も辱めるコバーンの行いは、決して許せるものではない。
「コバーン、貴様は絶対に許さん…!」
「ハッ!吠えるがいい!俺は吸血鬼…!人間など遥かに超越した存在になったのだ!この圧倒的な力の前には、貴様らなどただの食糧にすぎん!その上、この二人もいるのだぞ、勝ち目があると思っているのか?」
そう勝ち誇るコバーンの背後に、音もなく立つ影が一つ。
次の瞬間、コバーンは身を屈めたが、首から勢いよく血を吹き出した。カールとコンラッドは、瞬く間にその影に向き直り、手にした剣を突き立てようとする。
しかし、影は一瞬の内に霧へと姿を変えて、クリストフの横へ移動した。
「あらあら…勘の良い事。首を刎ねてやろうと思ったのに、惜しかったわね」
霧はゆっくりと形を変えて、やがて美しい女性―カーミラが姿を現した。
「お前は…!?あの純血の吸血鬼か!き、貴様まで生きていたとは…!」
ドクドクと流れていた血は、コバーンが首を押さえただけで傷口が塞がり、既に止まっている。肉体的なダメージはあまりないようだが、精神的には、かなりうろたえているように見えた。
「愚かな子…たかが下等吸血鬼如きが、超越した存在ですって?フフ、冗談のセンスも下等ね」
指に着いたコバーンの血を舐めて、カーミラは嘲笑う。
「…ああ、不味い。全然ダメだわ、貴方。ここにいるクリストフの方が、よほどいい味をしているなんて」
ペッと血を吐き出して、カーミラは顔を顰めた。「良い所が何もないわね」と吐き捨てるように付け加えて。
「ぬぅぅ…!黙れ、魔王の犬が!貴様なぞがあの方から頂いた力を愚弄するなど、許さぬ!」
「ああ、そう。貴方、そうなのね?人間を下等吸血鬼に変えるなんて、アレのやりそうなことだけれど…今の血で知りたかった事はもう解ったし、後はクリストフが始末してくれるでしょう」
そう言うと、カーミラはクリストフの耳元に顔を近づけ「あの二人の人間はもう手遅れよ。…それと、私はやることが出来たからもう行くわね」と囁き、再び霧となって、姿を消した。
「止めろ、気色悪い…!って、聞いちゃいないか」
囁かれた耳を肩で拭いながら、さらに斧を強く握り込む。
「I am the Lord your God. Take your right hand and say, "Don't be afraid, I'll help you."
(私は主、あなたの神。あなたの右手を取って 「恐れるな、私があなたを助ける」と告げる。)」
聖句を唱えると、クリストフの全身がわずかに輝き、やがて光は消えた。法による身体能力の強化術、彼の最も得意とするモノだ。
「な、なんだそれは!?」
まるで魔法を使ったように見えたのだろう。法の存在を知らないコバーンは、初めて目にする神の奇跡に驚愕し、恐れ戦いた。
「さぁな。だが、お前が神を捨てて手に入れた力など、大したものでもないということさ」
「ふ、ふざけるな!そんなまやかしなど…やれ!二人とも!!」
コバーンの命令を受け、カールとコンラッドはクリストフに襲い掛かった。歴戦の騎士でもある二人の動きは素早いが、妙にどこか単調で、以前見た時よりも精彩を欠いている。隙だらけにただ真っすぐに突いてくるだけの攻撃など、クリストフの知る二人であれば、あり得ない攻めだ。
その上、連携というには烏滸がましいほど、二人の動きがズレていた。兄弟ならではの息の合った連携こそが彼らの真骨頂だったというのに…
まずはカールが先に剣を突き込んでくるが、クリストフは素早く半身をよじって躱し、抱き込むようにして左腕で首を極め、力任せに首を折る。次にそのまま、突き込んできたコンラッドの剣を右手の斧で弾き、体勢を崩させると、返す刀でコンラッドの首を刎ねた。
「な…!ば、バカな!?」
「やはりこの二人は人形のようだな…お前が操っていたんだろう?本来の二人の連携なら、こうはいかないはずだ」
そう言って、腕を離し、崩れ落ちたカールの首をも切断する。斧に仕込まれた聖水の効果も相まって、仮に吸血鬼であったとしても、これでもう復活はできない。心臓に打ち込むべき杭は荷物と共に消失してしまったので、こうする他に手段はなかった。
同僚への悼む気持ちを滲ませながら、クリストフはコバーンを睨みつけた。二人への仕打ちだけでなく、先程垣間見た残忍極まりない行状を思い起こせば、決してこの男を楽に死なせたいとは思わない。だが、クリストフは復讐者ではなく、あくまで神の法を守る番人だ。
私情を持って罰を下すつもりはない、何故なら、罪人に罰を下すのは神の行いだからだ。己を滅し、ただ神の代理人として職務を果たす。そうでなければ、ならない。…はずだ。胸を焦がす激しい怒りの炎は、再び鈍い痛みとなって燻り始めていた。
「や、止めろ…!よせ、来るなァっ!!」
追い詰められたコバーンが、怒りに身を任せて突撃でもしてくれば楽だったが、彼は絶叫しながら手近な椅子などを投げて抵抗するばかりだった。無理もない、たった今、目の前で腕自慢の二人が瞬殺されたのだ。クリストフの想像通り、二人の身体を動かしているのはコバーンだったが、動きの速さや力は、鍛え抜かれた本人のものである。
それが通用しなかったということは、コバーン自身が向かってきた所で、たかが知れているだろう。最も、そこまで読んで動かないのではなく、単に恐れから攻められないというだけだが、結果として、命を長らえる形になっていた。
「いい加減、観念するんだな…!」
「ヒィィィッ!!!」
投げつけられた家具を叩き落としながら、歩を進めるクリストフの姿に、コバーンは腰を抜かして叫び声を上げ、少しでも逃れようともがいている。こんな奴の為にあれだけの人々が犠牲になったのかと思うと、クリストフは更に怒りを募らせた。
そして、コバーンを祭壇前まで追い詰め、とどめを刺そうとしたその時、じっと祭壇の陰に隠れて身を潜めていたリザが飛び出し、クリストフに抱き着いてその動きを抑え込もうとした。
もちろん、普段のクリストフであれば彼女を切り伏せる事は容易に出来ただろう。それが出来なかったのは、リザの姿がダブったからだ。遥か遠い昔、まだ彼が別の神の御許に生まれた未熟な青年だった頃、心から愛した女性の遂げた、最期の瞬間と…
「リザ?!…フハハハ!よくやったぞ、そのまま二人とも、死ねっ!!」
コバーンはその好機を逃すまいと、即座に鋭い爪を立てて、リザとクリストフの首を刺し貫いた。瞬く間に周囲には夥しいほど大量の血が流れ、その血溜まりの中へ二人の身体は沈んでいった。
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