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千代子冷凍工場の秘密  作者: 矢本MAX
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チョコレート工場は、いわば夢の工場です。

そしてそこには、どんな秘密が隠されているのでしょうか?

あなたの心は、しばしの間、この不思議な空間へと入って行くのです。

 6

「ようこそ、私のチョコレート工場へ」

 そう言って老人は、僕を工場の中へと招き入れてくれた。

 この人が、この工場の社長らしい。

 急激な展開に戸惑いつつ、彼の後ろに従った。

 短い通路の先に、白い扉があり、近づくと、自動的に開いた。まるでデパートのエレベーターみたいだと思った。

 扉の向こうには、細かい穴の空いた金属板に囲まれた小さな部屋があった。

「ここは前室と言ってね、エアシャワーで衣服に付着したゴミやホコリを風で吹き飛ばすんだよ、ほら」

 言って老人が壁の際にあったボタンを押すと、上下左右から温風が吹き出して、衣服や髪の毛をはためかせた。最初はびっくりしたけれど、かつてない経験に、ちょっと興奮した。自分がSF映画の中に入ったような気分だ。

「ここは食品工場だからね。製品にゴミが付着しないように注意しているんだよ」と老人が説明してくれた。

 さらに次の部屋では、白衣と、ネット付きの帽子、そして薄いビニールの手袋を着用し、さらに大きなマスクで鼻と口を覆った。

 食品会社というのは、ここまで厳重に衛生管理するものなんだなと感心した。

「さあ、この先がいよいよチョコレート工場だよ」

 扉が広くと同時に、それまで幽かに漂っていたチョコレートの香りが、一気に押し寄せて来た。

 小学校の体育館よりも何倍も広い空間に、何本ものベルトコンベアが複雑に並び、銀色の型に注入されたチョコレートが、大きな機械の中で瞬間冷凍され、それがひとつひとつビニールの袋に包装されて行く。

 すべての行程はオートメーション化され、人間の従業員は、ただそれを監視しているだけだ。

 いや、人間ではなかった。

 監視員はみんな、同じ背格好で同じ顔をしていた。

 それは、今ラインを流れて生産されている、千代子冷凍の、あの少女の姿かたちそっくりだった。

「あれらはすべて、精巧につくられたアンドロイドなのだよ」

「アンドロイド! そんなものがもう発明されているんですか?」

 僕の知る限り、一九六九年にはこんな精巧なヒューマノイド型ロボットが実用化されてはいないはずだった。それはまだ、映画やテレビドラマやアニメの中の絵空事でしかなかった。

「君が疑問に思うのは無理もない。君の今いる時代の科学技術ではまだ、これらのアンドロイドというかAIロボットをつくることは出来ないからね。しかしこのチョコレート、いや千代子冷凍工場は、二〇三〇年の技術で稼働してるんだよ」

「二〇三〇年?」

 あまりに意外な言葉に、びっくりして老人の顔を見上げた。

 彼は判決を告げる裁判官のような厳粛な顔をしてうなずいた。

「つまり、この工場自体が巨大なタイムマシンなのだと思ってくれたまえ」

 信じがたいことだったが、驚異的にオートメーション化された工場を見れば、それがあながち嘘ではないことが認識された。

 老人は言葉を続けた。

「時間というのは人間がひとつの流れとして感じているものであって、かたちのあるものではないんだ。何年前とか何年先とか、単位に区切って数えるのは、いわば人間同士で話を合わせるために編み出された便宜でしかなく、時間というものは人間の記憶と感覚の中にしかないということさ。ちょっと難しいかな?」

「ちょっと、よく解りません」

 素直に答えた。

「そうだろう。君がそのことを実感するようになるには、まだまだたくさんの経験が必要だからね」

 僕は、自分が今どこにいるのか解らなくなりかけて、不安に陥った。

 すると老人は、一体のアンドロイドに命じて、出来たての千代子冷凍を持って来させると、それをこちらに差し出して言った。

「ほら、出来たての千代子冷凍だ。食べてみたまえ」

 受け取って一口舐めると、甘いチョコレートの味が、かすかなほろ苦さとともに口いっぱいに広がり、香ばしい香りが鼻孔に抜けて行く。

 と同時に、懐かしい、様々な記憶が、洪水のように僕の脳裡に押し寄せて来るような気がした、その中には、未来の記憶も含まれているような気がした。

「プルーストというフランスの作家は、プチット・マドレーヌというお菓子の味と香りから、膨大な記憶を甦らせて『失われた時を求めて』という大長篇小説を書き綴ったと言われている。お菓子の味や香りには、そうした記憶を動かす力があるということさ。私は、チョコレートの原料であるカカオと、いくつかの香料を混ぜることによって、時を遡ることが出来るということを発見したんだよ。つまり、物理的にではなく、意識的に時間旅行をすることが可能になったというわけさ」

 老人の言っていることはよく解らなかったけれど、自分がどうやら未来に来てしまったらしいことは理解出来た。

 いや、未来がこちらへ来たということか?

「君と私がこうして会うためには、ひとつの接点が必要だった。それがこの一九六九年のクリスマス・イヴだったんだ。さあ、千代子冷凍が溶けてしまわないうちに、しっかりと味わいたまえ。これが、君が食べる最後の千代子冷凍になるはずだからね。その後で、私のお願いを、ひとつだけ聞いてほしいんだ」

誰にでも心に残る思い出の味というものがあるものです。

そしてそれは、懐かしい時間へとあなたを誘うことでしょう。

それではまたお逢いしましょう。

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