Etude「桜の木」
学校の裏に立つ一本の大きな桜の木には、言い伝えがある。
『その木の下で結ばれた男女はいつまでも幸せでいられる』
どこにでもある普通の学校の、たった一つの特別な場所。私がこの学校を卒業する時でも、この木のことを特別な感情を持って卒業することになるなんて、あるのかな。
「ねえ、あんたはどう思う?」
私は近くの花壇の端に腰かけて、彼に話しかけた。
「うーん、なんか胡散臭いよな」
彼は昔から少し穿った考え方をする。屁理屈ばかり考えていて、けれどいつも誰かを楽しませようといろんな角度の考えを話してくれる。
「何が胡散臭いの」
「普通さ、学校の桜って正門とか正面入り口とか、そういうところに植えられることが多いよな。でもなんでこんな体育館と裏道にしか見えないところに桜が植えてあるのかなって」
夕方、薄暗くなる周りの風景と、隣の体育館から聞こえてくる運動部の掛け声が響く。
「あー、言われてみれば確かに」
「正門の方にもしっかり桜の木が植えてあるよな、こいつだけ仲間外れ。なんでだろう」
彼は物憂げに桜を見上げる。
「普通に考えればさ、この子だけ仲間外れにされたら、『結ばれたらいつまでも幸せ』なんておとぎ話みたいな話じゃなくて、『絶対将来分かれる』とか呪いになってもおかしくないのにね」
私は、意地悪に彼に問いかけた。
「案外そうでもないかもよ」
彼はそう言って足元をじっと見つめる。
「……どうして?」
「ここ、よく見たら、桜を切り倒した跡があるんだ」
私は彼の足元をじっと見つめる。はっきりとは見えないが、確かに木目が残っているような気もする。
「それがどうしたの?」
「正門の方の道ってさ、割と最近できたって知ってるか?」
「え?そうなの?」
「まあ、最近って言っても20年も前のことだけどな。でも学校ができるよりは最近だろ?」
「ああ、そういわれれば最近できたことになるね」
彼は続ける。
「俺たちが立っているこの場所は、十数年前まで正門だったんだ。この裏道は学校への通学路ってわけ」
「……つまり?」
「つまり、昔正門がこっち側にあったから、桜ってどこに植えるんだ?」
「ああ、正門側ね。じゃあ、ここに桜が立ってあってもおかしくないわけね」
彼はまたじっと桜の方を見つめる。
「じゃあなんでこの木だけ伐られずにそのまま残ってるんだろう」
「……さあ、わかんない。もともとほかの桜の木も伐られるはずじゃなかったんだけど、何かの都合が悪くなって伐ったのか。あるいは、何か強い思いがあってこの木だけ残したのか。それはわからないよ」
私もまた、桜の木をじっと見つめる。
「でもさ」
「……うん」
「あんたが言ったその話の通りだとすると、きっとこの木はこの学校のどの木よりも長生きなんだろうね」
「ああ、それは間違いないだろうな」
私は彼の方を見つめる。
「おまじないとか、呪いとか、そういうのどうでもよくてさ、結局そういう何か力がありそうなものの前で告白するとか、それだけで勇気がもらえたりするんじゃないかな」
「……ああ、そうかもしれないな」
「ねえ、言いたいことがあったんでしょ?」
彼はじっと私を見つめ返す。
「ああ、そうなんだ……」
彼の手は震えている。私はその様子を意に決めたまま、じっと見つめる。
「俺はお前のことが、——————」