最終話「婚約破棄5」
寝苦しい、湿気の多い夜。
だからというわけではなく、フランソワが目を覚ますと自分の口が塞がれていることに気づく。
「動くなよ」
侵入者、仮にもこの領土の主であるマイエンヌ家。
その令嬢、フランソワ・マイエンヌの寝室に騒ぎもなく入られるはずもない。
少々の疑問を寝起きの頭で解決しようとする前に、自分の口を手で抑える人物の顔が目に入る。
ファン・ヴァンロード。
フランソワの婚約者であり、この国の皇太子。
つまり次期国王。
そんな男が自分の寝込みを襲っている状況。
それにフランソワは。
疑問が解けたように退屈そうな目をした。
「そうだ」
厳重な警備のされているはずのマイエンヌ家であるが、侵入や強行突破でなく権力による買収等によって警備が弱められれば話も変わる。
もしかしたら皇太子の手の者が警備に入り込んでいる可能性もある。
なんにせよ、そう考えれば納得がいく以上、フランソワの疑問は失せたのだった。
「その目だ」
しかし、フランソワの納得に反するように、ファンは歯軋りをするほどの怒りを見せる。
「その退屈そうな目が、僕を苦しめる」
これ以外何があったと言うのか。
あのとき、フランソワに婚約破棄を申し出たとき、ファンはそう思った。
「君の婚約者として、君を愛するものとして、僕はいつだって君を振り向かせようとした」
贈り物をした、催しをした、手助けをした。
「でも君は何をしたって、僕のことなんて見えていなくて」
いつだって退屈そうにどこかを見て、碌に自分を見てくれすらしなかった。
ファンは知った。フランソワの望むものは普通のものではない。
刺激。
彼女の退屈を消し去る刺激。
「だから用意した。君への刺激を、スリルを、婚約破棄という形で」
でもダメだった。
「君はそんな状況でも退屈そうに対応するだけで、僕の目論見なんて全く通用しなかった」
だから。
そう言葉を続けるファンに、フランソワは静かに。
自分の口を塞ぐ手を指さした。
そこに、懇願の色はない。
ただ、その手が自分を。
より退屈にさせていると言う不快感だけが、彼女から滲み出た。
「騒ぐなよ」
そう、ナイフを握り直しながらファンはゆっくり手を離す。
フランソワはその、どこか怯えるような態度を見ながら、シーツの裾で口元を拭い。
「だから、賭場を荒らそうとしたんですの?」
静かに、そう問いかけた。
首肯するファンが、口を開こうとする。
「その後王下街に行った騎士団長を殺し、先日私の同行したアロンダ狼討伐の依頼にアロンダ狼をもう1匹送り込んだんですの?」
それを許すこともなく、フランソワは問いかけ。
なお、それだけのことを言いながら。
その目の退屈は、ファンを見てもいない。
「ああ、そうだよ」
君が刺激を求めると言うのなら。
僕は与える。
「それが君の望む形かどうかなんて、もうわからなくていい」
だから、与え続けた。
運営してる施設は荒らす。
気に入っている人間を殺す。
行く先には想定外の危険を用意する。
「それでも君は、その目を止めなかった」
賭場が荒らされようが、騎士団長が死亡しようが、突然魔物が現れようが。
フランソワの退屈は、収まらない。
「僕には、もう君をどうすれば良いのかわからないんだ」
だから、殺すしかない。
せめて殺して、自分のものにする。
「それしか僕には」
「どうぞ?」
ファンの言葉に、フランソワは最後まで聞くのも面倒だと言わんばかりに言い放つ。
「な、なんだ?強がるなよ。僕は本気だぞ」
「ええ」
そうとだけ返すフランソワの胸ぐらをファンは掴み、引き寄せながら胸元にナイフを当てる。
震えてはいるものの、その覚悟が嘘でないとフランソワにはわかる。
「殺したいのであれば、構いませんわ」
身を守る術もありません。
命乞いも致しません。
「お好きになさいな」
「なんで!」
ファンは大声で問い詰めそうになり、思わず黙り込む。
そして、答えを求めるような。
怒りと、疑惑と。
恐怖の混じった目でフランソワを睨む。
「ねえ、ファン」
フランソワは、その目を見て少しだけ微笑んで見せた。
「あなたは生きていて幸せ?」
それが、その微笑みが。
いつも傍若無人で、自分勝手で、自分こそが主役と言わんばかりの。
華やかで力強い彼女と全く違う表情が。
ファンの目を釘付けにする。
「わからないの」
幸せな人生が。
「恵まれた血筋、恵まれた環境、恵まれた容姿、恵まれた能力」
生まれながらに全てを手でき。
生まれてから全てを手にしてきた。
「幼い頃は楽しかったわ。世の中に未知と不可能が溢れているようで、その全てを楽しみ尽くした」
そう、楽しみ尽くした。
人が思いつく限りの、あらゆる楽しみを。
欲しいものを、やりたいことを、楽しみ尽くした。
「そうしているとね、いつか気づくのよ」
もう、この世界に自分を楽しませられるものはない。
「欲しかったものも、手に入っていらなくなった。楽しいことも、やり飽きてしたくなくなった」
まだ手にしたことないものも。
まだしたことないものも。
「蓋を開けてみれば今まで手にしたものや、やってきたことの焼き回し。多少の違いはあっても、刺激的な楽しみは失われていったわ」
もう、手にする前から、やる前から、過程と終わりが見えてしまう。
だから、探して、探して、探して、探して。
「でもね、ないの。もう、私が生きていて楽しいことなんて」
だから、いつだって退屈。
今、この瞬間だって。
退屈は収まらない。
「恵まれて、幸せに見える人生よ。私になれるならなんでもすると言う人が、大勢いるでしょう」
でも、なんでも手に入って、なんでもできる。
予想外のことは大して起こらず、悩まされることもない。
そんな人生、生きるに値するのかしら
「だから、いいのよ、ファン」
殺しても良い。
もう別に、生きていたいとも、もう思わないの。
「じゃあ」
そう、語りかけるフランソワに、手が白くなるほどナイフを強く。
強く握りしめたファンは、問いかける言葉を探す。
しかし、それは存在しない。
そんな彼女を、楽しませることができなかった。
それは彼自身が一番わかっており。
だからここにいるのだ。
「ああ、でもそうね」
ファンの言葉など興味ないかのように、フランソワは口を開く。
「私はなんでも経験してきたといったけれど、よく考えれば性交と死は味わったことがなかったわ」
恐れる。
怖い。
「だからせめてファン、あなたがそのつもりで来たのなら」
フランソワの本音を聞いたファンが抱いた感情は、もう恋愛感情ではなかった。
「せめて最後は退屈が紛れるくらい」
猛烈な吐き気と共に、ナイフを取りこぼす。
「犯して殺して頂戴ね」
そんなフランソワの表情は初めて、少しばかりの期待をファンに向けており。
その目を、退屈以外の目を真っ直ぐに向けられたファンは。
「ふ、ふざける、なよ」
そう、震えることで呟く。
その目線は虚で、ゆっくりと後退し。
「そんな」
ベッドから落ちるように遠ざかる。
「そんな目で僕を見るな!化け物が!」
そう言い残すと、怯えるように窓を飛びおりた。
逃走手段があったのだろう。下から物音は聞こえない。
「そう」
それをどう思うこともなく、フランソワはファンの落としたナイフをベッドの小脇の棚に入れ。
再び眠りにつこうとする。
「退屈ね」
自分を不幸だと思ったことは一度もない。
可哀想だとも、誰かに救われるべきだとも思わない。
ましてや同情されるべきでも、共感されるべきでもないと、フランソワは思っていた。
それでも。
ただ、退屈なのだ。
「いつかきっと」
それでも少し、ほんの少しだけ彼女はいつも。
眠りにつく前に夢を見る。
それだけはいつもの彼女からは想像もできないほど幻想的で。
「誰かが」
起こり得ない理想だけを描いたような夢。
自分の目の前に突然現れた誰かが、魔法のように自分の退屈を消し去ってしまう。
「なんてね」
そう呟いて、フランソワは何もなかったように眠りにつく。
そして退屈な夢を見る。
いつか、この退屈な夢から。
誰かが目を覚ましてくれると信じて。
フランソワ・マイエンヌ。
彼女の退屈は、収まらない。
これにてフランソワの物語は一時完結となります。
お読みいただきありがとうございました。
本作主人公フランソワが見つけた自分を退屈させない人物が主人公の作品『邪教徒召喚 ー死を信奉する狂信者は異世界に来てもやっぱり異端ー』は下記リンクか作者マイページよりお読みいただけます。
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