3月17日 葬儀
絶えずしてお経が唱えられていた。多くの参列者たちは次々と焼香をあげては、手を合わせる。悲しみに暮れて大粒の涙を流している人もちらほら見受けられる。
「それにしてもかなりの人数ですね。僕がここに勤め始めてから今日が一番多いんじゃないかってほどですよ」
「だな。俺もだ」
「有名人なんでしょうかね」
「なんだ、お前。今日の葬儀が誰なのかも知らなかったのか」
「ええ……はい」
上司から呆れた顔された。葬儀会場に勤める人間としてお客様のことを把握していないのは確かに良くなかったかもしれない。
「まあ、教えてやるよ。今日の葬儀は小説家の半田史郎の――」
それは著名な作家の名前だった。多くのミステリー小説を世に送り出しており、これまでに何作も映像化されている。最近では彼の原作が劇場で公開され、社会現象になるほどの人気作も生み出していた。
「いやあ、驚きましたよ。まさか半田史郎だったとはね。僕もちょうどこの前映画観たばかりですよ。確かまだ若い作家の方でしたよね。まさか亡くなってしまうなんて」
自分自身、普段から本を読む方ではなかったが、先日見た映画をきっかけに彼の小説をちょうど買いあさっていたところだった。それだけにこの事実は自分にとって少々重くのしかかってくることではあった。
「いや、人の話は最後まで聞け。半田四郎は亡くなってはいない」
そう言って上司は顎をくいっと傾けて会場の前方を見やる。その方向を見てみれば確かにテレビで見たことのある顔がそこにはあった。喪服を着て、金髪の髪を黒に染めていたために雰囲気が普段と異なっていたからだろう。ここまで全く気づいていなかったが、間違いなく人気作家である半田四郎、その人だった。
「え、どういうことです?」
「半田四郎の書いた小説『数学館の殺人』って作品は知ってるか?」
「ええ、もちろん」
代表作の一つだ。当然知っている。犯人はバウムクーヘン積分を利用して密室をつくり出し、探偵はその謎を鮮やかな推理で解決するというストーリーだ。
「その作品で出てくる阿僧祇なゆたという登場人物が殺害された。その葬儀が今日行われている」
「え、あ……え?」
無論、この『数学館の殺人』は実話をもとにしているというわけではない。読めばわかるが当然のことながら完全なる創作だ。まさか小説に出てくるキャラクターの葬儀とは思いもしない。
すると上司は聞こえるか聞こえないほどの本当に小さな声でそっと言う。
「そうそう、うちの葬儀会社と出版社がタイアップしていることは内密にな。頼むぞ」
お読みいただきありがとうございます。
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