2月22日 授業
自分のやってきたことが本当に意味のあることなのかわからなくなることがある。
「DNAというのはデオキシリボ核酸のことで――」
私がこのように授業をしたところで生徒たちはさほど内容に耳を傾けることなく、口々に雑談をしている。今日はそれでもまだいい方だ。DNAに関連して横浜のプロ野球チームの話題をしている生徒もいる。少しは授業を聞いてくれているという証拠だ。
今まではずっと進学校で授業をしてきたために、この学校に赴任した時はさぞかし驚いた。偏差値の低い高校ということもあって生徒もそれなりのレベルだ。授業中に雑談をするのはまだいい方で、なかには開始三分で眠りにつく生徒もいる。今、ここで自分が真面目に生物の授業をしたとしても、きっと彼らはこの内容を覚えていないことだろう。
よくよく考えてもみれば進学校であってもそれは同じことかもしれない。大学受験が終われば教えてもらったことのほとんどを忘れてしまうことだろう。自分だってそうだ。学生の時に習った古文や漢文を、今でもすらすら読めるかと言われるとそうでもない。高校の場合、生徒との付き合いは長くても三年間だ。卒業したらほとんど顔を合わせることなくなる。年単位の時間を費やして色々なことを教えたとしても、時間の経過とともに生徒の頭からその内容は忘却されていく。儚いものだ。つくづく自分のやっていることが本当に意味のあることなのかわからなくなっていった。
仕事が終わって学校からの帰り道、とぼとぼと歩いていると突然声を掛けられた。
「あの」
「はい?」
振り返って見てみれば二十代くらいの女性がいた。肩までかかるほどの茶髪、頬には血色のいい色のチークが入れられている。知り合いにこんな人はいただろうか。記憶にない。
「やっぱりそうだ。先生。お久しぶりです」
あまりにあか抜けていたために誰だかわからなかったけれども、この柔らかな声は間違いない。昔いた学校の教え子だった。彼女は英語関係の大学に進学したはずだ。
「お、久しぶり。佐藤さん。えっとまだ大学生なんだっけ? 元気してた?」
「ええ、この通り元気にやってますとも。まさかこんなところで会うなんて思いませんでした」
「春にそこの高校に赴任したんだよ」
「あー、そうだったんですね。いやあ知りませんでした。どうです? 今でもあの解剖って授業でやってるんですか?」
彼女の言う解剖とは鶏頭の解剖実験のことだ。犬用のペットフードとして鶏頭水煮というものが売られている。その名の通り鶏の頭を煮込んだものが缶詰されており、それを生物の授業で解剖実験を行ったのだった。メスやピンセットを使って鶏の頭を切り開き、脳の状態を観察するという内容だ。
「いやあ、佐藤さんが高校生だった頃とは学習指導要領が変わった影響で、最近ではあまりできていないんだよね」
「へえ、そうなんですね」
それからというもの、佐藤さんとは軽く談笑したのちに別れた。
駅へと向かうためにてくてくと歩いてく。しばらく行ったところで赤信号のために立ち止まる。
卒業して数年が経つはずだが、文系の彼女が未だあの解剖の実験のことを覚えていてくれたとは思いもしなかった。あながち自分がやってきたことは無駄ではなかったのかもしれない。そう思えてきたのだった。
ほどなくして前方の歩行者信号が青になり歩みを進める。その足取りはいつもより軽かった。
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