2月5日 レシート
それを見つけたのはただの偶然だった。リビングにある棚の引き出しから数冊のバインダーを見つけた。そのバインダーには数々のレシートがおさめられていた。しかも日付順にきれいに整頓されており、ここ最近のものからかなり古いものまで取ってあるようだ。
自分が生まれて間もない頃に近所のスーパーで買ったと思われるおむつのレシートもあれば、幼稚園の時におねだりした戦隊もののおもちゃのレシート、小学生の時に野球チームに入るために購入したバットとグローブのレシート、初めて買ってもらったスマートフォンのレシート、最近のものでいえば高校の入学金の払込受領書もあった。
不思議なことにそれらのレシートの類はどれも私に関する出費によるものだけだった。他のバインダーを見てみても父親や母親が自分のために購入したレシートは見当たらない。金額の大きな買い物から小さなものまで金額も様々で、私が生まれてから今に至るまでにかかった費用が全てこのバインダーにおさめられていてもおかしくないほどの量だった。自分がここまで生きていくためにこんなにもお金がかかっているのだと改めて身をもって実感してしまう。
それにしても一体、両親は何のためにこれほど多くのレシートを保管しているのかがわからない。ひょっとすると後で今までかかったお金を請求するつもりでもいるのだろうか。もしそうならこれから相当な額のお金を両親に返していかなければならないことになる。
両親にレシートをなぜ保管しているのか聞けばよかったのかもしれないが、棚の奥の方に隠すように置いてあったのだから気軽に訊ねる気にもならなかった。
結局、理由を聞けずに気がつけばそれから数十年が経過した。この間、私には様々な出来事があった。もし、金額を請求してきたとしても無事に返済できるよう、誰もが知る世界的企業に就職して死に物狂いでお金を稼いだ。しかし、それは取り越し苦労だったようだ。私が大学を卒業した翌年に病気で亡くなり、母親は三年前に交通事故で他界してしまったからだ。死んでしまってはレシートの金額を請求してくることも当然ないうえ、今さらレシートを保管していた理由を確認することすらできなくなってしまった。
今になってもなお、たまにこのバインダーを取り出して収納されているレシートを眺めながら多くのレシートをとっていた理由について考えている。結果としていつもこれといった解が出るわけでもなく、もやもやとした感情が残るだけだった。思っていたよりも早くに両親が他界してしまったがために、むしろ親孝行の一つもしてやれなかったと後悔の念が積もるばかりだ。両親がレシートの金額を請求してくるなんて馬鹿な考えをする以前に、自分は父の日や母の日にプレゼントでも買ってあげるくらいのことをするべきだったのだろう。
「あなた、ぼおっとしてるんだったら代わりに買い物行ってきて」
妻が若干のにらみをきかせながら言った。
「買い物?」
「あなたの方が野球詳しいでしょ。どれがいいのか選んであげて」
「わかったよ」
小学三年生になる息子はこれから野球チームに入ると言っていた。必要になるものを息子と一緒に買って来いということだろう。
私は息子を連れてスポーツ用品店を訪れた。バットにグローブ、スパイク、それらを入れるバッグなどを息子と一緒に選び、レジへと持っていく。
レジに表示された合計金額を見て、野球というスポーツはやはりお金がかかると実感した。自分が子どもの頃に野球を始めた時もこれくらいの費用がかかっていたはずだ。両親が残したあのバインダーに入っていたから今でもはっきりと覚えている。
「レシートは必要ですか?」
私が釣銭を受け取り終えた頃合いを見て店員は訊いてきた。
ここで遅ればせながら大切なことに気づく。
私はこれまで大きな勘違いをずっとしていたのかもしれない。私が育つまでにかかった費用は、何も必ずしも両親に対して全額返す必要なんてなかったのだろう。
なぜ両親がレシートを保管していたのかは未だにわからずじまいだが、これだけは確かなことだ。
かかった費用は全て私の息子に返していけばいい。
「はい。レシート、ください」
お読みいただきありがとうございます。
少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマーク登録あるいは広告の下にある【☆☆☆☆☆】を押して評価していただけると幸いです。作者のモチベーションアップになります!




