10月4日 持ち上げる
研究者としての人生は気がつけば二十年も過ぎていた。私はただ自分の赴くままに研究を続けていただけだったのだが、周りは「これは偉大な発見ですね」、「今までの常識が変わりますよ。これは」などと勝手にもてはやす。
「今年のノーベル賞、もしかしたらくるんじゃないですか。博士」
「私なんかには到底ないだろうよ」
私より世の中に貢献しているような研究者は山ほどいる。年に一回しか選ばれないその賞に私の名が刻まれることなどないだろう。
そしてノーベル賞発表の日。案の定、私の研究内容とはかすりもしない全く別の分野の研究者が受賞していた。当然だ。わかりきっていたことだ。何のショックも受けはしない。
けれどもその代わりに周囲の人々の言葉がじっとりとまとわりついてくる。
「残念でしたね。きっと来年ありますよ」
「まだ評価されていないだけです。まだまだ時間はあります。気長に待ちましょう」
「今年はだめでしたけど、いつか必ず受賞すると思います。こんなに社会に貢献している研究者なんですから」
「まあ、そんなに気を落とさないでください。きっといつか報われます」
「いやあ、受賞すると思ったんですけどね。今年は運がなかったということですかね」
と、いうように彼らは口々に私を励まそうとでも思ったのか、こんな言葉をかけてくるのだった。そもそも私はノーベル賞を受賞するなどと思っていない。勝手に彼らが私を持ち上げて、勝手に慰めに来ているだけだ。ノーベル賞を逃したことよりも彼らにこんなふうに慰められる方がショックだった。そしてこんなことがかれこれ十年近く続くと、毎年のこの時期を迎える度に憂うつになる。
私はノーベル賞という言葉すら聞きたくないくらいに、この賞に嫌悪の感情を次第に抱き始めた。そもそも研究に優越などはないはずだ。どんな発見であっても人類が未だ知りえなかったことを見つけ出すという研究行為は、たとえ賞が与えられなくとも素晴らしいことだ。わからないことを知る。そのこと自体が人類にとっての英知であり、知らないものを知ろうとする好奇心そのものなのだから。賞がもらえるとか、もらないとか、そんな取るに足らない話をするのは至極無駄なことではないか。
はあ、全く。深いため息をつこうとした時だった。助手が慌てた様子で研究室に駆け込んできた。
「博士! おめでとうございます! ノーベル賞受賞です」
「えっ、まじぃ?!」
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