6月11日 摩訶不思議な料理店Ep.2
ワタクシは仕事を終え、食事をとるために歩いていた。仕事帰りに、おいしい料理を食べることはワタクシにとって何よりも幸せなことだ。特に外食をすることはワタクシの趣味なのだ。
しかしこれを趣味と呼ぶには、少しばかり間違っているように思われる。なぜなら一種の職業病といえるからだ。ワタクシの仕事は料理の品定めをすることだ。つまり覆面調査員としてレストランに入り、そして料理を食べて評価をつける。
世の中には美しく、おいしい料理が多く存在する。生きている間に全て食べておかなければ、もったいないではないか。さて、今日はどんな料理が食べられるのだろうか。楽しみだ。
ワタクシは街の大通りを歩きながら、どこか良い店はないかと探しているところでとあることに気づく。
「おやおや」
髪が少し乱れているではないか。ショッピングウインドウに反射して映った自分の輝かしい髪を整えた。
ここで勘違いしてはいけないことがある。ワタクシは男として髪を整えていているわけではない。つまり女の目線を気にしているわけではないのだ。
料理に対して気にしているということだ。食事の時に髪が乱れていては、料理に対して失礼だろう?
「何だ。この匂いは?」
大通りを外れた路地の方から食べ物の良い匂いがした。どう表現したものだろうか。このように匂いというものは、表現がどうしても曖昧になってしまう。ナニナニのような匂いと言わなければ伝わらない。全く不便なものだ。一方、味覚は違う。味覚は『酸っぱい』、『甘い』、『しょっぱい』、『苦い』といった形容詞が存在する。非常に使い勝手がよくできている。
そして、それらの味覚どうしが料理の味を創り上げるのだ。まさに芸術品と呼ぶべき代物ではないか。
そのようなことをしばらく考えていると、ある一軒のレストランの前に着いていた。レストランと呼ぶことが間違っていると思わせるような汚らしい店構えをしていた。看板には、このレストランの名前が書いてあるようだが、ペンキが所どころ剥がれ落ちているため、とてもだが読むことはできない。
ワタクシはそのレストランに入ろうか入らないでおこうか迷った。誰だって汚らしいレストランには入りたくないものだ。しかしワタクシの経験上、少しぐらい見た目が悪くても、おいしいレストランは多く存在するのだ。ここももしかしたら、そうなのかもしれない――という期待を持ってレストランのドアをスライドさせ、中へ入ったのだった。店内にはお客もいなければ店員の姿も見えなかった。
ワタクシは数十秒間待ったが、店員が案内に来る様子はなさそうだ。
サービス――悪し。
「すみませーん」
ワタクシは仕方なく大きな声で店員を呼ぶ。
するとレストランの厨房と思われるところから、一人の男が出てきたのだった。
「何だ?」
これがお客に対しての態度か? 『何だ?』とは何だ!
――まあ、良いとするか。料理を食べる前から文句を言うのも良いことではない。
「ここで食事をしようと思いまして」
「はいよ。分かった。その辺にでも座ってくれ」
そうして、ワタクシはカウンター席に腰かけたのだった。
改めてレストランの中を見回すと、サムライが被っていそうな兜やピラミッドの模型、シカの頭のはく製などが置いてあり、全く統一感のないものであふれていた。
一体、このレストランは何料理の店なのだろうか。日本料理なのか、中華料理なのか、イタリア料理なのか、フランス料理なのか、全く見当がつかない。このような変わったレストランというのも、案外楽しみなものだ。
変わっていることは他にもあった。このレストランを見渡す限り、メニューらしきものが見当たらないのだ。何を注文したら良いのだろうか。
「あのー……メニューはどこにあるのでしょうか?」
「メニューなんてものは、うちの店にはないよ。あんたの食べる料理は既に決まっている」
「はい?」
この男は何を言っているのだろうか。意味不明だ。
「だからよお、あんたは料理を選ぶことができないんだ」
そのセリフを言い終えると同時に、男は料理の盛り付けられた皿をテーブルに置いたのだった。
その料理は今までに見たこともない料理だった。その料理には褐色に染まった卵や、輪切りに切られた知らない野菜が入っていた。さらに中が空洞になっている筒状の物体、三角形に切られた黒っぽい物体なんかも入っている。これは何だろう。
思わず料理名を男に訊いた。
「この料理の名前は何ですか?」
「名前なんて何でもいいだろう。冷めないうちに食べな」
料理の名前くらい教えてくれてもいいのにとは思ったが、店員の言う通り料理が冷めてしまってはもったいない。
そしてワタクシはナイフとフォークを使い、その『名前のない料理』を口へと運んだ。
こんなゆで卵は始めてだ。白身の部分にはしっかりとスープがしみ込んでいるが、煮込み過ぎてはいない。なんと黄身は半熟なのだ。実に工夫して調理されていることが分かる。
ワタクシの驚きはまだ終わらない。
このよく煮込まれた野菜なんかは程よく柔らかく、フォークだけで簡単に切り分けられる。何よりも、口に入れた時に広がる汁は体を優しく温めてくれる。そしてこれもスープがよくしみ込んでいる。
筒状の物体も初めて感じる食感だ。面白い。中が空洞にすることでスープが中までしみ込むようにしてあるのか。感心させられる。
三角形の黒っぽい食べ物は見た目が多少悪いが、プルプルした食感で実に面白い。
これらの具材はスープによっておいしさが引き立てられているように感じられる。そのスープの味は『酸っぱい』、『甘い』、『しょっぱい』、『苦い』のようなありふれた味覚ではなく、全く新しい味覚だったのだ。
ワタクシはこの味を『うまい』と表現することにしたい。
味――良し。
客に対しての態度は気に入らないが、味はとても気に入った。
仕事でこのレストランに来ているわけではないが、このおいしさを手帳に書き留めておかなければいけないと思った。バッグから手帳を取り出し、このレストランの評価をして、それから感想を書く。
こんなにもおいしい料理を作れるとは、それにしてもこの店員――いや、このシェフは一体何者なんだ?
「シェフ、先ほどの料理、おいしかったです」
「……」
シェフの顔色は全く変わらなかった。ワタクシの言葉が聞き取れなかったのだろうか。何度も言うのも図々しいかもしれない。だからそれ以上は言わなかった。
そして支払いを終え、レストランを後にしたのだった。
次の日、ワタクシは仕事仲間達にあのレストランについて話した。
あの料理のおいしさについて詳細に。
すると、仕事仲間達はそのレストランに行ってみたいと言い出したので、仕事で訪れることになったのだが。
「おかしいな……どこだったか思い出せない」
料理の味や匂いはきちんと覚えているのだが、レストランの場所は思い出せないのだった。どうしてだろうか。
一時間近く探し回ったが、結局見つからなかった。
「何だよ。期待していたのに……」
「時間の無駄だったわ」
「本当はそんなレストランなんて存在しなくて、お前が夢を見てたんじゃないのか? そんなのに俺たちを付き合わせるなよ」
このように仕事仲間達に色々文句を言われる始末だ。
新しい味覚の存在を証明するには、時間がかかりそうだ。
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