6月10日 THE LAST WRITE ~摩訶不思議な料理店Ep.1~
前日投稿分のTHE FIRST WRITEと合わせてお読みいただけるとより楽しめます。昔に執筆した作品を十年後の今、もう一度初めから執筆しなおしたものが本作となります。十年の月日で作品はどのように変わったのかお楽しみください。
仕事をしていると時間の流れが早く感じてしまうのはなぜだろう。オフィスから出たころにはもう夜になっていた。今日は特に一段と忙しかったということもあって疲労もあるうえにとてもお腹もすいている。腕時計を見てみれば夕食というよりも夜食といった方がいいくらいの時間だということに気がついた。何でもいいからこの空腹を満たしてくれるものがないだろうか。そんなことを思っていると、どこからか食べ物のいい匂いがすることに気がついた。
大通りから外れた路地から流れてきているようだ。さてはてこんなところにお店などあっただろうか。お腹がこっちだと言わんばかりに音を立てているので、試しにこちらへと行ってみよう。しばらくコツコツとヒールをアスファルトに打ち付けながら、足早に歩み進めていくと、どうやら私の鼻は正しかったようだ。歩いていくうちにその匂いは次第に強くなっているように感じられる。これはいかにもおいしそうな料理のもの、そしてなぜか懐かしく感じるこの匂い。これは間違いなく当たりだ。
歩き進めていくと小さな商店街の入口が見えた。商店街のアーチには電飾があるようだが、電気は入れられていない。夜遅い時間のため消してしまったのか、そもそもつけるのをやめてしまったのかはわからない。どこのお店もシャッターは閉まっている。それに看板もかなり錆びており、時代を感じる古めかしいフォントで店名がかかれている。通りを照らす電灯も薄暗く、そのうち二つ三つはちかちかと消えたりついたりを繰り返していた。たとえ日中であっても閑散としていそうな、そんな商店街だった。本当にこの先に開いているお店なんかがあるのだろうか。そもそも民家で料理を作った時の匂いが漂ってきているだけなのかもしれない。そんなふうに期待が薄まってきた頃、一軒だけ明かりがついているお店があることに気がついた。
店の看板はくしゃみをすれば落ちてくるのではないかと思えるほど傾いており、店名がおそらく書かれているだろう場所はペンキが剥がれ落ちていて読むことができなかった。かろうじて読めたのは料理店という三文字だけだ。赤い提灯が横一列に不規則な間隔でぶら下がっている。提灯に何か書かれているように見えるが、文字がかすれていたり穴が開いていたりするのでこれもまた読むことができない。
この怪しげな店に一人で入ってしまって良いのだろうか。外観からでは何の料理のお店なのかもわからない。引き返すべきかと思っているとまたもお腹がぐううとなってしまう。空腹も限界だ。色々気にしている場合ではない。今すぐにでもお腹を満たすことが先決だと考え、店の扉を開けた。
いらっしゃいませ、という声はない。中には店主と思われる人物が一人いるだけだった。こちらを一瞥したかと思うと、再び鍋をかき回す作業に移ってしまう。他にお客がいるわけでもなく音楽がかかっているわけでもないのでとても静かな店だった。とりあえずテーブル席についてみた。テーブルにはメニュー表が置かれているわけでもなく、店内を見渡すもお品書きの札が掲げられているわけでもない。その店主は依然変わらず、鍋とにらめっこ。いかにも大工の棟梁でもやっていそうないかつい男で誰にも有無を言わせない、そんなオーラをまとっている人物だった。しばらく待てども何か水を持ってくるわけでもなく、メニュー表を持ってくるわけでもなさそうだったので恐る恐る声を掛けてみる。
「すみません。メニュー、えっとお品書きをいただけますか?」
しかし返答はない。ひょっとして聞こえてなかったのだろうかと不安になり、もう一度口を開こうとした時だった。
「うちにはないよ」
店主は想像よりもずっと低い声音だった。それにしても料理店にメニューがないというのはどういうことだろうか。疑問を呈していると、訊ねる前に店主は答えてくれる。
「うちは『おまかせ』しかやってない」
「『おまかせ』……ですか?」
店主はそれ以上説明することなく、厨房の奥へと入ってしまった。おそらく店主が出す料理を決めるということなのだろう。おとなしく料理が出てくるまで待つことにした。店内を見回すと、こけしや大きな王将の駒があったかと思えば、鹿の頭のはく製、マトリョーシカなんかもおいてある。店の装いからは全く何の料理が出てくるのか想像がつかない。自分の席は円卓にベージュのテーブルクロスがかけられているが、他の客席は四角や三角のテーブルで、その上に載っているクロスの色もばらばらで全くといって統一感がない。異様な雰囲気の店内であることに改めて気づいた。
「はいよ」
店主は料理の入った皿を置く。出てきた料理は酢豚だった。豚肉、ピーマン、にんじん、たけのこに、とろみのある褐色のあんがほどよくかかっていて、甘酸っぱい香りが鼻腔をくぐり抜けていく。手を合わせてからすぐさま箸を手に取った。
豪快に野菜と豚肉を持ち上げ、口へと運ぶ。おいしい、よりも懐かしいと感じたのはなぜだろう。甘酢の酸っぱさに加えて、他の酸味があることに気づいた。繊維がばらばらと口の中で崩れていく感じ、これはまちがいない。パイナップルだ。皿をよく見てみれば、他の具材とあんに隠れてここまで見つけられなかったが、確かに入っている。どおりで懐かしいと思ったわけだ。パイナップルだけを箸で取り上げ、まじまじと見る。ところどころ焦げ目がついていて茶色く変色していた。
かつて私の母親が作った酢豚もこんな感じだった。野菜は一般的な酢豚より小さめに切られていて、豚肉だけは普通の大きさ、つまりは一口大で切る。母いわくこうすれば大きな豚肉が入っているように見えるとのこと。でも私はその考えに納得していなかったので、小さく切ることでかえって野菜の具材数が増え、豚肉が少なく見えると屁理屈を言った覚えもある。母が生きていた昔のことを思い出し、自然と笑みがこぼれてしまう。
懐かしく二口、三口と食べ進めていくと、あっという間に完食してしまった。この味はかつて母が作ってくれたものと似ている気がする。いや、全く同じ味といっても過言ではないかもしれない。
店主をまじまじと見る。この人はいったい何者なのだろう。こんなにも再現度高く、母の料理を作るなんて。しかもこちらが何か具体的な注文をしたわけでもないにもかかわらず、だ。店主に訊ねてみる。
「いつもこうしてあなたがお客さんに合った料理を考えて出されているんですか?」
「俺じゃない。料理があんたを選んでるんだ」
料理が私を選んでいる? 私がこの料理を食べたのは運命だとでもいうのだろうか。店主の言っていることがよくわからない。その格言のような言葉の意味を聞こうとしたが、店主はそれ以上話す気はないと言わんばかりに厨房の奥へと戻って行ってしまった。
店と後にしようとしてあることに気がつく。この料理の値段はいくらになるのだろうか、ということだ。
「すみません。代金はおいくらでしょうか」
店主の姿がこちらからは見えなかったものの、厨房の方へと声を掛けてみた。ところが、十数秒待てども返答が返ってくることもなく、もう一度訊ねようかと思っていたところで店主がようやく再び姿を現したのだった。
「うちはジカだよ」
「時価、ですか」
私はお高めの寿司屋などで時折見かける時価のことだとてっきり思った。どうやらそうではないらしい。店主は首を横に一回振ってから、レジのキーボードに手慣れた動作で打ち込む。
するとレジの表示窓に出てきたのは具体的な料理の価格ではなく、『自価』という文字だった。ますますわけがわからない。
「つまりどういうことですか」
「料理の値段はあんた自身で決めるという意味さ」
自分で価格を決めるから『自価』ということだろうか。高額な請求をされたらどうしようかと内心ひやひやしていたが、自分で決めていいというなら安心だ。しかし自分で価格を決めるというのもそれはそれで困りものだ。下手に安い金額にしてしまっては店にも申し訳ない。だからといって高い金額を支払おうにも財布にそれほど大金が入っているわけでもなかった。
「価格を自分で価格を決めるというのもなかなか難しいですね」
「何も迷うことはない。あんたがあの料理を食べていくら出したいか。ただそれだけ。簡単なことだ」
あの酢豚にいくら出したいと思えるか。ここ以外であれを食べられることなどはおそらくないだろう。それくらいの再現度だった。あの懐かしい料理にいくら出したいか。私はしばらく考えたのちに財布からお金を取り出す。そのまま店主に渡そうかと思ったが、手が止まる。料理の価格はこの紙幣一枚に相当するだろう。けれども寡黙ながらも親切にしてくれた店主にもチップという意味合いで付け足すことにしよう。そう考えて硬貨を三枚ほど取り出し、紙幣と合わせて店主へと渡す。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
店の扉に手をかけたところで店主から声を掛けられる。
「これ」
振り向けば店主はいかつい顔で硬貨三枚を戻してきた。
「ははあ」
よく意味が分からない。確かに自分で価格を決めていいといっていたはずだ。それなのにお釣りが返ってくるとはどういうことだろう。実は初めから店側で、ある程度価格を決めていてそれを上回ったから返してきたということだろうか。色々考えを巡らせていると店主は迷惑そうに話す。
「さっきも言ったように料理の値段はあんた自身で決めるってことだ。だから食べた料理の値段の分だけ払えばいい。俺自身に金を払う必要はない」
「なるほど」
お金は料理の価格の分だけ受け取る。随分と粋なことを言う人だ。それに硬貨を三枚、すんなりと戻してくるあたり、私の考えなどお見通しというわけだ。
それからしばらくその料理店へと私が行くことはなかった。正しくは行くことができなかったと表現するべきかもしれない。仕事がこれまで以上に忙しくなったこともあって、その料理店へと向かう気力すらなかったためだ。私の中で店から料理店へと表現を変えたのは、料理店の方がおいしいものが出てくる感じがしたからだった。実際に懐かしくおいしい酢豚にありつけたのだから、これをただの『店』と言ってしまうのは心苦しい。
次にその料理店へと私が訪れたのは数か月が経過した休日のことだ。その日は予定もなく、特にこれからすることもなかったので、せっかくだからまた行ってみようという気持ちになった。期待で胸を膨らませ、例の料理店へと向かう。休日の昼時にもかかわらず商店街は閑散としていた。お客が歩いている様子もなければ、お店もほとんど閉まっている。さらに歩み進めていくと料理店にたどり着いた。変わらず異様な外観だ。以前来たときにはいい匂いがしたが、今回は全くしない。もしかすると開いていないかと心配したが、店内は灯りがついている。おそらくやっているだろう。扉を開けて中へと入る。
依然変わらず店内は統一感がないものばかりであふれていた。こけしもあればトーテムポールなんかも置いてある。
前回同様、円卓のある席に腰掛ける。店主はこちらをちらりと一度見ただけで何も話しかけてくることはなかった。
「おまかせ、お願いします」
おまかせしかやっていないのだったら、わざわざ注文する必要があったのかわからないが、念のため伝えておいた。店主は厨房の奥へと消えていく。
よく見れば今日は先客がいるらしい。外国人と思われる男性がカウンター席に腰掛けていた。食べているものを見ると、それはおでんだった。彼にはこの料理のおいしさが本当にわかるのだろうか。以前に知人から聞いた話だが、日本人に比べて外国人はうま味を感じることが難しいという。この席からでは角度が悪く彼の顔が見えにくいため、料理を食べている際の表情をうかがうことはできそうにない。
他人のことはさておき、私はどんな料理が食べられるのだろう。母の作った肉じゃがだろうか、それともカレーライスだろうか。親子丼なんかも食べてみたい。そんなことを考えながら料理を楽しみに待つ。
そうしてしばらくすると店主が私の前に現れた。丸くて白い皿にのせられた料理をテーブルに置く。
「え、どうして」
出てきた料理に唖然としてしまう。懐かしいことに間違いはないが、それは私が食べたいものとはかけ離れていた。白米に私の嫌いな緑色の球体がところどころにちりばめられている。白米自体はつやがあっておいしいそうだが、それを帳消しにするくらいの物体が複数入っているこの料理が私は嫌いだ。小学生の頃、出てきたときには給食の時間が終わってもなお、昼休みまで時間をかけて食べていたほどだ。グリンピースご飯の何が悪いかといえば、まずグリンピース自体の独特の触感とあの青臭さが嫌いだ。本来嫌いではない白米でさえ、グリンピースに汚染されてしまう、まさに忌まわしき料理。どうしてこんなものを出してくるのだろう。店主をにらみつけるようにまじまじと見た。
「あんた、変な食欲わかすんじゃあないよ」
「それって」
どういうことですか。
質問する前に店主は私の言葉に耳を傾けることなく、再び厨房の奥へと戻っていってしまった。
店主のいう変な食欲とは何だろう。目の前に出されたグリンピースご飯を凝視しながら考える。
前回と今回来た時の違いについて比較してみる。
まず出された料理の違いについて。前来た時には母の懐かしい酢豚を食べることができて、一方で今回は嫌いなグリンピースご飯が出された。
来店するまでの経緯について。前回は仕事終わりに匂いに誘われて思わず来店、今回は匂いに誘われたわけではなく自分の意思でここまで来た。
来店した時の私の状況について。前は仕事終わりに空腹をうめるためにとりあえず、今回は懐かしい料理が食べられるという期待を持って。
ようやくここにきて、店主が以前に言っていた言葉の意味について理解できたような気がした。前に来た時に店主は確かにこう言っていたのだった。
俺じゃない。料理があんたを選んでるんだ。
なにも深く考える必要なんかなかったのかもしれない。つまりはそのまま言葉の通り、料理が私を選んでいるということだ。言い換えると、この料理店はその時の自分に合った料理を提供してくれるわけだ。だから私がこの料理を食べてみたいなどという食欲を勝手気ままにわかしてはいけない。今日のように親子丼を食べてみたいなどという、まるで自分が料理を選びにいっているような状況、この料理店にふさわしい客とはいえない。だからこうして私はグリンピースご飯を出されるという罰を受けてしまったのだろう。店主の言っていた『変な食欲』とは、あの料理を食べたい願望から生まれる食欲のことだろう。前回、訪れた時は何でもいいから空腹を満たせるものが食べられればそれでよかった。その時のお客の状況にふさわしい、空腹を満たしながらも疲れを忘れさせてくれるような、そんな懐かしさ感じられる一皿を出したのだろう。
今日の私ときたら、懐かしくおいしい料理が食べられるとばかり考え、この料理店の本質についてしっかり理解できていなかった。これは恥ずべきことだ。料理から仕打ちを受けたとしても、それは仕方のないことなのかもしれない。
私は目の前に出されているグリンピースご飯をスプーンでゆっくりとすくい、口へと運ばせていく。
たちまちほのかな塩味と、ほろりと崩れゆくやわらかな豆の食感が口内に広がっていく。
どうやら料理は許してくれたようだ。