5月31日 小説のアドバイス
「執筆した後、原稿を読み返してください。印刷してください。音読してください。そうすれば誤字脱字なんてなくなります」
授業の終了を告げるチャイムが鳴った。小泉講師は手に持っていたチョークを置く。
「本日で特別講座『ハイレベル推敲トレーニング』はこれにて終わりです。今まで受講ありがとうございました」
授業が終わると、そそくさと教え子たちは次の授業の教室へと移動していく。講師控室へと戻ろうと支度をしていたところで、
「面白い小説ってどうやって書いたらいいですか?」
と、小説予備校に通う教え子が訊ねてきた。
「それはそれでなかなか難しい質問ですね。私が逆に訊きたいくらいです」
「あたし全然ネタが思い浮かばなくて困っているんですよ。賞を受賞されるほどに優秀な小泉先生なら何か実践している良い方法など知っているかと思いまして」
彼女の書く小説と小泉講師とではジャンルが大きくかけ離れている。何かアドバイスしたところで果たして参考になるだろうかと小泉講師は思ってしまった。小泉講師の場合、純文学系の小説を主に執筆することが多い。近ごろ著名な文学賞を受賞したからか様々な教え子からアドバイスを求められることも少なくない。
「そうですね……私の場合、実際にあったことや自身の体験をもとにして小説を書くことが多いです。小説のネタというものは意外にも身近なところに転がっているものです。その方が完全に無の状態から何かを考えだすよりもずっと楽ですし、何より物語に深みが出て良いものになりますよ」
すると彼女の心に響いたのか、ぱっと目を見開いて言う。
「なるほど。良いことを聞きました。次に小説を書く時に試してみることにします」
それから数か月後のこと。
「いやあ、大変良く書けているよ。特にトリックは見事なものだ。非常に良い作品だ」
小説予備校で推理小説の講座を受け持つ米村講師は彼女を褒め称えた。
「先生にそんなことを言っていただけるなんて光栄です」
「それにこの作品は文章や設定にもリアリティーが感じられる」
「ええ、それは小泉先生のおかげだと思います」
「そうか、確か君は小泉先生の講座も受講していたそうだね。やはり芥川賞作家ということもあってさすがだな。また会ったらお礼でも言っておきなさい」
「ええ、それは……」
「そういや最近、小泉先生と全く連絡がつかないって事務所の職員が騒いでいたな」
それからほどなくして、名実ともに彼女は無名な作家から有名な作家になった。
文学賞を受賞することなしに。殺人事件として新聞の見出しを飾るほどに悪名高く。
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