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5月7日 伝聞譚

 いつの日か、子どもが蕎麦屋の前を通りかかった時があった。その子どもは思わず蕎麦汁のいい香りで立ち止まる。

「蕎麦、いっぺん食べてみてーな」

 そんな小さなつぶやきを店主は聞き逃さなかった。

「おう、坊主。食べてくかい?」

「おら、蕎麦食べる金持ってない」

「それなら仕方がない。また今度にお預けだ」

 すると子どもはしょんぼりとした表情をみせた。蕎麦屋はただで振る舞ってあげるのが情けだろうと思うが、商売は商売。そう簡単に食べさせるわけにはいかなかった。

 それでも、さすがにかわいそうだと思い、蕎麦屋は子どもに面白い話でもして機嫌を取ろうとした。

「そんな顔すんなよ、坊主。なあ、『石持ち男伝説』っていう話は聞いたことあるかい?」

 子どもは首を横に振ったので、蕎麦屋は話を続けた。

「ずっと昔、この村で山が崩れたことがあった。大きな岩がこの町の方へ落ちてきたという。その落ちていく方向は家が連なるところで、落ちてきたりしたらひとたまりもない。その時、男は岩を両手で受け止め、そして持ち上げて安全なところへ置いた。するとたちまち強い光が辺りを照らして男は消えていったという」

「蕎麦屋さん、その話をおらにしたわけは?」

「酷いことを言うな、坊主。びっくりしたぜ。珍しい話でもして機嫌を直してほしかっただけだ」

「だったら蕎麦を食べさせてくれた方が良かった」

「悪かったな、こっちはこれでも商売だ。食わねーならどっか行ってくれ」

「ちぇっ」

 実はこの時、子どもには蕎麦を食べるだけの金があった。しかし、それを使うわけにはいかない。商店にお使いを頼まれていたからだ。蕎麦を食べるために金を使ったら母親に怒られることくらいは分かっている。

 子どもがしばらく歩いて行くと、ある商店にたどり着いた。


 商人の男は威勢のいい声で尋ねた。

「らっしゃい。……ん? おお、坊主久しぶり」

「ええ、どうも。あっ、聞いてください。さっき蕎麦屋さんから『石持ち男伝説』っていう話を聞いたんですよ」

「へえ、どんな話だい?」

「――ずっと昔、山が崩れたことがあった。大きな岩が村の方へ落ちてきたという。その落ちていく方向は家が連なるところ。落ちてきたりしたらひとたまりもない。その時、お父様は岩を両手で受け止めた。そして持ち上げて安全なところへ置いた。するとたちまち強い光が当たりを照らして美しい女が現れ、その男は彼女と結婚したという。

 ついには子どもも生まれた。しかし、平穏な生活が続いたわけではなく、女は次第に凶暴になり、男に対して愚痴をたびたびこぼすは娘、息子にも口うるさい。そしてまた人使いも荒いときた」

 と、蕎麦屋の昔話を皮肉交じりの話に変えて話し始めたのだった。商人はその子どもの話を聞いて納得したように言う。

「そんで、今日はここへお使いというわけかい」

「そうです。新鮮な野菜を買いたくて」

 そう言って商店に並ぶ野菜の中から、買うように頼まれていたものを選ぶと、子どもは商店を後にした。


 子どもが帰った後、商店のもとに一人の客が訪れた。その男は、空の色もまだ赤くならないうちに酒を飲み、自分の顔を赤く染めている。

 その酔っ払いを見た商人は思わず声をかける。

「おお、もう酔ってるのかい。早いねえ」

「俺はなぁ、酒を飲むのが仕事なんでい! 分かってるかぁ?」

「ははは、そうでしたか。酒を飲むのが仕事ねえ、なんだか楽しそうじゃないか。でも酒には気をつけたほうがいいですぜ、旦那。酒は飲んでも飲まれるな、ってね」

「いや俺が飲んでるのはな、それじゃなくて酒なんだ」

「いやいや酒なんだろう? 合ってるじゃないか」

「だーかーらー、俺が飲んでるのは酒だって」

 商人はこの意味の分からないやり取りに苦笑い。ここで商人はいいことを考えついたのだった。

「そういや、この村の『石持ち男伝説』っていう話を知ってるかい?」

「何だそりゃ?」

「さっきこの店に来た坊主が言ってたんだが――ずっと昔、山が崩れたことがあった。大きな岩が村の方へ落ちてきたという。その落ちていく方向は家が連なるところ。落ちてきたりしたらひとたまりもない。その時、ある男は岩を両手で受け止めた。そして持ち上げて安全なところへ置いた。するとたちまち強い光が当たりを照らして美しい女が現れ、その男は彼女と結婚したという。

 ついには子どもも生まれた。しかし、平穏な生活が続いたわけではなかった。女は次第に凶暴になり、男に対して愚痴をたびたびこぼすは娘、息子にも口うるさい。そしてまた人使いも荒いときた。さすがの男も女を嫌い始めた。だが、そう簡単に別れることもできない。女は家族以外にはいい女を演じている。もし男の方から別れるなどと言ったとしたら、周囲の人々から何を言われるだろう。男はそれが怖くてとてもできることではなかった。男は憂さ晴らしに酒を飲むことしかできなかったそうだ」

「へえ、そんな話は初めて聞いた」

 商人には企みがあった。酒をこの男に売れないかと考えていたのだ。この酔っ払いなら、うまいことを言えば酒の一つや二つは買ってくれるだろうと。

「そういやこの前、いい酒が入ったんだ。どうだい買ってくかい?」

「そうだな、試しに一杯だけ飲ませてもらえねぇか?」

「はいよ」

 商人は男に杯を一杯飲ませてやった。

 すると――

「うっへー……これは強ええ酒だなぁ。一口でべっろべろだぜぇ」

 たちまち男の顔色はさらに赤く染まった。ただ立っているだけで、よろよろとふらついている。

「そうですかい? 特別強い酒というわけでないんですけどねえ」

「俺はこう見えて酒には弱くてなぁ。甘酒一杯で酔っちまうほどだ」

「そいつは弱いねえ」

 商人が驚いた顔を見せると、男はにやりとしてこんなことを言いだした。

「ちなみに今日はウイスキーボンボンと酒を一口」

「旦那、時代感のない語を使うのやめてくれます?」

「悪りい悪りい。気を付ける」

 そう言って結局、酒を買わずに店を後にしたのだった。一体何をしに来たのか本人も忘れていることだろう。

 その後、酔っ払いが千鳥足で町の中を歩いていくと蕎麦屋が見えた。

「蕎麦でも食っていくかぁ」


 男が蕎麦屋に入ると、

「おう、久しぶりじゃないか。いつぶりだい?」

 店主は男の顔を見てそう言った。

「去年の正月以来じゃねーかぁ? いつもここまで来ねぇからなぁ」

「それにしても酔ってるな。顔なんか真っ赤じゃないか。ここへ来るまでに何杯飲んだ?」

「あ? ウイスキーボンボン一つと酒一口」

 蕎麦屋はにやりと笑い、この男が酒に弱かったことを思い出した。

「はい、お待ち」

 ゆでたての蕎麦を客の男の前に出した。彼はそれをおいしそうにすすっている。

「そういや、蕎麦屋さん。さっき面白い話を聞いたぜ」

「へえ、何だい?」

「『もち男伝説』てぇ、話は知ってるか?」

「いや、そいつは知らねーな」


お読みいただきありがとうございます。


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