第8話 因縁の晴久誕生
永正11年2月
我が子・詮久(後の晴久)が誕生
喜ぶみなの中で俺は一人「こいつが新宮党ぶち殺す晴久か」と心の中で思っていた
だが晴久は無能な君主ではない。あの状況なら粛清だってする
しかしそれが後の衰退に繋がったかと言えば否定はできない
俺に出来ることは国久・興久の二人に手柄を競わせ成長させ二人の息子が晴久を支えること
また磐石な尼子の勢力を残すこと
それが今の俺にできることだ
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冬が終わり春になると国久と興久はそうそうに動き始めた
無論亀井や赤穴といったもの達も加わってはいるが主力は本人達の軍
特に出雲大社一帯に力を持つ神西氏を取り込まねば出雲統一とは言えない
そんな事を考えながら俺は隠岐島にいた
ここに拠点を構える隠岐水軍と会うためである
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隠岐水軍との話し合いは終わった
隠岐水軍には「隠岐をそなたらの自由にしていいゆえ味方してくれないか?」と伝えた
まさかの申し出にビックリした様子ではあったが交易や別件も含めると全く悪い話ではないどころか隠岐水軍を認め利益も認めるといった内容にあっちが呑まないわけはなかった
後に明の国と貿易することも考えると全然安いものだ
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「政久様、お久しぶりにございます」
俺は城内である男の訪問を受けていた
「久幸、久しいな」
この男は尼子久幸
父・経久の弟…つまり俺の叔父にあたるわけだ
「南条宗勝との戦。大変であったな」
「いえいえ、兄上も手伝ってくださいましたし隠岐水軍の援護もありいくらか楽に進めております」
久幸には伯耆にて南条宗勝との戦いを任せていた
今はまだ背後の山名が南条宗勝に味方することは無い。故に父・経久まで使い伯耆平定を急いでいた
「年内に南条宗勝を下らせることは出来るか?」
「半分以上は抑えましたゆえできると思われます」
「宗勝が講和を求めてきたら一度は断れ」
「は…?」
南条宗勝は侮れない男。徹底的に叩き潰さねば心から服従などしない
「二度目に講和を求めてきたら私に通して欲しい」
そういうと
「なにか理由があるのですな?わかりました。一度目は断ると致しましょう」
その後秋に講和を申し出てきた南条宗勝だったが久幸は拒否し継戦
最終的に南条宗勝は居城である羽衣石城にまで攻めいられる事になったのだった




