表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

水野忠短編集

花畑 ~祖父の記憶~ 【短編完結】

作者: 水野忠

 祖父は寡黙な人だった。


 明治生まれの祖父は、従兄弟の中でも末っ子で生まれた私にとっては、初めから「おじいちゃん」だった。親戚が集まっても騒ぐこともなく、たいしてお酒を飲むこともなく、孫たちに囲まれても積極的に遊ぶような人でもなかった。


 ただ、そこに存在し、昔ながらの一家の大黒柱として、ひたすら存在感を発揮していた。従兄弟たちは私よりも年上が多く、元気が有り余っている年代だったはずだが、やはり祖父が一緒になって騒いでいたことは記憶にない。


 祖父の家は、私の住む町から電車を使って二〇分ほどの町にあった。小学校の頃、ようやく一人で遊びに行けるようになり、少年心にちょっとした冒険のつもりで、たびたび祖父母の家に遊びに行った。たいてい、私の相手をするのは祖母で、台所でタバコを吸いながら、たわいもない話をし、お菓子やジュースを勧めてくれた。


 ある日、母の使いで祖父母の家に出向いた時、その日はたまたま祖母が出かけていて、私は初めて祖父と二人きりで過ごすことになった。相変わらず寡黙な祖父は、私にお茶を入れてくれ、台所にあったみかんを出してくれた。当時は携帯電話もなければポケベルもない。当然、祖父母の家にはファミコンすら無かった時代だ。祖父は野球や相撲が好きだったので、二人で何を話すわけでもなく、無言のまま、ただひたすら大相撲の中継を見ていた。どうやって帰ってきたのか、その日に祖母に会ったのか、もう覚えてはいないが、ずっと大相撲を一緒に見ながら、いささか緊張していたことと、その時間が決して嫌ではなかったことは、今でもおぼろげだが覚えている。


 また、別の日には、母が買い物で出かけている時間に、祖父が突然一人で遊びに来たこともあった。母の見よう見まねでお茶を入れ、居間で休んでもらった。相変わらず会話も少なく、間が持たなくて付けたテレビの番組を一緒に見ていたのは覚えている。今、考えれば、ただ嫁と孫の様子を見に来ただけだったのだと思う。母が帰ってきて話をして、驚いたのは七〇を超えているはずの祖父が、電車で二〇分の距離を歩いて遊びに来たということだ。


 一度だけ、母と一緒に自転車で出向いた時があったが、まだ若かった母や、元気いっぱいの少年だった自分ですら、次にやろうとするのは躊躇うような距離を。祖父は歩いてきたのだ。


 それだけでも驚きだったが、帰り際、玄関先で見送った後、祖父の忘れ物に気が付き、すぐに追いかけたが追いつけなかったことも驚いた。祖父は歩くのが異常に早かったのを記憶している。およそ今の老人には考えられないように健脚で、すいすいと人込みでも歩いて行ってしまう祖父は、今考えるととても不思議な人だったと思う。


 そんな祖父が、感情的に喜んでくれたことが二回あった。妻と結婚が決まった時と、長男が生まれた時だ。


「良い伴侶を見つけたそうで、一層頑張ってください。」


「無事、元気な後継ぎが生まれたこと、喜んでいます。」


 感情的に喜んだといっても、いかにも祖父らしい古風な言い回しだったが、父も母も祖父がそういったことで連絡をよこすのは珍しいと言っていた。私の結婚式では、緊張しながらマイクの前に立ち、長唄を披露してくれたのを覚えている。緊張のあまり、お辞儀と一緒にマイクに頭をぶつけた時は、笑ってはいけないと必死にこらえたものだ。



 その日、私が仕事から帰ってくると、父と母が慌ただしく出かける準備をしている所に出くわした。しばらく入退院を繰り返していた祖父が、入院先の病院で危篤になったと連絡が入ったのだという。祖父はすでに九二歳。明日も仕事の私には、「心配せずに休みなさい。」と言って、私と妻と長男を置いて両親は病院に駆け付けた。


 そのころの私は体育会系の営業会社で働いていたため、残念ながら危篤くらいでは休ませてもらえるような環境ではなかった。祖父に会ったのもずいぶんと前のような気がした。祖父のことを心配しながらも、翌朝の早い出勤に備え、私はいつも通りに布団に入り休もうとした。しかし、祖父のことを考えるとなかなか寝付けず、傍らで眠る長男の髪を撫でながら、私は何度も何度も寝返りを打ち、何もできない自分に腹立たしさすら覚えつつ、時間だけが淡々と過ぎていった。




 気が付くと、私は一面の菜の花畑の中を、誰かと手をつないで歩いていた。ずいぶん背の高い人だと思ったが、どうやら自分が子供の身体になってしまったらしい。それがなぜかはわからないが、不思議と疑問には感じなかった。そうであることがさも当たり前のように、手をつないで菜の花畑を歩いた。


 よく見ると、手を繋いで歩いてくれていたのは祖父だった。記憶にある、寡黙な祖父の姿だ。だが、いつもと違い、幼い私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれる祖父は、今までの威厳のある祖父の姿ではなく、なんだかニコニコと楽しそうにしていて、今まで聞いたことがない、いろいろなことを話してくれた。



『小学校の頃、父親が厳しくて何時も泣いていた話。』


『関東大震災で家が大きく揺れ、死ぬほど怖かった話。』


『祖母と出会い、大恋愛の末に結婚した話。』


『父が子供の頃、とてもやんちゃでいたずらっ子だったせいで、よく小学校の先生に呼び出されては、一緒になって叱られた話。』


『太平洋戦争では、死ぬ覚悟をしていたけれども、出征前に敗戦を迎え、悔しかった話。』


『戦後の日本経済を復興させるために、ひたすらに働いた話。』


『長男であった父に、三人目にしてようやく男の子が生まれ、家名を継ぐ者ができて安心し、喜んだ話。』


『祖母が亡くなり、一人泣いた日の話。』


『頑固に一人暮らしを続けたが、決してさみしくはなかった話。』


『孫が結婚し、生まれた長男に代々続く一字を付けてくれたことが嬉しかった話。』


 

 そう言った数えきれないほどのたくさんの話や歴史を教えてくれた。あれだけ寡黙だった祖父が、まるで今までの分を取り返すようにたくさん話をしてくれた。私は、祖父がそんな風に話をしてくれるのが嬉しくて、手をつないだまま菜の花畑をずっと歩き続け、それらの話を聞き続けた。



 そうやって、どのくらいの時間を二人で歩き、話をしたのだろう。一面の菜の花畑の中に、子供でも跨いで越えられるくらいの幅しかない、小さな小さな川にたどり着いた。川と言っていいのか困るような流れではあったが、それは確かに川だったのだ。


 おもむろに、祖父は私の手を放し、何の躊躇いもなくその川を飛び越えた。ここまで一緒に歩いてきた私は、何の疑問も持たずにその川を越えようとしたが、その時、突然祖父に厳しい声をかけられた。


「渡るんじゃない!」


 驚いて祖父の顔を見ると、さっきまでのニコニコしていた祖父ではなく、私の知る威厳のある寡黙な祖父の顔に戻っていた。


「なんで? 僕もそっちに行くよ。」


「お前はそっちにいなさい。まだ渡ってはいけない。そこにいなさい。」


 そう、私に渡らないように言うと、祖父は川の向こう岸をどんどん歩いて行ってしまった。私は追いかけたかったが、祖父に止められた手前、どうしても川を越えることができなかった。


「おじいちゃん!」


 せめて声をかけてみたが、祖父は振り返らず、川向こうの花畑を歩いて行ってしまった。





 気が付くと、廊下にある電話がけたたましく鳴っていた。ふと、横を見ると、暗がりに長男と嫁が並んで眠っているのが見えた。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。すると、今までのは夢であったのか。しかし、夢にしてはやけにはっきりと内容を覚えている。不思議な感覚と寝ぼけて覚束ない足取りで、私は廊下で鳴り響く電話の受話器を取った。





 それは、夜半に祖父が亡くなったことを知らせる父からの電話だった。





 翌日、どうやって過ごしたのか、通夜と葬儀はどのように過ごしたのかあまり記憶にはない。ただ、あの日の夜、夢で見たことが私の心に残っていた。祖父は、もしかすると、最期に私に会いに来てくれたのかもしれない。そして、何かを伝えたかったのではないだろうか。答えのないことをしばらく考え続けていた。


 あの日から数年。私には次男が生まれ、仕事もある程度軌道に乗って落ち着いていた。長男は小学校に上がり、次男は乳離れして離乳食を食べるようになっていた。実家には祖父母の仏壇があり、その上には二人の写真が飾られている。次男に離乳食を与えながら、ふと、その食べ方が祖父に似ていることに気が付いた。次男は祖父が亡くなって間もなくに生まれている。もしかしたら、生まれ変わってきてくれたのかもしれない。


 父も、気が付けば七人の孫に囲まれている。だいぶ白髪が増え、祖父に似てきた。それはそうだ。私も風呂上がりに洗面台で自分の顔を見るたびに、弛んできたお腹と一緒に、若かりし頃の父に似てきたことを自覚していた。


 そうか、祖父はこうやって「生命」が繋がっていくこと、それは時代がいくら移っても変わらないことを伝えたかったのではないだろうか。寡黙すぎてなかなか話せなかったことを、最期に教えてくれたのではないだろうか。


 私も、いつか必ず最期の時を迎える。それは特別なことではなく、誰にでも訪れるたった一度限りの体験。これからの時間を、どう歩んでいくのかは皆目見当もつかないが、せめて、父や祖父、そしてそれよりも以前のご先祖に叱られないよう、「一生懸命」に生きてみようと思う。


                                                終



お読みいただきありがとうございます。


これは、祖父が亡くなった夜に作者が実際に見た夢の話です。

もちろん、多少脚色はしておりますが。


きっと、最期に会いに来てくれたのかなと思うと、

もっと会いに行けばよかったなと思います。


寡黙な祖父でしたが、孫たちに対しての優しいまなざしは今でも忘れません。

記憶の中の祖父との思い出を、皆様にも共有していただけたら幸いです。


ブックマークと高評価も、

どうぞよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 実体験という前提で読み進めると、他人事とは思えなくなる祖父とのエピソードが、じわじわ染み入ってくる素敵な作品でした。 作者さんとおじいさん、お互いに対する愛情が伝わってきてとても癒されます…
[良い点] ∀・)すごくリアルですね。流れるように話が綴られていますが、肌に伝わる感じといいますか、すごく読みやすくも心に入ってくる感じがありました♪♪ [気になる点] ∀・)うん、良くも悪くも凄くリ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ