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運命の日

 多少のざわめきはあるけれど、比較的静かなカフェの片隅でアイスコーヒーを飲む。

 相変わらず変に酸っぱくて不味い。顔をしかめつつも、予想通りの味に満足した。

 以前この店で飲んだコーヒーの味を覚えていたからこそ、私はここを選んだ。もし小春と別れる事になれば、二度と来られなくなるから。


 私は今日、小春と話し合ってこれからの関係をはっきりさせるつもりだ。

 自分の気持ちを正直に伝える。今まで避けてきた辛辣な言葉を躊躇せずぶつけ、彼の態度がどう変わるのかを確かめる。

 ……けれど、まだ迷いがある。何もこの場で決断を下さなくても。中途半端な関係でも、小春と繋がっていられるなら。そんな私らしくもない考えが浮かぶ。


 ――電話の着信音。バッグからスマホを取り出すと、ディスプレイには”山崎 (てつ)”と表示されていた。

 まだ待ち合わせの時間ですらないから、小春が来る事は無い筈。もし早めに到着したとしても、すぐに電話を切ればいいだけだ。

 一呼吸置いて、応答ボタンを押す。

『もしもし、山崎だけど。今大丈夫かな?』

「うん。何かあった?」

『まぁ、ちょっと。ごめんね、急に電話して』

 山崎さんの方から電話を掛けてくるなんて滅多に無い事だ。ワンピースの裾から、冷気がスーッと入り込んできた様な気がした。

『……これは今さっき分かった事で。君に何て言えばいいか、迷ったんだけど』

 彼はゆっくりと、しかし神経質そうな声で話す。

『俺、ネットドラマの助監督やる事になったって、この前話したよね』

 山崎さんは、映画やドラマの制作関係の仕事に就いている。筋が良いらしく、まだ若いのに大きなプロジェクトに携わる事もあると聞いた。

『そのドラマの、脇役を決めるオーディションに……小春君がエントリーしてる』

 ――まさか、と思った。でも確かに、小春は最近ネットドラマの話をしていた。

 旬の俳優が主人公のドラマで、台詞のある役が貰えるかも知れない。絶対オーディションに受かりたい、と。

「本当に、小春で間違いないの?」

『ああ。遠道(えんどう)小春、21歳。……前に、ちらっと見えてしまった君のスマホに映ってたのと、同じ男の写真がある』

 小春を合格させて下さい。一瞬、本気でそうお願いしようとした。

 そんな馬鹿な事言える立場じゃないのに。唇を噛んだ。

 私が言葉に詰まっているのを察したのか、山崎さんが再び口を開く。

『オーディションの選考委員には俺も含まれてる。このままの状態だと、その……まともに審査出来ない、というか』

「そうだよね。……今日中に結論出すから、待っててもらえるかな?」

『結論……っていうのは、俺と小春君、どっちを選ぶかって事?』

「うん。ごめんね、こんな事になっちゃって」

『いや、それはいいんだ。これは俺がまいた種であって、君が悪いわけじゃない』

 違う。何もかも私が悪い。そう言いたかったけれど、これ以上言葉を重ねると声が震えてしまいそうだった。

 それから二言三言交わしたのち、電話を切った。テーブルの上に両手を置き、ターコイズブルーのネイルを見つめながら肝脳を絞る。

 今日中に結論を出す。そう自分から口にしたのは、山崎さんと小春へのせめてもの礼儀だった。

 だから、答えを先延ばしにしたり、山崎さんに嘘を吐いて双方との関係を続けるなんて事はとても出来ない。

 後は感情に沿って答えを導き出すだけだ。




 いらっしゃいませ。店員の涼やかな声がやけに響いて、顔を上げる。

 店の出入り口に小春がいた。また急いで駆けつけたのか、肩で息をしている。

 その大きな瞳が私を見つける。つらそうに顔を歪めながらこちらを指差し、店員に待ち合わせている事を説明する。ふらつく足取りでこちらに向かってくる。

「な、奈々、遅れてごめん!」

 この人はいつも、私の名前を呼んではっきりと謝る。まるで私の事をとても大切にしているかの様に。

「……うん、大丈夫。疲れてるでしょ、早く座って」

 精一杯、普通の顔と声で応えてみせる。

 小春は倒れ込む様に私の向かいに座り、テーブルの上に腕を伸ばした。

「えーっと、何頼めばいいかな。ここのコーヒーって、美味しいか?」

 メニュー表を取り出し、のんきな口調で彼は言う。

「そんなに美味しくないよ」

「あ、そう? じゃあどうしよう」

「何にも頼まなくていいと思うよ。とりあえず、話聞いて」

「うん。話したい事があるんだったよな」

 臆せず私の目を見据える彼は、どうやら何も感じ取っていないらしかった。

 無性に悲しくなって、そんな自分が馬鹿馬鹿しくって、顔を伏せた。

 私がどれだけ追い込まれて精神を粉々に砕いているか、全て言葉で説明すれば彼にも分かるだろうか。それでも彼は首を傾げるだろうか。

 私は、小春を誰よりも愛している。同時に、この世のありとあらゆるものの中で一番小春が憎い。

 そしてそんな事ですら彼には分からない。

「――別れよう」

 重い空気にならない様、微笑みながらそう言った。逆効果になるかも知れないと、すぐに気が付いた。

「……ごめん。何て?」

「別れよう。付き合うの、やめよう」

「えーっと。どういう事?」

 彼も笑っていた。冗談だとでも思っているのか。あまりに予想外で感情が追いつかないのか。

「もう私、小春の恋人でいるの、嫌なの」

「……何で?」

「小春には将来性が無いから。あなたはこの先もずっと役者を続けていきたいんだろうけど、そんなの無理だよ」

 淡々と嘘を吐く。

 本当はそんな事、どうでもいい。例え山崎さんが売れる見込みの無い役者でも、小春が将来有望な助監督でも。

「だから、私はあなたについていけない。今までは凄く楽しかったけど、これからは考えられないの」

「ま、待って。俺の気持ちはどうなるんだよ」

「知らない。私の気持ちだって、上手くはいってないから。別れたいから別れるわけじゃないし」

 自分が口にした事に自分で驚く。こんな事をバラす必要がどこにあるのだろう。

「じゃあ、奈々は今でも俺の事好きなのか?」

 甘い響きに、脳をえぐられる。

 小春の表情は切実だった。そこに私の決意を揺るがすものは無いけれど、私を傷付けるものなら充分にある。

「……どうしてそんな事訊くのよ」

 怒りを露わにして答えると、小春はこっぴどく叱られた子供の様にうなだれてしまった。

 駄目だ。笑顔で別れないと寝覚めが悪い。

「ごめん。今まで本当にありがとう。楽しかった」

 慰めに近い言葉を付け足して、立ち上がる。五千円札を1枚、テーブルに置いた。

「……またな」

 意外にも、彼は上手く気持ちを整理出来た様だ。それを期待外れだなどと思う資格は、私には無い。

 にっこりと笑って、私は彼に背を向ける。

 何かもう一言で、ふたりの関係をフラットに戻しておきたい。ふと、そう考えた。

 あ、と呟いて振り返る。今にも泣き出しそうな顔をした小春がいた。

「また行こうね。サイクリング。……またいつか」

「ああ……またいつか」

 本当に行ける日がきたら良いのに。そう思いながら、笑った。




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