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その1


「間もなく、電車が参ります。黄色い線までお下がりになって、お待ちください。御乗車の際には、足下にご注意下さい」


 ホームにアナウンスが流れ、程なくして電車が到着した。ドアが開き、老若男女がホームに降りてくる。昼という時間のためか、客は少なかった。

 車内から降りる客がいないことを確認し、乗り込もうとしたとき、ふと今流れたアナウンスが脳裏を過った。


「足下にご注意下さい」


 毎日聞いているアナウンスだが1度気になると、どうにも落ち着かない。ホームと電車の隙間が妙に不安を煽る。幼児でも難なく跨げる程度の隙間だ。

 じわりと嫌な汗が額に滲み、呼吸が乱れてくる。さらに、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。しばし隙間を見下ろしていると、二人組の高校生が迷惑そうな顔をしながら追い越して乗車していった。


 大きく息を吐き、意を決して、大股で隙間を跨ぎ、車内に乗り込んだ。


 車内をぐるりと見回し、空いている席に素早く腰を下ろした。Yシャツが汗で張り付いていて気持ち悪かった。車内は冷房が効いているにも関わらず、汗が止まらない。ハンカチを取り出し、仕切りに汗を拭った。


 何をこんなにも怯えているのだろうか。あの程度の隙間など何てことはないのに。日々の生活で、難なくかわせる危険だ。いや、危険というのもおこがましい程些細なものだ。




 原因はきっと、あれだ。




 脳裏に嫌な記憶が首をもたげる。喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。だが、素早く燕下し、それらを無理矢理振り払うように、左右に首を強くふった。




………思い出すまい。




 眼を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。

 次第に汗も引き、気持ちも落ち着いてきた。すると、向かいの席の高校生の声が妙に耳に響いた。




「……絶対落ちるよー。だって、お前が足引っ張るんだもん」



「!」



 思わずかっと眼を開けた。

 向かいの席の高校生と眼があった。突然眼を開けたので、驚いたようだ。


「……びっくりしたぁ。ねぇ。行こう」


二人は不快感を隠そうともせず、席を離れていった。


 気にしすぎだ。気にしすぎだ。忘れよう。忘れよう。

 自分に言い聞かせるように頭の中で何度もそう言葉を繰り返す。再び眼を閉じ、大きく深呼吸を繰り返す。

 汗も引き、動悸も治まり、呼吸も穏やかになってきた。気持ちが落ち着くと、次第に瞼が重くなってきた。体がやけに重く感じられる。電車の揺れが心地良く、眠りを誘う。そのまま体を委ねた。




続く

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