7 部屋割り※
スバルが言い、アランが同意するところによると。
曰く、試験官は身内だろうが知人だろうが公明正大に接すべき存在であり、候補者が靴の足を舐めないからと言って邪険にしてはいけない。つまり、候補者側から下手に気を遣う必要はない。
曰く、候補者として対等なのだから、相手が王族だろうが魔導士長だろうが騎士団長だろうが、道を譲る必要などない。
「二人の慇懃無礼さには筋が通っていたんですね。そっか……」
心強いというか頼もしいというか。
(スバルにはもともと王家の候補者が依頼していただなんて。それを蹴ったから王子様とも険悪なの? スバルが優秀だというのはわかったけど……。それでなんでこちらの護衛についているんだろう。聖女試験に参加するつもりなら、王家で良かったんじゃないのかな。「アリアド家」にそこまで入れ込む理由が……?)
アランのことはまだよくわからないが、見ただけで魔導士長と騎士団長という人がわかったということは、面識があるのかもしれない。もともと何らかの立場があるひとなのではないだろうか。
そんな二人が自分についているという事実が、まだうまく飲み込めない。
(「わたし」にというか、この身体の持ち主に、だけど。百年の眠りについていたというこのひとの精神は、どこへ行ってしまったのだろう)
用意されていた晩御飯は、いずれもアキラの口に合うものばかりだった。
固めのパンは雑穀がみっしりと詰まって重く、噛み締めると苦みや酸味のような味わいが口の中に広がる。スープは具沢山のミネストローネ。ローストビーフや癖のないチーズもあり、味は抜群。ここでの食生活には困らなそうだった
食事を終えて部屋に戻ろうとしたとき、ちょうどミユキたちのチームと入口でかちあってしまった。
避けるつもりだったのに、仕方ない。
スバルとアランには後で怒られよう、と決めてアキラは微笑んでみせた。
「先にどうぞ」
真正面から向き合ったミユキに対して、道を譲る。
近くで見れば見るほど、息を呑むほどの清楚な美少女ぶりだった。
(記憶が曖昧なせいで、元のミユキの姿がはっきり思い出せないけど……。やっぱり似ている気がするんだよね。雰囲気とか)
アキラが必死に脳裏に描こうとする「鏑木みゆき」の姿を打ち砕くほどに、目の前のミユキが艶やかな笑いをかぶせてくる。
「一緒に行きません? あなたと話してみたかったの。アキラさん?」
甘やかで優しい響きを持つ声。
同性でも骨抜きにされそうな可憐さだ。
(このひとのことを疑ってかかっているなんて、やっぱりわたしがおかしいんだろうな)
打ちひしがれた気分ながら、アキラは笑って口を開いた。何か言わねば、と。
それより早く、目の前にさっと立ったのはアラン。広い背中。
「こちらの候補者は、百年の眠りから覚めてのんびりする間もなく、今日の試験の開始に間に合うように遠方から強行軍できました。早く休ませます。先に失礼しますね」
感じがいいのに、つけ入る隙はないと思わせるそつのなさで、さっくりと断りを入れる。
「行くぞ、若。明日も早いんだ。さっさと寝た方がいい。うちのチームはしょっぱなから遅刻する気はねーからな」
ミユキの背後に控えるレグルスと、絶対にひと悶着起こすと思われたスバルまでもが歯切れよく言う。そのまま、アキラの背を押して歩き出す。
(珍しく喧嘩はしなかったね! 二人とも、遅刻してきたミユキのチームにきっちり嫌味はぶつけていたけど)
アキラは思わず苦笑をもらしてからミユキに向き合う。
「いずれ時間を取ってゆっくりお話できたらいいですね。今日のところはこれで失礼させていただきます」
曖昧な微笑を湛えて「わかりましたわ」と返してきたミユキの目を、まっすぐに見つめて。
アキラは精一杯笑って言った。
「おやすみなさい。また明日」
* * *
部屋に戻ると、てきぱきとした二人に進められ風呂を済ませた。
古城ホテルのようなイメージの水回りで、猫足のバスタブと水圧は弱いがシャワーのようなものもあり、髪の短いアキラは不便を感じることもなく用が足せた。
着替えとして渡されたのは、寝間着というよりは普段着と呼べそうな柔らかいシャツとズボン。
「いつ何時、誰が来るかわからないし、何があるかわからないから、気を抜いた格好はするな」
「二人は着替えもしないんですか?」
寛ぐ様子を見せない男二人に対してアキラが尋ねると、アランが「ええ」と微笑を浮かべて答える。
「あなたが寝ている間に、交代で湯を使ったりはしますが。おそらく試験期間は常に動ける程度の服装で通します。野営をするより全然楽です」
「わたしひとりで楽をさせて頂くみたいで、申し訳ありません」
「こっちは護衛が仕事だし、試験はアキラがいてこそなの。体調を万全にすることだけ考えてさっさと休みな」
大人の男一人が横になるのはやや窮屈そうなソファに寝転がり、スバルが追い払うかのような口調で言ってくる。
食い下がっても余計に機嫌を損ねるな、と了解したアキラは「それでは」と告げて二人に背を向ける。背後から、アランの声が追いかけてきた。
「右のドアが寝台二つ、左のドアが一つです。護衛が男女というチームでは、候補者と護衛で分けるのではなく、男女で部屋割りをすることもあるでしょうね。使い方は自由だと思います。うちは警戒もしたいので、一人がソファ、一人が寝台で寝る予定なのですが。部屋割りはどうします?」
尋ねられて、アキラはしばし考え込んだ。
アキラがどちらの部屋で寝ようが、寝台は一つ空く、という意味だろうか。
(部屋割り……?)
「なるべく目を離さないために、一人部屋は使わない方が良いかと。二人部屋をアキラとどちらかが使うのもアリだと考えている。アキラがいいならね」
スバルに面倒くさそうに説明されて、アキラはその状況を思い浮かべてみる。
それはつまり、スバルかアランのどちらかと一緒に寝るということか。
「二人は何を警戒しているんですか? ここ、そんなに危ないんですか?」
「そうですね。試験の内容がよくわからないのと、女性の候補者と男性護衛が多いにも関わらず部屋がひとまとめな点から考えて、寝ている間も気を抜かない方がいいという意味かと」
「なるほど」
危険を伴うという試験が昼の間だけならば、こんな形で護衛と夜まで一緒に過ごす必要はないと。
「わたしは、一人部屋でも二人部屋でも……。もちろん、ドアを開けたままでもいいですし。二人が守りやすい方で」
「だとすると、二人部屋でドアを開けておくのが一番かな。不意を突かれても対処しやすい」
スバルの説明に、アキラは「わかりました」と頷いて、二人部屋に向かう。
これだけ守りの意識を固めている護衛二人が、よもや女性だからという理由で自分に対して何かをするだろうという不安はない。
だから、無防備な状態で寝るのは別に気にならない。
(だけど……)
どうせ二人はまだ寝る気はないだろう、と思いながらアキラはドアを開き、ドアノブに手をかけたまま振り返る。
「二人に言っておきたいことがあります。わたしは、いつ消えるかもわからない人間ですし。もしかしたら、明日の朝目を覚ましたときにはもう、この身体の中にいないかもしれないので」
あまり考えたくはないことだけれど、避けては通れないこと。
アキラはこの世界の人間ではないのだから。
二人の視線を感じる。黙って聞いてくれている。
アキラは伏し目がちに床を見つめながら、喉の奥から声を絞り出した。
「今日は、話を聞いてくださって、ありがとうございました。ミユキのこと……。わたし、あまり覚えてはいません。たぶん、元の世界では、誰にも言えなかったような気がするんです。考えすぎだよーとか、あんたがおかしいんじゃないの? って言われると思って。怖くて。自分の性格が悪いから、ひとを疑ってしまうんじゃないか、って自分でも何度も考えて。だから。今日、二人が話を聞いてくれて、それだけで……」
言っているうちに、涙が出て来た。声も濡れて、顔を上げなくても気付かれてしまいそうだ。
アキラは慌てて咳払いをし、鼻をすん、とすすり上げる。
泣いているなんて、知られたくない。
顔を伏せたまま、「それだけです」と告げて、ドアを大きく開け放つ。
窓にはカーテンがかかり、薄暗い中にベッドが二つおかれただけの部屋を見回して、振り返らないまま早口に言った。
「おやすみなさい」
* * *
アキラが去った後。
ソファに寝たままのスバルと、立ち尽くしたままのアランはしばしの間、どちらも何も言わなかった。
やがて、スバルがごろりと寝返りを打つ。
アランがズボンのポケットからコインを取り出した。
「先に湯を使って、ベッドで寝る方。裏か表で決めましょう」
「お前が先でいいよ。オレ、ソファで寝るのが性に合ってるから」
「性に合ってるとはいっても、身体のサイズには合ってないように見えますけど」
「うるせーな。オレがいいって言ってんだよ」
起き上がる気配もなく、うつぶせになってしまったスバルを見て、アランは溜息とともに肩をそびやかす。
「そんなに若の隣で寝る自信がないんですかね」
がばっとスバルが起き上がった。アイスブルーの瞳に剣呑な光が宿っている。
「はあ!? 馬鹿言ってんじゃねーよ。護衛が候補者に手を出すわけねーだろ」
「そこまで言ってませんけど。あの人の精神がどこかへ行ってしまわないか心配で、寝顔まで見守りたいのかと」
「なんだそれ」
ばかばかしい、と言いながらスバルは再び身を横たえる。
その様子を目を細めて眺めてから、アランはアキラの消えた寝室へと顔を向ける。
小声で、呟いた。
「おやすみなさい。また明日」