3 どうにも分が悪い。
「心変わりの理由を聞こうじゃない」
夕刻。
候補者用宿舎の一室で、猫足の瀟洒なソファの上にそっくり返ったスバルが言った。
一口に宿舎といっても、四方に物見の塔を備えた四角形の堅牢な石造りの建物で、アキラの目にはお城のように見えた。
ここで、候補者たちが試験期間に共同生活を送るのは古くからの習慣らしく、備え付けの家具は年季が入っているものの、三人一組で使いやすい部屋の配置となっていた。
それぞれの組に同タイプの部屋が割り振られているということで、ドアを開くと共用空間としての書棚や応接セットの置かれた部屋があり、奥には候補者用と護衛二人用の寝室に続くドアが二つある。今ひとつ、風呂と洗面の間に続くドアもあった。上下水道は整っているが、風呂を沸かすのは魔導士の役目らしい。灯りは魔法だったり蝋燭だったり、適宜使い分けている。科学技術がアキラのいた世界ほど発展しているようには見えなかったが、生活の中に魔法がしっかりと根付いているので、発達度合を単純に比べられない、との実感がある。
「あれほど辞退するって言っていたのに、突然ごめんなさい。あの場では相談ができなくて」
古めかしい木材のテーブルには、スバルの魔法によって光を燈された水晶が置かれていて、部屋は不足がない程度に明るい。
「構いませんよ。私たちはもともと、あなたの試験のサポート役に選ばれたわけですから。正直、その気になってくれて、ほっとしています」
アキラと並んで座ったアランが、目元に優しい笑みを滲ませて言った。
「当代随一の天才が、せっかく開催される聖女試験に参加しないってのも味気ない話だしね。オレも異論はない。アキラの心境の変化が気になるだけ」
ソファの背に肘をついて頭を支えつつ、組んだ足をぶらぶらさせる行儀の悪い姿勢で、スバルはそっけなく言った。
サポーター二人が頼もしい反応をくれたことにアキラはほっとして、告げた。
「二人には今後も隠し事をしたくないし、正直に言いたいんだけど……。勢いなんだよね。気になることがあって、参加する以外に方法が思いつかなくて」
「『気になること』って何?」
スバルが向かいの席から身を乗り出して聞いて来る。
「わたしがこの世界に来たときの、前後の記憶が曖昧だって話はしたよね。気が付いたらこの身体の中にいて、目覚めを待っていた二人が迎えてくれた。そのときに、百年前に素養を見出されて眠りにつかされたアリアド家の候補者だよって教えてくれた。ただし記録上は『男性』となっているから、『聖女試験』は辞退可能かもって。わたしはこの世界から見て異世界の、普通の高校生だし、何をするかもわからない試験なんて無理だと思って素直に辞退をしようと考えたんだけど……。今日、カタリナ家のミユキさんを見たときに、ふっと変な感じがして」
話しながら隣のアランに目を向けると、しっかりと頷かれた。水色の瞳には誠実そうな光が宿っている。
(仕事とはいえ、こんな小娘に付き合わせて本当に申し訳ない)
背が高く肩が広く、鍛え抜かれた身体つきのアランは、士官学校を優秀な成績で卒業したエリートだという。剣を振るう姿はまだ見たことがないが、動作の端々に武人らしいキレを感じる。
「変な感じって、どういう感じ?」
一方、間を置かずに話をどんどん展開させるのは灰色髪の魔導士スバル。口が減らず不遜な印象を与える青年だが、名目上は主従であっても何者でもない自覚のあるアキラからすると「偉そうな奴」などと口が裂けても言えない。
彼は魔導士学校を「近年稀」な優秀な成績で卒業しているという。
ただし、「史上初」くらいの天才が同期にいたせいで万年次席の不遇にみまわれたと聞いている。
(その相手が「ミユキ」の魔導士レグルス。何もかもが黒に彩られ、厳しいまなざしをしていた)
「わたしはこの超能力も霊感も何もない一般人。だから、自分の勘なんかそんなにあてにならないと思ってはいて」
「本題どうぞ」
長い前置きはスバルにさっと打ち切られる。
ばつの悪い思いで見上げると、にやりと口の端を持ち上げて笑われた。
「ミユキお嬢様に何を感じたんだ? 聖女の素養があるって選ばれているんだ、アキラはもっと自分の感覚に自信を持っていい。オレもアランもちゃんと聞いているから」
やや早口にまくしたてられて、アキラは気圧されまいとその目をまっすぐに見返す。
スバルは自信家で、そのアイスブルーの瞳にはいつも不屈の意志をのぞかせているが、決して性悪ではない。
歯切れの良い話しぶりで当たりは厳しいものの、アキラを護衛対象として強く認識しているのは今日の一幕からも伝わってきた。
「ミユキさん、わたしの知っている人に似ている気がしたの。気のせいならいいんだけど」
「それって、良くない知り合いってこと?」
すぐにスバルに切り返されて、(たぶん、このひとには絶対隠し事できないんだろうな)と思いながらアキラは頷いた。
「わたしの知るミユキは、周りの人からすごく慕われるタイプの綺麗で優しい女の子なんだ」
二人からの視線を感じて、一瞬言葉につまる。
言わない方が良い。
迷いつつも、振り切って、アキラはなんとかその続きを口にした。
「だけど……。自分で手を汚さないで、狙いをつけた子をいじめていたような気がするんだよね。これ、たぶん言っても誰も信じてくれないと思うし。わたしも、この世界のミユキさんをよく知らないのに、こんなこと言っちゃいけないと思うんだけど」
自分で言ってるうちに、情けない気分がこみあげてくる。
(あんな美少女相手に、こんな言いがかり……。二人には絶対呆れられるよね。自分でも言っててひく。根拠も何もないのに)
ともすると、間違えているのは自分の方だと前言を撤回して謝りたくなる。
あちらの世界のミユキにはそのくらいの存在感があった。
黒の魔導士と少年のような剣士を従えて、堂々と現れたこの世界のミユキなら、なおさらだ。
がっくりと俯いてしまってから、恐る恐る顔を上げると、真剣なまなざしをしたスバルがいた。目が合うと、視線をしっかりアキラに合わせてから、ゆっくりとアランに顔を向ける。
「うちの若さんの言ってること、理解できたな?」
「概ね。私は女性に詳しくないが、やり方が汚い人間は男女問わずいるだろう」
二人の会話を耳にしたアキラは、焦って割って入った。
「根拠ないの! わたしも記憶がはっきりしないし、あっちのミユキとこっちのミユキさんが同一人物なんて確証はないし!? だから本当は、もっときちんと裏を取るまでこんなこと言っちゃいけないんだけど」
「裏を取るには試験に参加しなきゃいけないし、参加する理由をオレらに説明する場面だったんだから、アキラはガタガタ騒ぐな。悪い予感がするっていうなら、全部言えよ。守るのがオレらの仕事だ」
アイスブルーの双眸にガンをつけられて、アキラはうっと息を呑む。
おい、とアランがたしなめるようにスバルに声をかけてから、穏やかな声で言った。
「正直なところ、裏を取るにしても、直接アキラに利益があるようには思えないんですけど……。アキラの目的はなんですか? 今の話を聞く限り、聖女に未練が生じて試験に参加を決めたというよりも、ミユキ嬢が気になったから、と受け取れるのですが」
淀みのない口調で、大変痛いところを突いてくれる。
「二人には本当に申し訳ないんだけど、試験を勝ち抜けるとは思っていない。『男』っていうのも訂正できていないままだし……」
「できねーだろうなぁ。あそこまで言った以上、今さら女ですって言っても打ち首もんだぞ」
さらりとスバルに追い立てられて、アキラは涙目にならにように目を忙しなくしばたいた。
「ただ、さ。ミユキさんを放っておけないっていうか……。たぶん、あのひとが悪人だなんて誰も思わないよね。そのうちにさ、何人かえげつないやり方で蹴落とされるんじゃないかって気がして。場合によっては死人もでるんじゃないかって思ったら、怖くて……。だから」
だんだん小声になるアキラの頭越しに、二人が遠慮のない会話をする。
「アラン、うちの若さんの言っていること、理解できるか」
「お人好しらしいのはわかった」
「勝つ気もないのに、優秀な二人を付き合わせて本当に悪いって思ってるんです! だから、裏を取ったりとか、他の候補者のサポートはできるだけわたしがやるので」
ぐしゃ。
立ち上がったスバルに、ぐしゃぐしゃと短い髪をかきまぜられてしまった。
「給料出てんの! エリート二人に適当な額が危険手当付きでアリアド家から出てんの! ガキが余計な心配してんじゃねーよ」
アランが手を伸ばして、遠慮容赦のないスバルの手をアキラの頭から取り除いた。
「スバルは言い方が悪いですが、私も気持ちは同じです。状況はわかりましたので、誠心誠意あなたのサポートに努めます。チームは三人一組なんです、お忘れなく」
(……大人の男二人が相手だなんて、分が悪すぎる)
言いたいことの半分も言えた気がしないまま唇を噛みしめたアキラに対し、スバルがふっと息を吐き出して笑った。
「とりあえず話は終わりだ。メシにしよう。食堂行こうぜ」