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3 今はまだ灰色の歌

「高木くんはそう思うんだ? わー、ありがとう。参考になるー」


 ざわめきの中で。

 どうしてその声が聞こえたのか。


(また、だ)


 耳がみゆきの声を拾う。妙に甘ったるく聞こえるのだ。「ここの大学、試験三科目だしみゆきの得意な教科だから良さそうじゃない?」なんて。

 昨日同じこと女子同士で話していたはず。なのに、みゆきは男子に言われたときに、より強く反応を示す、ように見える。


(女子が言おうが男子が言おうが、内容は変わらないのに)


 言葉にできるほど明確じゃない、おそらく自分だけが「なんとなく」感じている気持ちの悪さ。


(何に認められようとしているんだろう。べつに、そのひとのことを好きじゃないよね?)


 こんなことを考えてしまう自分がおかしいとは思う。

 みゆきが男子に笑顔を向けて、「色々調べていてすごいね」なんて言い添えているのを見ないように目を逸らし、ぼんやりと前を見ながら考える。

 無意味だな、と。


 あんな風に「すごいね」と言われたら気分良くなるんだろうか。なるんだろうな。みゆきだってそのつもりで言っている。それで? 好意が生まれるんだろうか。

 自分の周りに好意を発生させて集めてどうしたいんだろう。


(好意に包まれていた方が何かと生きやすいのかもしれないけれど)


 意識の流れを作って自分を守る。何から?


 みゆきの声を聞くだけでこんなことを考えてしまう自分が嫌だ。

 なんでもない光景に、よくここまで邪推できるものだと、自分で自分に呆れる。だけど。

 みゆきがくすぐるようにして増幅させる誰かの思い。

 彼女が自分の身にまとわりつかせたそれが。


 いつか毒をこめた囁きによって色を変えて、誰かを攻撃する装置となる。

 好意を悪意に変換させる前触れのような危うさを感じる。


 目を瞑っても、耳に届いて聞こえてしまう。

 苦手なんだ、あの声。



  *  *  *



 耳を閉じていてください、とアランに両手をつかまれて耳にあてるよう掌を置かれ、上からアランの大きな手を重ねておさえられた。

 目を閉じろとは言われなかったので、何が起きているかは見た。

 おそらく、声に特徴のある魔物だ。


(セイレーン……)


 自分の知っている言葉で表現するなら、そうなる。髪の長い女の人の顔と、鳥のような身体をしていて、時折、何か歌うような仕草をする。

 魔物。魔物。たくさんいる。

 他にも二足歩行のトカゲのような魔物(リザードマン)毛深い巨人の魔物(ビッグフッド)など、これまで何度も遭遇し、レグルスやアランが撃退してくるのを見た。

 今も、レグルスとスズトが連携して、苦も無く三体現れたセイレーンを屠っている。

 周囲の安全を確認した後に、「進むぞ」という合図があった。

 アキラはアランの手からゆるく首を振って逃れつつ、息を吐いた。


「この世界には、なぜ魔物がいるんでしょうね」


 アキラの肩に軽く手を置いたアランが、おっとりとした声で答えた。


「魔物はなぜ人間がいるのかと考えているかもしれません。我々はここで暮らす気もなければ、何かの必需品を採取しに来たわけでもないので、本当にただの侵入者ですから」

「それで攻撃を受けるわけですか。たしかに家の中を見知らぬひとがウロウロしていたら怖いです」


 それならば。迷宮の外ではなぜ戦っているのだろう。領域侵犯?


「言葉が通じない……? だけど、さっきの魔物は歌っていました。言葉にならずとも声が出るのであれば」

「魔物とわかり合いたい?」


 考え深げに呟いたアキラに、アランがしずかに言う。

 思わず見上げると、穏やかに微笑まれた。


「わたしは『聖女』が何かよくわかっていないので。たとえば、そうやって戦いそのものをなくすことはできないのかなと。怪我を治療する魔法にも憧れはあるんですけど……。それは大局に影響を及ぼすものではないように思えて。何かもっと……できないものかと」

「『聖女』であれば、世界を平和へと導けると? その理想は、とても尊いですね」


 否定しているわけでも馬鹿にしているわけでもない。

 けれど、そう言うアランの目がどこか遠くを見ているように見えて、アキラは少しだけ怯んだ。

 すぐ横で耳を澄ませていたティナが明るい声で言った。


「『聖女』になったらずいぶん働きそうね。魔物との和解や共存なんか、初代聖女からの悲願よ。最も力が強かったとされる聖女と、あなた同じことを望むの?」

「力が……。いえ、この世界には、もっと困っていることや、解決すべき問題があるのかもしれませんけど。わたしが今思いつくのはそのくらいだったので。ティナ様は? 聖女になったら何をなさるんですか?」


 なんの裏もなさそうに返したアキラに対し、ティナは笑った。


「一族への利益供与かしら。結局、望まれていることなんてそんなところでしょ。初代ほどの聖女なんかもう二度と現れないと言われている。現代の聖女なんかお飾りで、中途半端な政治の道具よ。私だって……、なりたいかどうかよくわからないわ」


 低い、早口で言い終えてから、ティナはやっぱり笑っていた。その笑みはどこか苦しかった。

 そして、アキラの腕に手を回して、囁いた。


「私たちは似ているかもしれないわね。聖女にあんまり興味がない点で。きっとこんなこと疑問も覚えずに、ただ一心に聖女を目指している候補者だっているわよ」

「そういうひとが選ばれた方が良いんだと思いますけど……。そういうひとは今この迷宮で何をしているんでしょうね。実質できることなんか無いじゃないんですか。人の手を借りてただ生き延びるだけですよ」

「それは実は難しいことなんじゃないのかしら。本来の護衛ではない人間に自分を守らせなければならないのよ」

「守ってもらえる仕組みが用意されています」

「あなた」


 ティナが、指を一本すばやくアキラの唇に置いた。

 言葉を封じるかのような仕草に黙らされて口を閉ざしたところで、ティナが言った。


「自分で戦いたいのね。手を血で汚しても?」

「わたしが汚さなくても、誰かが汚しています」

「そう。それはきっと忘れてはいけない感情だと思うわ。『聖女』ならね」

「『聖女』には……」


 なれないし、ならないだろう。

 その否定が、そのときはどうしても出てこなかった。


「『聖女』とて人間よ。戦おうにも一人で戦える範囲なんか知れている。それを見誤ったから、最強の力を持っていたのに初代聖女はあんな無残な死に方をした。本当に戦いたかったら、自分の手を汚すべきじゃない。必要なのは、他人に汚させる覚悟なのよ。大きな戦いに乗り出すとすれば、今あなたが感じているよりもずっと大きな悔しさがあるはず。だけど、短気を起こして一人で突撃するような人間は死んじゃうの。それじゃだめ。他人をうまく使えなきゃ。『聖女』ならば」


 聖女ならば。


「自分で戦ってはいけない……?」

「心で血を流しても、他人を使役し、自分の為に死ねと言える。そうでなければならないと、私は教わってきた。あなたは?」


 理解できる気もする。大局を見ろと。納得はまだできない。


(無残な死に方をした初代聖女……)


 そのひとを取り巻く後悔や反省が、こんな無為に見える試験を作らせたのだろうか。

 アランやレグルス、ティナの護衛の二人も何も反論せず聞いている。

 これはおそらく、この世界では間違いのない史実なのだろう、とアキラは結論付けた。

 魔物との和解や共存を目指し、自ら討って出て、最後は無残な死を遂げた聖女。

 その人と同じ轍を踏まないための。


(他人をうまく使う……。それはきっと間違いじゃない。自分の手を汚さなければ……。だけどどうしても違和感が消せない……)


 もはやそれはただの自分自身の好悪なのだろうと思いながら。

 この世界では愚かだと眉を顰められるだけであろう考えを捨てることができない。


 知っているから。

 決して直接戦おうとしない、どんな敵意も周囲の人間を使って阻みつつ、その位置から攻撃してくる人間を。

 その屈辱を。


 ――ああ、それが正しいのならわたしは聖女には向いていない。向いているのは……、みゆき。


 胸の中が灰色に、そして黒へと染まっていくような痛みを抱えて、手でおさえながらアキラは顔を上げる。

 何か言いたげな顔をしているアランと目が合った。



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