2 姫君の告白
四方を石壁に囲まれた石室だった。
部屋としては、決して狭くない。候補者用宿舎の、チーム毎に割り振られた個室程度には広い。スバルと姫君が思い思いに壁に背を預けたり、歩き回ってもぶつかるようなことはない。
ただし、抜け出さなければいつか空気が足りなくなるだろう。
そのくらい、石と石の間に隙間はなく、出入り口に該当するような抜け穴もなかった。
短いやりとりの末にそのことに思い至った二人は、今、極力空気を浪費しない為に身じろぎにも気を遣い、ほどよく距離を置いて壁によりかかった姿勢で沈黙している。
考えている。
どう抜け出すべきかを。
(迷宮が……、怒った)
馬鹿馬鹿しい考えではあるが、無視できない。
まるで懲罰房に隔離されたような状態だ。
魔物も出現しなさそうだし、安全な場所には思えたが、迷宮の仕組みを解明しない限り、出られない。
スバルとしても姫君と話し合いたい気持ちはあるものの、つまらないことを言って空気を浪費したくないので、愚にもつかないと判断した考えは切り捨てる。
雑談から正解への道筋が開かれることもあるとは思うものの、現状では踏み出せない。
「考えがある。魔導士」
沈黙を先に破ったのは、姫君であった。
聞いている、と示す為にそちらに顔を向けると、恐ろしく真剣なまなざしで見られていた。
「ここは聖女候補者の為の迷宮だ。そして、候補者に選定されてきた者はその時点で『素養がある』とみなされている。私も魔力の適性試験のようなものは受けた上で候補者として擁立された。つまり、聖女ではないにしろ、候補者には『何か』がある」
「その身に『聖女』たるべき聖なる力を受ける器としての『何か』だな」
「そうだ。この迷宮がただの迷宮ではないとして、何かを試しているのだとすれば、それは『聖女の資質』なんだと思う。つまり……」
落ち着かない仕草で、姫君が何度か目を瞬かせる。親指を唇にあてた。爪を噛もうとして、やめたように見えた。
スバルは、その様子を、じっと見つめながら次なる言葉を待った。
待たせていることに気付いたように、姫君は顔を上げてスバルへと目を向けた。
眼光が非常に強い。それでいて、縁がわずかに潤んでいて、心もとない様子にも見えた。
(なんだ。叱られることに怯えた子どもみたいな顔をして)
変顔でもしてやろうか、とスバルが考えた矢先、姫君が囁くように言った。
「私のせいで迷宮が怒ったのかもしれない。私は『聖女』の『候補者』の資格もない……」
「試験はまだ始まったばかりだ。まだ誰も聖女にはなっていないのに、なぜそんな弱気」
思わず言い返せば、瞳の色が濃くなった。錯覚だ。睨まれただけ。
「あなたがたの候補者である『アキラ』も今頃困ったことになっているかもしれないぞ」
捨て置けない名前が出されたことで、スバルも両目を細める。
「アキラに何かあったらレグルスの責任だ」
「その理屈が成り立つなら。今私の身は『迷宮の怒り』によって危機にさらされているが、この責任は魔導士、お前にあるというのか?」
すかさず責められる。
スバルは背筋を伸ばして身体ごと姫君に向き合い、片手を腰にあてて見据える。
「いいぜ。それで。間違えていない」
「言ったな。ならばお前はこの事態を打開できるのか」
視線がぶつかる。
(……この姫さん、悪くないかも)
理由を考えるより先に好ましく感じて、後付けで何が決め手かなと考える。「たすけて」と言わないところだろうか。
強気だ。
わがままとは少し違う。
「そもそもこの事態を招いたのはオレだ。姫様はあのときオレを助けようとしたからこんなことに。オレにはあなたを守り抜く義務があるのに」
「私は『アキラ』ではないぞ」
「知ってる。それが?」
今さらな問答にスバルが軽く肩をすくめると、姫君は常より鋭い目つきでスバルを見て言った。
「『アキラ』であれば、納得ができたかもしれない。アレは己の不利を顧みず、禁忌に触れる男の身であることを明らかにしていた。それを承知でお前もアラン様も守る気だった。だが私は、言うべきことを言っていない。それが、この事態を招いた恐れは十分にある」
緊張のせいか、顔全体を強張らせている姫君に、スバルは軽く首を傾げてみせた。
「知ってる? あんまり歯を食いしばっていると、歯が削れちゃうよ」
「お前……ッ」
一歩踏み出した姫君の足元を一瞥すると、スバルは右手を左胸にあて、ゆっくり口を開いた。
「この迷宮を出たら、オレはアキラの護衛に戻り、姫君とは争う関係にある。話せば不利になることを、姫がオレに話せないのは自然なことだ。そしてオレが聖女にと望むのはアキラただ一人。これは大前提で、揺るぎようもない事実。その意味で、姫君がオレに心を許さないのは当然なことだし、誰も責めない。だが護衛としてオレはオレを責める。姫君を危険に晒している。すまない」
「スバル」
胸にあてていた手を自分の唇の前に持って来て、指を一本立てて「しずかに」と動作で示し、ゆるく首を振る。
「話さなくてもいい。聞いてしまったら、オレはそれをもとに戦略を組み立て、あなたを蹴落とす。何度も言うつもりはないけど、オレにはアキラだけだ。アキラ以上に大切なものなんてこの世にない」
姫君の瞳に強気な光が戻り、怒りを孕んで炎を迸らせた。
「百年前に眠りについた候補者で、お前は出会ったばかりのはず。しかも男だ。『聖女』になる可能性なんかないも同然」
目の前のスバルを焼き尽くしたいと言わんばかりの、激情。
それが何故かを探りたい気持ちを堪えて、スバルはゆるく首を振った。
「誰がなんと言おうと、聖女になるのはアキラだ。オレもアランもそのつもりでいる。だけど今はその為に、あなたをお守りしないといけない。だからここを抜け出さないと。単純に破壊すればいいという問題でもないような気がするんだよな……」
もし本当に先程の攻撃に対して迷宮が「怒った」のならば。
(意思があるなら、他にも何らかの方法でそれを示しているはず)
迷宮が。
たとえば、引き返してきたエルハと出会うことはできた。
後から潜って来たカストルとも合流ができた。
だが、エルハの連れに会うことはできなかった
(アランは……? どこかに消えた……? 何か法則性はあるのか?)
沈思黙考するスバルを睨みつけていた姫君だが、大きく息を吐きだして軽く握りしめた拳で壁を叩いてみせた。
「もしこの迷宮が『候補者』の為のものなら、それ以外の存在は異物となる。つまり護衛たちは。もしかして、候補者が先頭に立たないと道が開かれないとか、そんな特性でもあるのかも」
自分でも半信半疑なのだろう、唇を歪めて笑う。
「候補者が先に立たないと……? 道が開かれない……?」
スバルは繰り返して呟く。
(なんだ? 近い気がする)
頭の中でいくつもの情報の断片が舞っている。今はまだばらばらに砕けている。
そのひとつひとつに書き込まれた情報を繋ぎ合わせて……。
現実の石室ではなく。
思考の宇宙に立って星々に手を伸ばす。
魔導士が魔法を組み立てる中で作り出す自分だけの空間。
目の前を過ぎていくいくつもの断片にスバルは手を伸ばし、大きなかたちを作り上げるイメージを描く。
瞬間、目裏で光が迸った。
「……通常、魔物が出る迷宮で、戦闘力のない候補者を先に立たせるなんてありえないと思うんだけど。たとえば迷宮の最奥に至る『正解』が存在するとして、そのルートに至る条件が『候補者』が自らの足で進むことだとすれば。候補者から離れたエルハ、始めから候補者を伴っていないカストルが、直近の候補者と合流できた理屈としては成り立つかもしれない……」
そして、候補者から離れたアランも誰か別の候補者に出会った可能性も……。
考えながら呟くスバルに対し、姫君はふん、と鼻を鳴らして言った。
「その仮説が正しければ、何らかの事由で候補者を見捨てた護衛は、一生迷宮をさまようことになるのかもしれないな」
「近くに別の候補者がいればその限りではないだろうし、もしかしたら『地上に出たい』という意思は迷宮が汲んでくれるとも考えられるけど……、つまり帰り道は比較的見つけやすい、とかね。ただ、『候補者の為の迷宮』というのは外せないポイントかもしれない。でもこれ、逆に言えば候補者さえいれば迷宮は試験の続行を認可してくれるような。つまり、鍵は姫君、あなただ」
そこで、姫君はハッキリと皮肉げな色を浮かべて呟いた。
「私は鍵にはなり得ない。迷宮に対して嘘をついた。それをきっと迷宮に気付かれている。だけど……、試す価値はあるだろう」
声に意志が宿っていて、スバルは知らず目を見開く。
姫君はにこりと微笑んで素早く言った。「あなたのアキラの為に、ここで確かめよう」
拳でこん、こん、と石の壁を叩く。
スバルを見つめたまま、よく響く声で言った。
「もしお前が意思ある迷宮で、候補者の選抜に関わっているなら、私の声を聞け。私は王家の威信の為にここにいるが、本来は候補者ではありえない。もし迷宮が候補者の資質をはかっているとして、必要最低限の条件として掲げるのが『女性であること』ならば、この迷宮にはその条件を満たしていない候補者が少なくとも二人いる。アリアド家のアキラと、この私だ」
告白を。
宣言を。
スバルは息を詰めて聞いていた。
言うと決めてそれを口にした姫君は、ウォルフガングによく似た横顔に悪童めいた笑みをひらめかせて、力強く続けた。
「それでも、私の前に道は開かれるというのか?」




