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10 地底湖の首長竜

 来たときと、道が違う。

 ほどなくして、アキラはその事実に気付いた。


(レグルスさんも気付いているはず……。川沿いの一本道を戻ってきたはずなのに……?)


 たどり着いた先は大きく開けた空間となっていて、眼前には奥行きも深さも皆目わからない地底湖が黒々と広がっていた。

 頭上からはつららのように鍾乳石が垂れ下がっており、相変わらず光を放つ虫のようなものがふわふわと飛んでいる。


「時間的な要因か、それとも何か別の理由で、姿を変えるらしいな。この迷宮は」


 少し遅れて歩いてきたレグルスが、面白くもなさそうに言う。


「それってつまり、マッピングができないとか、元来た道を辿っても出口に帰れるとは限らないということですか?」


 振り返って尋ねると、わざとらしいくらいににっこりと微笑まれた。


「わかっているじゃないか。その通りだ。その気になれば骨になるまで迷えそうだ」

「骨……。とりあえずここは行き止まりですよね。湖の深さもわからないし」


 言いながら、アキラは背負っていた荷をおろした。

 そのまま、ゆるい斜面を下り、波のように水が寄せている際まで歩いてみる。


「やめておけ。何がいるかわからない」


 背後からレグルスに釘を刺されるが、恐る恐る覗き込んだ水が恐ろしいまでに澄んでいると気付いたアキラは、そのまま吸い込まれるように身を乗り出した。


(すごい、透明だ……。もっと灯りがあれば、底まで見えそう)


 飛び回る光源だけではおぼつかないが、少し見ただけでもかなりの深さを感じた。

 アキラはさらに、前のめりに湖面に目を凝らす。

 そのとき、視界で何かが動いた。

 丸いような長いような、もしかしてとても大きい……。


「下がれっ」


 レグルスに声をかけられたのと、それが水面に向かって急速に上昇してきて、激しく水を撒き散らしながら姿を現したのはほとんど同時だった。


「恐竜……!?」


 首の長いハ虫類のような生き物で、水をはじく胴体には大きな瘤があり、四肢は水掻きの形状をしている。


首長竜(チャンプ)だ!」


 レグルスの声は聞こえていたが、アキラは瞠目したまま、咄嗟に動くことができなかった。

 長い首の先についた頭部が、真っすぐに振り下ろされる。


(食べられる!?)


 激突したらおそらく痛いではすまされない。

 身体をひねって逃れようとしたが、足がずるりと地面を踏み外して斜面を転がり、地底湖にすべりこんでしまった。

 すぐに起き上がろうとしたが、竜の動きによって湖面は荒れ狂い、水をしたたかに飲み込んでしまう。

 しかも、思った以上に深い。足がつかない。


「アキラ!!」


 レグルスに名を呼ばれて、なんとかそちらを見ようとしたが、ガボッという水音に包み込まれて自分が沈んでいくことだけがわかった。


(苦しい……)


 もがきながら手を伸ばしたが、何も掴めず。

 意識はそこで途絶えた。


 * * *


 レグルスは、濡れそぼった黒髪から雫を滴らせながら、アキラを抱きかかえていた。


 首長竜の追跡をかわしながら、溺れたアキラを追って地底湖に飛び込み、なんとか見失わずに掴んで戻ってくることはできたが。

 すでに水を飲み、呼吸が途絶える程度には沈んでいたアキラはすぐには意識を取り戻さない。

 首長竜は雷撃で撃退しつつ、開けて乾いた地面までアキラを運んで横たえ、レグルスは処置を開始する。


 鼻をつまんで、口を大きく開き、唇をあわせて息を吹き込む。

 胸が上下するのを確認しつつ、もう一度息を吹き込んでから、胸骨に手をかけ、何度か強く圧迫した。

 ほどなくして、アキラは水を噴き出し、呼吸を取り戻す。


(間に合ったか……)


 溜息を吐き出して、その場に座り込んだ。

 が、すぐに寒気に襲われて身を震わせた。

 火を焚いて濡れた服を乾かさねばとは思うものの、燃やすようなものがない。

 乾いているものといえば、湖に飛び込む前に脱ぎ捨てた外套と、アキラが置いていた荷物くらいだ。

 惑う間にも、アキラもまたどんどん体温を失ってしまっているはずだ。


(他にないか……)


 昼の食糧を包んでいた布などを取り出して魔法で火をつけ、できるだけ弱く長く燃えるように調整してはみるが、やはりそれだけではまったくあたたかさが足りない。

 レグルスは嘆息して、濡れて肌に張り付いたシャツを脱ぎ捨てる。

 それから、アキラの服にも手をかけた。

 濡れた服を乾かしつつ、二人で肌を合わせて外套にくるまっていればそれなりに暖はとれるはずだ、と考えただけであった。


 アキラの襟をはだけて、ボタンを外して首から胸へと露出させたときには、見た目通りの女性的な細さに加え、肌理が細かくどこかなまめかしさがあるなとは考えた。

 そのまま、濡れた肌着も邪魔なので脱がせてしまう。

 さらには、胸にさらしのように布をあてているのをいぶかしみつつも、心臓でも守っているつもりなのかと、くるり、とはぎ取ってしまった。


「……?」


 しばらく、何が起きているのか理解ができなかった。

 頭が目の前の光景を拒んでいたのかもしれない。

 なめらかな曲線をもった肩の線や、主張するほどではないが明らかに男性とは違う胸の柔らかそうなふくらみ……。


「なんの……意味がある……?」


 思わず、呻いてしまった。

 レグルスの知る限り、アキラは女性限定試験に臨んだ男性であったはず。そして当然の如く、男性であるというのが大きく不利になっているのだ。

 もともと女性であるのならば、不必要な嘘をついていることになる。

 まったく、意味がわからなかった。


 しかし、起こせた火はあまりに弱く、アキラもレグルスも冷え切っているのには間違いなく。

 当初の予定を遂行した方が大局的には正しいのは明白であり。


 目を瞑り、いとけない寝顔とほっそりとした裸身をさらしている少女から目を背けつつ、レグルスは腕を伸ばして抱き上げた。

 そのまま、自分の裸の胸に抱き寄せる。

 肌と肌が触れ合った瞬間、歯を食いしばって息を噛み殺し、目を瞑った。

 火を前に、岩肌にもたれかかりながら、乾いた外套で互いの身体を覆う。


(候補者を、無事に返すのが自分の使命であって)


 何か猛烈な勢いで襲い掛かって来る背徳的な責め苦に言い訳をしながら、冷え切った身体を抱きしめて息を止めた。

 しばらくしてから、恐る恐る吐き出す。


「ん……」


 身じろぎしながらアキラが声をもらしたが、目覚める気配はない。

 鎮痛な面持ちで遠くを眺めてから、レグルスは目を閉ざした。

 魔物の気配はない。


 少し休もう、と心に決めた。




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