9 綺麗事の王
迷宮の奥深くへと。
レグルスの歩みは一定だ。足元が悪くても、バランスを崩すことがない。顔を上げれば広い背が見える。
「魔法使いの修行で……、こういう洞窟に潜ったりすることあるんですか」
岩肌に手をつき、足を下ろす先に注意深く目を向けながら話しかけてみる。
「べつに」
返事は簡素でそっけない。
(さっきは話し過ぎたって思っているんだろうな)
レグルスにも、感情がある。
きっとまだ何か、抑えこんでいる。
――君が殺せというのなら、他チームの護衛とも戦うだろう。
(わたしが誰かを殺せなんて言うはずがないし。だけどミユキさんは……)
ミユキさんが。
あの綺麗なひとが、このひとと行動を供にしていないことに、いますごく安堵している自分がいる。
アランは傭兵王、と呼ばれていた。
傭兵がいる。おそらく戦争がある。
この世界での価値観はまだよくわからないが、聖女候補に殺生を禁じている以上、人殺しは認められた行為ではでないはずだ。
しかも、ここに集まった人は、悪人でも罪人でもない。
あるのは互いの利害関係のみ。本来はここで死ぬべきではない一般人だろう。
状況に追い立てられたからといって、目の前の相手を殺している場合ではない。
(殺させたくない……。わたしがいてもいなくても、「聖女試験」は開催されただろうけど。聖女になるつもりがなくても、参加して、自分の足で歩いて、意見も言っている以上、わたしだって紛れもなく「候補者」だ。少なくとも自分が関わる範囲では殺しは防ぎたい)
少なくとも……。
その消極的な判断から、ずっと迷宮の奥深くを目指してはいるけれど。
顔を上げて、レグルスの背を見る。その向こうに続く、暗い道を見つめる。
正しいのだろうか、この道は。
考えているうちに、歩みが遅くなっていた。
気が付いたときには、濡れた岩に乗り上げた足がずるりと滑り、慌てて何かに摑まろうとしても、岩肌にはとっかかりがあるわけでもなく。
やばいと思った瞬間手首を掴まれて持ち上げられていて、踵が浮いた。
「さっきから心ここにあらず過ぎるだろ。何を考えている」
「……っ」
めちゃくちゃ痛い。引き返してきて助けてくれたのはわかるけど、指ががっつり食い込んでいる。
ギチ、という音が鳴りそうなほど締め上げられたまま、引きずられて平らな岩場まで誘導された。
「レグルスさんこそ。話しかけても上の空です」
「内容のない会話はしない。そもそも無駄口には付き合わない」
ようやく手を解放され、思わずもう片方の手で痛む手首を撫でさすりながら、ふてぶてしい面構えのレグルスを見返してしまった。
「わたしはどんな会話でもついていきますよ。ここはひとつ、レグルスさんから内容のある会話をふってください」
「なんの為に? 俺になんの益が?」
「同行者に知恵がつけば、あなた好みの知的で有意義な会話が楽しめます」
力強く断言したのに、レグルスには遠慮なく噴き出された。
笑ってしまった顔を見られたくないのか思いっきり背けられたが、肩が震えている。
「笑い過ぎです」
「気が長すぎだろ。なんで俺がよその候補者の育成まで担当しなきゃいけないんだ」
「もっともですが……。会話がしたいんです」
少しでも情報が欲しい。この世界のこと、聖女のこと、レグルス自身のこと。
(わたしは何も知らないんですと言って、このひとに教えを乞うことができたら)
言ってしまいたい、という弱音を無理やりに押し殺す。
「スバルやアランとも、本当はもっと話したかった。話していれば、確信が持てたと思う。あの人たちは悪い人じゃなかった……」
笑いをおさめたレグルスに視線を向けられる。物言いたげで、それでいて何を言うでもない。
アキラはその目を見つめた。
レグルスは、目を見て話されるのが苦手なようなことを言っていた気もするが、他にどこを見れば良いのかわからない。
「少し迷っていたのは事実です。二人があなたを害したらどうしようと思っていたし、それを自分が止められるとも思えなかった。だけどそれが間違いだった。わたしが一番に信じるべきは彼らであり、その延長線上にあなたがいるんです。極端なことを言えば、わたしとあなたが戻らなければ、わたしという候補者をあなたがロストしたとして、カタリナ家を失格に追い込むことができます。ミユキさんを候補者から引きずり下ろせるなら、それでわたしの役目は十分かと思っていたんですよ」
目を逸らさないで見返してきていたレグルスが、薄く笑った。
「それが君の本心だったか」
安堵しているように見えた。
(相手の本心がわからなくて不安なのは、この人も同じなんだ……)
「迷宮の奥深くへと進めば進むほど、他の人には会いづらくなる。そうすればあなたは誰も殺さないで済む。だけど帰るのが困難になるはず。わたしは、試験を辞退しようとした人間です。自分が聖女になることは想定していない。ならばこの迷宮の課題においてわたしが挙げられる最大の成果は……、有力な候補者であるミユキさんを失格に追い込むことです」
レグルスは目を伏せ、小さく吐息をした。
すぐに思い直したように見返してくる。視線はずっと結ばれたままだ。
そこから頭の奥や胸の中まで探られているような気がする。
(ここまで自分をさらしている場合じゃないのかもしれない。もっと狡猾に、計算高く、手の内を見せないで……!!)
本当なら、もっと、うまく。
「なぜいまそれを言う気になった」
「……あなただったからです」
他に言いようがなく、アキラは絞り出すように言った。
「護衛として十分に強いから、迷宮の奥へ行くという選択肢があった。その強さで人を殺させたくないから、人と会わない方が良いとも考えた。しかもあなたは、人と会えばわたしをはめると脅すし、スバルとは仲が悪いみたいだから合流も望めない。全部、あなただから。あなたとこの数時間一緒にいて、あなたのことを物凄くたくさん考えました。それで、一番いいのが二人きりでこのままどこかへ行くことだと考えていました。わたしはカタリナ家を失格にすることができるし、そうしたらあなたの試験は終了して、殺し合いには参加しないで帰れるんじゃないかと……。ついさっきまでは、そう考えていました。だけど」
どこにも逃がしたくないとばかりに、手を伸ばしてレグルスの腕を強く掴んで、アキラは一歩距離を詰めた。
身長差から、睨み上げながら、声を絞り出す。
「おそらく、それでは何も解決しません」
ぎりっと指に力を込めて、レグルスの硬く引き締まった腕を握りしめる。
「あなたほどの強さであれば、試験を下りても、これ幸いにと雇い入れようとする候補者がいるかもしれない。それに、人殺しをありだと考えてる候補者はミユキさんだけじゃないかもしれない。ここでわたしが脱落しても何も解決しないって、気付いてしまいました。もしかして、あなたはそのつもりだったんじゃないですか? あなたこそ、ミユキさんを脱落させてでも、わたしを落とすつもりだったのでは? だから、誘いに乗ったと見せかけて迷宮の奥へと進んでいたんじゃないですか」
レグルスは答えない。
アキラは、頬を強張らせたままレグルスの目を見て、無理やりに微笑んだ。
「当たりでしょう」
わずかに目を細めたまま、無表情を保つレグルスに構わず、アキラは食い込むほどに掴んでいた手を離す。
さっと背を向けて、元来た道を戻り始めた。
「どこへいく」
「わたしの護衛、スバルとアランを探します。見失わないようについてきてください。言っておきますけど、これはお願いじゃありません。命令です」
肩越しに振り返ると、レグルスが眉をしかめて見返してきた。
「君はそれでいいのか。戻れば、否応なく」
「巻き込まれるんじゃない、自分の意志で参加しに行くだけです。そもそも試験の参加を決めたのも自分の考えです。楽をしようとしたのがいけなかった」
(「君が殺せというのなら、他チームの護衛とも戦うだろう」あれはきっとレグルスの本心)
ならばスバルとアランも。他の護衛達だって。
殺したい候補者がいる限り、争いは起きる。きっともう始まっている。
「『殺したい候補者』を止められるのは、同じ『殺したい候補者』じゃない。『絶対に殺すつもりのない候補者』でなければ、争い以外の選択肢を見いだせないはずなんです」
一人でも多くの「殺すつもりのない候補者」がその場にいなければならないのだ。
自分や、自分の目の届く範囲の人間だけを守り通しても、戻った先が血塗れの荒野であればなんの意味もない。
後ろはもう振り返らないが、レグルスはついてきていると確信している。
まずは、当初の目的通りにスバルとアランを見つけよう。そう決めた。




