7 甘く香る囁き
「お尋ねしてもよろしいでしょうか」
甘く香るような声をしている、と思った。
声質が良く、耳朶に沁みてひとを陶酔させる鈴の音色のようだ。
少なくともこの声を聞いて、敵意を覚える者はほぼいないと言って良いだろう。
(ただし、内容も頭に入ってきづらい。ある意味では聖女向きだな)
大勢の前で、煽情的な演説をしたらさぞ雰囲気作りの効果が見込めるに違いない。
実直な戦士の顔をしたアランは、そんな考えを表情のどこにも浮かべることなく「どうぞ」と穏やかな声で返した。
「今からでも構いません。ウィルゴの護衛になる気はありませんか?」
特に動揺することもなく、アランは前を向いたまま答える。
「姫と組んだ護衛を探す方針は変更ですか?」
「スピカと、名前でお呼びください。方針の変更というより、可能性の話をしています。あなたは現在護衛対象と離れており、わたしも護衛とはぐれた身です。もし互いに探すべき相手にめぐりあえなかった場合、私と組んで頂くことは可能ですか?」
「私は、あなたが行きたい場所へ送り届けることをお約束しました。その後のことまで負うつもりはありません。他チームの候補者を置き去りにすることは、ルール上何も問題ありませんので」
「……そうですか」
柔らかく澄んだ声で、スピカは少しばかり残念そうに呟いた。
何せアランとしては、出会ったその場所にスピカを置いてきても一向に構わなかったのだ。いわば今は余計な仕事をしている真っ最中なのである。
恩を着せるつもりは特になかったが、いざとなったら、たとえ足にすがりついてきても立ち去るつもりではあった。
(しかし、戦略的にも状況的にも「それが最善」なのはわかるが、迷宮内でさらに組替えすべく護衛をスカウトするとは、逞しい)
スピカの出方によって自分の考えを変えるつもりはなかったとはいえ、切実な印象を受けないところがなんとも言えず侮れないものを感じる。
たとえば。
アランのように何らかの理由で護衛対象と別行動をとっている者は「割り当てられた護衛対象がすでに死亡・重傷などで失格になっている」線も十分にあり得るのである。
その場合、連鎖的に本来の候補者も失格になるが、手の空いた護衛が別の候補者に雇い入れられるのは特に問題がないはず。
おそらく、スピカの狙いはそこだ。
何しろ、アランは「傭兵」である。
アリアド家のアキラより良い待遇を保証すれば、自分へなびく可能性が高いと想定されていても何も不思議ではない。
(情報にあった三叉路にぶつからない……。早速はめられていたのか?)
迷宮は静まり返っている。
耳を澄ませているが、魔物の気配も人の話し声も何も聞こえない。
スピカは五番目、比較的早くに潜った組だ。深いところまで進んでから引き返してきた線も考えられる。その道程で他の組と交戦し、護衛とはぐれたのか。
ぶつかるとすれば、推測する限り十番、十五番。そのうち十五番からはエルハが、二十番であるアランたちへ助けを求めにきている。
(どこが最初に人間への攻撃を開始したのか)
護衛を失った五番目の候補者。「候補者が不明で、死んだ護衛」を発見して引き返してきた十五番のエルハ。
状況だけを見れば、襲われたのは五番目のスピカの組で、狩人は十番めの組だ。
だが、何かがひっかかっている。安易な結論に飛びつく気にはなれない。
「怪我のことですとか、何があったのかということを、聞かないんですね」
見透かしたように問われる。
アランが視線を向けると、待ち構えていたかのようにスピカにふんわりと淡く微笑まれた。
「これ以上余計なことに首をつっこむつもりはありません。あなたに『見過ごせない事情』なんて語られたら困ります」
「情報は必要では?」
「それが真実であるならば、もちろん」
すぐに視線を外して前を向いたが、ずっと見られている感覚がある。
「……あまり、信用して頂けてないようですね」
やがて、ひそやかな溜息が耳に届いた。
「おかしいですね。一本道のはずなのに、あなたの言う三叉路にいまだにたどり着きません。この道はあなたの記憶と合致していますか」
問いかけに対して、スピカは即答せず沈黙した。ちらりと視線を向けると、考え込む顔をしている。
アランはわずかに片目を眇め、スピカをぶしつけに観察した。
先程から、妙な搦め手を仕掛けられているのは感じている。
女性の誘惑に弱いつもりはないのだが、それでもスピカが危うさを孕む存在であるのは察知できた。
正直なところ、あの声で耳元で囁かれたら変な気分にはなるだろうなと思う。精神の深みに刺さるような、幻惑的な響きがあるのだ。
そういった意味では、会話自体あまりしたくない。
(スバルがいたら見破ったかな。聖女候補の中には魔法の訓練を受けている者もいるだろう。レグルスを輩出しているカタリナ家のミユキ嬢もそうだが、スピカ姫も……。自ら手を下すような殺生は厳に戒められている分、身に着けるとすれば精神に作用する魔法に特化するのは十分あり得る)
俗に言う、「魅了」だ。
もともと、この世でただ一人の回復魔法を授受される「聖女」の素養を持つとされる少女の一人なのである。魔力が人並み以下ということはないだろう。
「実は、私も少しおかしいと思っていたところでした。間違いようがない一本道なのに、引き返してきた距離以上に、すでに進んでいるように思います」
声が耳に沁みこんでくる。アランは小さく頭を振った。
(スピカ姫の言うことが正しいと仮定した場合、迷宮がおかしい。記憶違いがあるとすれば、もう少し進んだところで三叉路にぶつかるだろう)
とはいえ、結論はすでに出ているも同然だった。
エルハの連れにも出会わない時点で、前者。「迷宮がおかしい」が有力だ。
(問題は、その「おかしさ」は進む意志のある者にだけ適用されるのか。引き返し、迷宮から逃れようとする者はきちんと見逃してくれるのか、だな)
エルハは入口付近までは引き返してきた。スピカも、アランに会っている。
だとすれば、迷宮脱出自体はさほど難しいことではないかもしれない。
問題は、進むときだ。
怪我人であるスピカの歩行速度に合わせて、さほど急ぎで進んでいるわけでもないのに、後続組の声すら聞こえてこないのが気にかかる。
さらに集中力を高めて遠くまで気配を探ろうとしたそのとき。
「痛ッ」
スピカの上げた悲鳴に、高めた集中力ごと何かがごっそりともぎとられたような感覚があった。
「どうしました?」
「足が……。その……」
立ち止まったスピカが、傷ついた足をおさえている。あてた布に新たに血が滲んでいた。
「本当は、歩くのもお辛いのでは? 迷宮を出ろとまでは言いませんが、地上に悲鳴が届く程度に安全なところまで引き返してしまった方が」
淡々と声をかければ、スピカは唇を噛みしめて、潤んだ瞳で見返してきた。
(あの目を見てはいけない)
精神の奥深いところから警告が発されていたが、すでにその目から目を逸らせないほどに覗き込んでしまった後だった。
「アラン様……」
震える声で呟きをもらしながら、スピカがその場に頽れそうになる。
怪我をした身ではうまく身体を支えられないのかと、咄嗟にアランは動いて手を貸してしまった。
差し出された腕にすがりつきながら、スピカは荒い息をこぼす。
こめかみにうっすら汗がにじんでいて、実はかなりの痛みに耐えているのが伝わってきた。
「少し休まれては」
後続組も気になるし、自分も異存はない旨を伝えようとしたが、途中で口をつぐむ。
スピカの片腕がアランの背にまわされた。
その手に刃物でも握られていようものなら、迷わずに振り払っただろう。
しかし、ほっそりとした指や腕の感触がまとわりついてきただけであり。
当然のように柔らかな少女の身体が、足をもつれさせながら胸に飛び込んできた。
甘やかな匂いが、ごく間近で弾ける。
警戒し続けてきた特徴的な声が、アランの血や肉や骨を震わせるほどの近さで発せられた。
「私を、どうか、見捨てないでください……。アラン様」




