6 無自覚者同士
「少し休もう」
レグルスがそう言ったのは、緩やかな下り坂を進んで、地底の川沿いをしばらく歩いてからだった。
見晴らしがいいとまでは言えないが、見渡す限り魔物はいない。
川原に下りてからは一度も戦闘が起きていないし、休憩にはいいタイミングだった。
真っ暗ではなく、何か光るものがふわふわと上方から川面すれすれまでいくつも尾を引いて飛んでいる。
(あれ何かなって聞きたいけど、この世界の常識みたいな生き物だったらへんに思われちゃうか)
川幅は、気安く入れない程度には広い。もっとも、一見して深さはよくわからないし、水質もわからない以上足を踏み入れる気にはならない。もし迷宮から出られなくなったら飲むかもしれないが、今のところ食糧も水もある。
「今、何時くらいでしょうね」
「朝が早かったからな。昼過ぎくらいじゃないか」
リュックをおろして、中身をあらためる。油紙にくるまれているのは、サンドイッチらしき食べ物だ。保存には向かなそうなので、ビスケットよりこの辺から食べた方が良さそうだ。
レグルスにも渡してから、自分はその辺の大きな石の上に座ろう、と辺りを見回す。
大きくて平たい石を見つけて、川を向いて腰を下ろしてみた。
ぐずぐずしていたらどやされそう、と思いながら油紙を開いてサンドイッチに噛みつこうとしたそのとき。
背中に背中がぶつかった。
「何してるんですか!?」
立ち上がって振り返る。
慌てた拍子にサンドイッチを取り落としそうになって、持ち直してから、広い背中を見た。
はっきり非難がましく言ったのに、肩越しに見返してきたレグルスは瞳に愉快そうな光を湛えていた。
「同じ方向見て座っても仕方ないだろ」
「他にも座れそうなところありますよね?」
「小型の魔物もいる。あまり離れると君が気付かないうちに刺されて倒れていそうで」
「だけど近いです」
レグルスはすうっと目を細めて笑みを消し去り、抑揚のない声で言った。
「スバルやアランにも同じこと言うのか?」
「二人には、言わないと思います」
自分があの二人に食って掛かることなど想像がつかない。レグルスと同じ理屈を話されたら、すぐに納得すると思う。
であるならば、役割として同じレグルスに対し、文句を言うのがおかしいのも頭ではわかるのだが……。
(本当に? おかしいのはわたしなの?)
「護衛対象が他の候補者であっても、同じことをしますか。あなたの距離の取り方は、女性にとっては脅威にもなりかねないといいますか」
「確かに相手が女性であればもう少し気を遣いそうだ。だが君は違うだろう」
微妙に探られると痛い腹であって、これ以上続けてもぼろが出かねないと諦めた。
「わかりました。確かに、わたしとあなたは離れない方が良さそうですし」
再び石に腰を下ろす。
触れるか、触れないかといった位置にレグルスが座ったのが伝わってきた。
(候補者を守るが護衛の勤めって、頭ではわかっているんだけど)
距離をつめられたからといって、意識する方が過敏なのはよくわかっている。身じろぎをしただけで触れてしまうほどの近さは、本当に必要なのかと、疑問を覚えてしまうのだ。
領域が侵される緊張感は、レグルスだって味わっているはずなのに。
背中のことはひとまず無理やり忘れて、サンドイッチを一口、二口と食べてみる。美味しい。トマトとレタスとゆで卵とローストビーフが塩コショウで味を調えて挟まれている。実際には違うものかもしれないが、味や触感はそうだ。
しみじみ噛みしめてから、思い切って言ってみた。
「向かい合って食べませんか? 相手の背後を、お互いに見張れます」
「構わないが、俺の顔ばかり見ていても見張っていることにはならないぞ。自分で気付いていないのかもしれないが、君はひとの目を見る癖のようなものがある。自覚がないなら気を付けた方がいい」
「何をです?」
目を見て話すってそんなに悪いこと? と首を傾げながら問い返して、サンドイッチを大きく一口。
咀嚼して飲み込んだタイミングを見計らったかのように、ぼそりと付け加えられた。
「当家の候補者もよく使う手だ。気の無い相手までその気にさせる。案外、君に殿下が絡んでいたのもその辺が理由かもな」
(ミユキさんとわたしが同じ?)
よくわからないまま、サンドイッチは最後の一口。
飲み込んでから、水筒があったはず、と足下に置いていたリュックを探ってみた。
「さて、この後の予定だが」
話の切れ間だと思ったのか、レグルスは話題を変えた。
「川沿いに下る。地底湖でもありそうだ」
「帰り道は大丈夫ですか?」
「この辺はまだ人が来そうだ。魔物で手一杯だというのに、人間にまで煩わされたくない」
「たしかに。相手が弱ければ頼りにされそうですし、強ければ単独で護衛しているレグルスさんを……、つまりわたしを始末しようとしてくるかもしれません。あまり遭遇したくないですね」
軽い金属に薄く綺麗なブルー系の布を糊付けてある水筒を取り出し、「レグルスさん」と声をかけて結局背中合わせのままの相手に渡す。それからもう一個自分の分を取り出して、蓋を開けた。
一口飲んで、川面から徐々に視線を上げていく。
(光の妖精、かな。襲ってこないから魔物じゃないだろうし。なんとなく、可愛いし)
尾を引いて飛んでいくふわふわの光をぼんやり見上げた。
「この迷宮探索が、目的のないもので良かった」
「目的か。迷宮の奥底にある『何か』を取って帰って来いという課題だったら、争いは確実に起きるからな。律儀に取りにいく組、或いは取って帰ってきて疲弊した組を襲撃する者……。そもそも、物が一つしかなければ勝者は一組だけということになる。『それ』が無いと勝ちが見込めないとあらば、どんなに穏健派の候補者とて、護衛に対して他チームとの戦闘を命じざるを得ない」
「ですね」
その場合、脱落するわけにはいかないという責任感から、自分もレグルスに「それ」を奪ってください、と言わざるを得なかっただろう。
「うちは『戦いたくない』で話がまとまっているので、あとは人間に会わないだけですか」
その言葉はとても何気なく口をついて出て、水筒に蓋をしていたアキラは、レグルスからの返事が遅いことをさして気にもとめなかった。
レグルスは無言のまま身体をひねって手を伸ばしてきて、自分の水筒をアキラの荷物に突っ込んだ。
その拍子に、隣り合って座るような形になって腕や身体の側面がレグルスに触れあった。岩についていた手の上に手を置かれてぐっと握りこまれた。
「レグルスさん?」
咄嗟に身を引こうとしたのに、もう一方の腕も素早く掴まれて身動きがとれない。
怖いくらいに真摯な純黒の瞳が見ていた。
「俺と君の利害が一致していると、本気でそう思っているのか? 君は当家にとって最大の障害となり得るアリアド家の候補者だ。たとえば、俺が君を迷宮の奥に置き去りにするとは考えないのか?」
「それではあなたも失格になってしまうのでは……」
「そんなの。適当な目撃証言をでっちあげればいい。『俺は勤めを果たすつもりであったが、アリアド家の候補者が、レグルスは信用できないと単独行動に出てしまい、止められなかった。候補者の意志を尊重したまでだ』と。その諍いを目撃し、君がどこかへ走り去るのを見たという組がいれば単純に俺を失格にもできないだろう。ましてミユキは聖女適格者と考えられていて、主催側にも簡単に切り捨てられない事情がある。君はもっと俺を疑うべきだ。気を許すべきじゃない。狡猾に、アランとスバルと合流できる方法を探るべきじゃないか」
掴まれた腕の骨がきしんでいる気がする。こんなに強く人に掴まれたことなどない。痣になっているのではないだろうか。
「もちろん、二人と確実に会えるならそうしたいです。だけど、それで他のチームと衝突するくらいなら、誰にも会わないでやり過ごしたいんです」
「俺は」
レグルスの声が一段低くなった。
目を逸らさずに見つめられる。
「君が殺せというのなら、他チームの護衛とも戦うだろう。少なくとも、組み替えがなければ俺の動きはそういうものだったはずだ。そして、命令を下す相手が変わっても、当家の候補者は方針を変えていないはず。君はいつまで寝ぼけているつもりなんだ?」
君が殺せというのなら。
(……これだけ強いひとだから、それは当たり前の発想なのかもしれないけれど。ミユキさんはこのひとに殺しを命じるのか)
苦いものがこみあげてくる。
レグルスは、ずっと「それ」を待っていたのだろうか。
いつまでも「人間には会いたくないですね」と言い続けるアキラに対し、アランやスバルはどうするとけしかけてきていたのも、反応を見たいがゆえの。
──それで、お前の化けの皮はいつはがれるんだ?
「わたしはミユキさんじゃありません。あなたに誰かを殺せなんて言わない。もちろん、わたしのことも殺してほしくない。目撃証言があればわたしを見捨てられるといいましたね。わかりました。じゃあ、誰にも絶対に会わないところまでいきましょう」
「二人きりで?」
挑戦的なまなざし。
(わかった。女性であれ、男性であれ、これだけの体格差や実力差があればそういうシチュエーションに対して怯えることもあるよね)
先程から、無理やりにレグルスに男性を意識させられていたのも、それが狙いなのかと。
二人きりで、誰にも助けを求められない状況になるのを恐れて、他チームとの共闘を視野にアキラが人間を求めて行動するよう促していたのか。
その時こそ、レグルスは目撃者を得てアキラを見捨てることができたのだろう。
「もちろん二人きりで。二人だけで、とことんこの迷宮の奥底まで行きましょう。誰も踏み入れたことのない場所に行けば貴重なお宝でもあるかもしれませんし? 急ぎましょう」
あなたの思い通りになんかさせない。
強い決意を胸に、アキラはにこりと微笑みかけた。




