5 誘惑する魔導士※
――女性でも通用するだろう。
(疑われているのかもしれない)
警戒から緊張しまくっているアキラをよそに、心なしかレグルスは足取りが軽そうに見える。有体に言えば、機嫌が良さそうだ。
ここが地下迷宮の奥で、周囲には魔物がたくさんいて、人に会えば殺し合いが発生するかもしれない状況には不釣り合いなほどに表情が寛いで見える。
その横顔には、さきほどまでの冷ややかさとは違う穏やかさがあるように見えた。
「……楽しんでいませんか?」
遅れないように横を歩きながら視線を上向けて問うと、ちらっと見下ろされる。
「俺が?」
言ったそばから、レグルスの唇の端に笑みが浮かぶ。
(なんだろうこの……、気安い感じ?)
これが第一層を歩いていたときなら、相手にもされずに終わったような気がするのだ。だけど今は会話になっていて、『俺が?』と聞かれたら、答えないわけにはいかない。
「わたしの声の届く範囲には、あなたしかいないんですけど」
「どこが楽しそう?」
ノータイムで返してくるのは、やめてほしい。
アキラは前を向き、考えを整理しながら口にする。
「雰囲気が変わったように見えます。帰り道のこととか、ペース配分とか考えることはたくさんあると思うんですけど。……余裕があるっていうのかな」
光源は定かではないものの、辺りは真っ暗ではない。
上層とは違い、周囲は岩肌剥き出しの洞窟の様相を呈しているが、うっすらと壁を覆っている苔が発光しているように見える。人の手になるもののように見えた迷宮入口とは明らかに様子が違う。
そもそもあんな落ち方をして、元来た道を辿って帰るわけにもいかなくなったのだ。
なのに、レグルスには全然焦っているそぶりがない。
厳めしい空気がなりをひそめていて、態度が軟化しているようにも見える。
(やっぱり、わたしが女だと確信している? 嘘がばれたら聖女試験は失格だろう、名門アリアド家もここまでだ、っていう余裕とか……?)
それを皆の前で告発し、証拠の死体の一部でも持ち帰ればいいと割り切ってしまった、とか。
考えていたせいか、少し遅れた。
ハッと気づいたときには、レグルスの腕が軽く背に触れていた。
「離れるな。守りづらい」
とん、と触れられたそれだけで息が止まりかけて、アキラは全身を強張らせた。悲鳴は気合で噛み殺してから、やや歩調を緩めているレグルスに半歩遅れて恐る恐る見上げる。
「優しい……?」
考える前に疑問が口をついて出てしまって、レグルスにはしっかり聞かれてしまった。
すぐに何か言い返されるかと思ったのに、なぜか無言のまま見返される。
「なんですか?」
耐え切れずに問いかけると、レグルスは「ああ」とぼんやりとした呟きをもらす。
「よく見たことがなかったな、と」
「……なにを?」
「君の顔」
「面白くないですよ」
視線に耐えかねて、一歩足が後退する。
「そうか? わりと面白いぞ。たとえば」
そこでレグルスは一歩踏み出してきた。圧迫感があって、アキラは目を逸らせぬまま小さく数歩後退する。肩や背中が壁につく。しまったと思ったときには壁際に追い詰められていた。
前面にはレグルスがいる。身を翻そうと顔を右に背けたらその先の壁に手をつかれて腕の中に閉じ込められてしまった。
「近いんですけど」
「そうだな。何を怯えている?」
「わかっているなら、追い詰めるのやめてくれませんか?」
なるべく接触しないように壁にごりごりと背中を押し付け、手は胸をかばうように前で組み合わせつつ見返すと、ふっと笑われた。
見つめれば息が止まりそうなほど、繊細でいて強気な美貌が、あまりにも間近な位置から真摯な瞳で覗き込んでくる。
「俺が怖い?」
吐息を感じた。壁についていない方の手を、アキラの手を包み込むようにかぶせてくる。
そのままレグルスの指はアキラの手の甲をすべって離れて、ほっとする間もなくすぐに唇をなぞるように触れてきた。
ぞくりと肌が粟立った。
「何やってるんですか!? 魔物出てきたらどうするんですかこの状況。ふざけている場合ですか……!!」
ほら、あっちとかそっちとか、と元来た道や進行方向を見てみるも、しんと静まり返っている。
(魔物~~~~!!)
心の中で呼び寄せてみたが、特に効力が見込めるものではない。
「君がもし女なら、こういう落とし方もあるかと思っただけで」
「どういう……!?」
驚きに目を瞠ってしまったが、レグルスは人が悪そうに笑って視線をアキラに留めたままふいっと離れていった。
「今の、聞き間違いかなっ?」
「何をどう聞き間違える余地があったんだ? 別におかしなことは言ってないぞ。君に関しては、昨日からぐずぐず言っている小うるさい男だと失念していたが。どこぞの令嬢ならこうやってさっさと懐柔する手もあったと、今さら思いついた。俺も抜けているな」
「なんですかそれ……、落とすとか懐柔するとか」
これまで仕事一辺倒な朴念仁みたいな態度だったくせに、何を言い出したのかと。
(レグルスってそういうひと……? あ、いやでも確かに美形だけど!? こんな重々しい雰囲気のくせに「彼女は途切れたことがない」とか言うタイプなのかな? うわー……ありえるかも)
スバルもアランもそれぞれ迫力のある美青年だったが、あくまで仕事上の付き合いだという頭があったので「そういう対象」になり得るとは考えたことがなかった。
レグルスに関しても、正直見たこともない美形だとは思っていたし、話してみたらそれほど性格が悪くないとは思ってしまっていたが。
自分には欠片も好意など持っていないと最初から確信していたし、男同士として接しているつもりだったので考えもしなかった。
(危険と隣り合わせの状況で二人きり。何があっても自分を守ってくれる超優秀な美形魔導士……。最初からこの世界の住人で、レグルスのことを知っていて憧れを抱いている令嬢もいるだろうし。こんな風に迫られたら落ちちゃったりするのかも)
目つきはすごく真剣だった。
あの勢いで「実は以前からあなたをお慕いしておりました」なんて囁かれたら、ぐっときちゃう人はいそうだ。
「色仕掛けかー。そういうのもあるんだ……。騙しだまされまでは考えていたけど、その手は思い付きもしな」
つい、声に出してしまっていたが、アキラは途中で口をつぐんだ。
レグルスが目の前で失礼なほどにふきだして笑っていたからであった。
「なんですか……っ!?」
「ほんとに腹芸が出来ないんだなと。この組はたまたま二人きりだが、候補者によっては決まった時点で俺に対して色仕掛けくらい考えるだろ。男だというのを差し引いても、君は本当に何も考えていないんだな」
話しながらも、笑いが堪えきれないようで時折ふっ、と息がもれている。
それを、アキラは立ち尽くしたまま呆然と見ていた。
「あなた、わたしの色で落ちるんですか」
「無いな」
即答。
はじめからわかっていたし、自分では考えもしなかったものの便宜上聞いただけなのに。
ここまで鮮やかに言い切られると無駄に辱められた感が凄まじく強い。
言葉を失っているアキラに対し、レグルスはやけに余裕たっぷりとした調子で言った。
「俺はその気になれば君を落とせると思う」
「寝言は寝て言えですよね? なんですかその自信……!?」
何を言い出すのかと、拳を握りしめて抗議してしまったが。
いざレグルスに微笑みかけられると妙な圧を感じて黙ってしまう。
そんなアキラの様子を見て、レグルスが今一度、たまらない、といった調子でふきだした。
(……なんだろう。陰気そうなひとだと思っていたけど、こんな明るく笑うんだ……)
印象を根こそぎ覆す。
快活そうな笑顔と声。
呆然と見ていると、笑ったままの表情でレグルスが目を向けてきた。
「さっきから俺のことすごく意識してる。俺のことばかり考えているだろ」
(いやいやいいや。それは、身体が接触したことで女だって気付いたか警戒しているだけだし!? 言えませんけどねそんなこと……!!)
「それはですね……、どうしたらあなたともっと協力し合えるかなとか、信頼してもらうにはどうしたらいいかなとか、考えていただけですよ。二人しかいないんです、一緒にいるひとのことを考えるのは普通では?」
「そうか? 離れ離れになって会いたいひとのことや、戻ったら何をしようとか、そういうことを考えるんじゃないか?」
さらりと言い返されて、それもそうだなと不覚にもアキラは納得してしまった。
(スバルとアランは何しているかなとか……。そっか。もっといろんなこと考えないと)
その様子を、レグルスはじっと見つめていたが。
やがて、気付かれない程度に小さく息を吐いた。
「当家の候補者なら……。男の護衛などさっさと篭絡したと思うがな。必ずしも色恋ではないにしても、『守りたい』と思わせる程度には自分に惹きつけようとするだろう。相手の本来の護衛ほどに優先順位が上がるかは未知数だが、引き込んでしまえばこの試験後も何かと有利だ」
独り言のようでいて、アキラに言い聞かせるような響き。
もちろん聞こえていたアキラは、レグルスを見て注意深く尋ねる。
「ミユキさん……ですか」
今現在、ミユキはそのように動いている、と言われた気がした。
一度唇を引き結んでから、レグルスはやや厳しいまなざしで見返してきて、言った。
「俺は候補者など自分のところの人間しか知らなかった。もちろん、君のような抜けた人間がいることも想定の範囲内ではあったが……。スバルやアランの選んだ相手が、こういう人間というのは少し予想外だ」
(どう考えてもあんまり誉めてないですよね、それ……)
薄笑いを浮かべて言い返そうとしたとき、場の空気が一気に冷え込んだ。
魔物が出て来るときの気配だとアキラは察知し、レグルスに至ってはさっさと戦闘に頭を切り替えているようで道の先へと目を向けている。
レグルスの戦いぶりは心配するようなものではないとわかっていても油断は禁物だ。
アキラも、戦闘に意識を集中するようにした。




