10 本音と建前
頭がワニで身体は狼のような獣、明らかに鋭い嘴と爪を持った大型の鳥か蝙蝠みたいな翼あるもの、いかついおじさんのような人面でライオンのような体つきの魔物……。
わらわらと出て来るたびに、レグルスが魔法で片を付けていく。
その動きに一切の淀みはなかったが、背後にかばわれて見ているうちにアキラはどんどん不安になってきた。
(MP……切れない? 大丈夫? 何もないところから炎やら氷を生み出す力が、底なしで無限なわけないよね……?)
今のところ息も切らしていないし、表情には露程の変化もなく、決してしんどそうではないが。
本来なら二人一組の護衛で、分担するか、場合によっては交代して戦えるだろうに、レグルスは一人で戦い詰めだ。アキラは戦えないし、口出しもできない。
手も足も出ないのが歯がゆい。
「このペースで明日の朝までもつのでしょうか。あなたは少し休んだ方が。魔物が近づかないセーブポイントみたいなところ、ないのかな……。回復の泉とか」
たまりかねて提案すると、レグルスは少しだけ眉をひそめて見返してきた。
「俺の心配でもしているのか? 君が?」
「いちいち答えにくい聞き方しないでください。わざとですか? 心配したらいけませんか?」
喧嘩腰に対して喧嘩腰に言い返すと、レグルスは口の端にほんのり笑みを浮かべた。
「候補者は敵対候補の護衛をロスしても不問にされるんだぞ。弱らせるだけ弱らせて、適当なところで俺を始末してもいいんだが」
「冗談も休み休み言え、ですよ。あなたがいなかったらわたし生きていられないです」
「スバルたちと合流してからならなんの心配もない。さすがにアルデバラン様いて、スバルがいるとなると分が悪い。魔物よりよほどあの二人の方が手強いだろう」
そこを言われると、アキラとしては少しだけ弱気になってしまう。
(二人とはぜひとも合流したいと思っていたけど……。スバルとレグルスは仲が悪いんだよね? 二人が誰を護衛しているのかは知らないけど、アランが候補者を守っている間に、スバルが疲れたレグルスを連れ出してトドメを……って、あり得なくはない気がする)
アキラ個人の考えとしては、無駄に人間同士で争っては欲しくない。
だが「聖女試験」そのものが、一枠しかないであろう聖女の座をめぐり、人と人が争う構図となっている。
今後の展開を見据えた場合、特に有力候補の護衛であるレグルスを、アリアド家所属の二人が始末しようと考えていないとは言い切れない。
自分に、それをやめさせる発言力があるとは思えないのが辛いところだった。
「あなたにはもう随分助けられていますし……。生きていて欲しいんですけど」
しぜんと視線がさまよいがちになり、ついには下を向いてしまう。
そのアキラの顎を、レグルスが指先で軽くつまむようにして上向けた。
「本気で言っていそうなのが、君の不思議なところだ」
笑いを含んだ声なのに、まっすぐに見てくる純黒の瞳は真摯な光を湛えている。まるで何かを見定めようとするかのように。
「この世界には魔物がいて、彼らは人間と見ると襲い掛かって来る。戦える人間は貴重ではないですか。試験が終わっても戦いは続くのなら、優秀な人材には少しでも多く生き残ってもらわなくては」
「つまり君は『優秀だから』俺に生き延びてほしいと。当家の候補者とは少し考えが違うようだ」
声が急速に冷え込んだ。
目を逸らさせないとばかりに、レグルスはアキラの顎を掴んだまま言った。
「すべての生きものに優しくありたい。有用だとか無用だとかではなく、そのような価値判断抜きに、誰もが幸せに生きられる世の中にしたい。『聖女』候補であれば、そのくらいのことを言う」
それは、アキラの無邪気さへの批判のようだった。
あなたには生きていて欲しい、つまり『役に立つ人間』だから。
聖女とは、そのような俗っぽい価値判断はせず、本来すべての生き物にとって希望になるような存在であると。
(当家の候補……、つまりミユキ嬢はそう言うと)
「そこまで悟りを開いていなくてごめんなさい。わたしは、まだそんな風には言えない。あなたには生きて欲しいと思っているけど、『幸せになるべき生き物だから』とかじゃなくて、わたしにとって恩人だからとか、卑近な理由から考えてしまう。ミユキさんはすごいね。そっか。だからあなたも、わたしが『なるべく人間とはエンカウントしたくない』という意見に同意してくれたのかな。はじめから、カタリナ家は人間と争う気はない……?」
レグルスは小首を傾げ、軽く肩をそびやかすと、アキラから手を離して先に歩き出した。
「ちょっと、まだ話の途中……っ。レグルスさん、どうしたんですかっ」
追いすがりながら話しかけると、立ち止まったレグルスの背中に鼻先をぶつけた。一瞬息がとまって、うっと呻き声をあげてしまう。
「君は本音と建前を使い分けないのか。それでよくも候補になどなったものだ」
「どういう意味ですか」
痛む鼻をおさえながら聞くと、暗い声で返事があった。
「聖女は国家の意思決定に意見する存在だ。建前では世界平和や人類の平等をうたいあげつつも、使える人間を選別する程度の才覚は当然求められる。えげつなさを悟らせずに立ち回るのが聖女であって、必ずしもこの程度の『良さそうな話』に乗せられるような人間である必要はない」
どんな顔をして言っているのだろう。
アキラは正面に回り込んで、顔を見上げながら言った。
「あなたの言っていることはわかります。けど、それならなおさら『人間は使えるか使えないかで、生きるべきか死ぬべきかを他人に弄ばれるできべきではない』との信念は必要かと思いました。聖女というのは、この世でただ一人の回復魔法の使い手なんですよね。その人が『有益な人間から助けます』って言っちゃうの、なんか怖くないですか」
「その手の判断をいつも迫られるのが聖女だ。綺麗事だけではない」
(魔物のいる世界だから? 戦いや争いが日常と隣り合わせだから?)
これはきっと机上の空論ではない。現に起こり得る未来の話。
「あなたの言う聖女というのは、慈悲深く清らかな存在でありながら、計算高く冷徹であれと。そういうことでしょうか」
アキラの問いかけに、レグルスは重々しく頷いた。
「理解力はあるようだ。敵である俺に妙に肩入れしているようで呆れていたが、わかったならいい」
「肩入れ?」
「スバルたちは君との合流を目指してくるだろう。その時に、二人が俺を始末する線も考えられるはず。君はどうするつもりだ?」
淡々と問われたのは、さきほどアキラがまさに考えたこと。
(わたしが考えるようなことは、このひとも当然考える……か)
「二人を止めますが、二人がその気なら無理かもしれません。いっそ、明日の朝まで二人と会わない方がいいのかも」
「それは君の本来の計画と違うのでは? 俺にのせられて、判断を誤っていないか? あの二人にはなんと言われて来た?」
二人には、絶対に合流しようと言われている。
だけど、そうするとレグルスの身を危険にさらすかもしれない。
目を見開いたまま固まったアキラに対し、レグルスは冷然として言った。
「聖女は、そういった判断を常に迫られる。俺はこの試験は理にかなっていると思う。ここでは、この条件下でなるべくたくさんの候補者を始末しようと思う者だっているはずだ。それは試験のルール上『あり』とみなされている。何故かといえば、策謀が聖女に必要な資質と考えられているからだろう。君のような考え無しの方が珍しいはずだ」
「言いたい放題……」
レグルスは口の端を歪めて、見間違いでなければ笑っていた。
「アリアド家の二人が本気でこちらを追跡する気なら、俺が疲弊している可能性を考えて休憩できそうなポイントを潰していくだろうな。つまり君の言うように、どこかで立ち止まって休むのは俺にとっては危険ということだ。それとも、それが狙いだったのか?」
「面倒くさいこと言いますね。違いますよ」
抉るような物言いの連続に、アキラはいい加減にしろとレグルスを睨みつける。
ひとえに、この試験が作り出した強烈な疑心暗鬼が面倒くさい。
(たしかにこういう風に候補者と護衛を組み替えていなければ、エンカウントするたびにチーム同士で潰し合いになっていたかもしれないので……。もしかしてここの地下迷宮が試験場であるというのが先例通りならば、これまではそうやって人間同士でひどいことになっていたかもしれない。今回のルールは、抑制としての効果が期待できるだけかなりマシなのかも)
実際に最強の護衛を連れていたアキラは、潰される恐れはなかったかもしれないが、その分多くのチームを壊滅させる側だったのかもしれないのだ。そう考えると、今の自分の状況が少しだけ気楽に思えてきた。
ほんの、少しだけ。
「わたしは、あなたと明日の朝まで生き延びて帰りたいと考えています。出来る限り人間には会いたくありません。分かれ道での選択はあなたにおまかせしてもいい。どうすれば信用してもらえるかわかりませんが」
「ではそこの分かれ道では左側に行こう」
レグルスが視線で通路の先を示す。分かれ道。
それが立ち止まっていた理由であったと悟り、アキラは素早く頷いた。
「わかりました。あなたの意見を取り入れます。進みましょう」
回り込んでいたせいで、アキラが先に進むような形になる。
真っ暗ではないものの、薄暗がりである道の奥は曖昧でよく見えない。
「待て、何があるかわからない。先に行くな」
背後から声をかけられたときには、アキラはすでに歩き出し、分かれ道へと踏み出していた。
その足が、あるべき床を踏めずに空を踏みしめた。
身体がバランスを崩す。
(落ちる!?)
認識したときにはレグルスに腕を掴まれていたが、すでに身体は空を舞っていた。
そのまま、底の知れない闇へと落下した。




