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9 候補者と護衛魔導士

 ずっと背中を見ていた。

 信頼ゆえに背中を預けられている、とは違う。

 ただそこに脅威があるから、アキラの盾になってくれている。


(このひと本当に『護衛』なんだ……)


 あまりにも広い背中。盾というより、壁。


 低く朗々とした声が、歌うように不思議な言葉を紡いでいく。

 影色をした狼が床や側壁を蹴って迫ってきても、通路全体を薙ぎ払うような業火を放って近づけることすらなかった。

 魔法使いと聞いてイメージするような杖の類は身に着けておらず、抜いた剣をかざして呪文を唱え、切っ先を向けていくと、雷撃や氷矢が放たれる。

 通路をふさぐ巨体の熊のような魔物も、易々と打倒した。

 そうしてほとんど時間もかけずに、迫りくる魔物に次々と魔法をヒットさせて蹴散らしてしまった。


「行くぞ」


 レグルスは短く言い捨てると、剣を収めて歩き出す。

 すぐに、何かに気付いたように振り返った。

 そのときはじめて、アキラはレグルスが身に着けている外套を固く握りしめていたことに気付いた。


「その……、本当に強くて。手も出せないというか」


 護身用のナイフに空いた手で軽く触れてみる。

 それ以上うまく今の気持ちを言える気がせず、曖昧な笑みを浮かべながら、アキラは手を離した。

 レグルスは少しだけ眉をひそめて「何を、当たり前のことを」と口の中で呟いた。険のある声だった。


「聖女候補は、手を汚してはならない。君は……、聖者候補とでも言えばいいのか。とにかく、君がそのナイフを振るうのは食糧を切り分けるときくらいのはずだ」


 何を言われたのか、少し考えてみた。


(……戦力外通告?)


「もちろん、いくら刃物を渡されたところで自分が戦えるとは思っていませんけど。このチームは一人足りないんです。何かの折にはわたしもこう、一撃くらいは」


 振りかぶる動作つきのアキラを前に、レグルスの眉間の皺が深くなった。

 失敗した、というのはわかった。


「百年寝ていたそうだが、まだ起きてないらしいな。候補者は殺生を禁じられているだろ。いくら身に危険を覚えても、まともな反撃をして、相手を死に至らしめたらその手は血に汚れる。候補者たる資格を失うぞ」

「手を汚したら? 候補者としての資格を失う……?」


 うまく。

 誤魔化さないと。

 そうそう、百年寝ていたせいでちょっとわからないこと忘れていることが。

 笑って言って終わらせよう。そうすべき、そうしないと。

 頭ではわかっていたのに、膨れ上がった疑問がそれが許さなかった。


「候補者は、魔物を倒したら駄目なんですか?」


 不機嫌そのものだったレグルスの顔に、微細な変化があった。戸惑うような、探る瞳。


「魔物に限らない。殺生してはならない生き物の範囲に、魔物も含まれるというだけの話だ」

「そうですね。確かに魔物は生き物でした。あらゆる殺生を禁じられるなら、駄目だというのもわかります。でも、それは欺瞞では?」

「欺瞞?」


 思わずのように、レグルスが言葉を繰り返した。


「あなたはわたしを生かす為に、先程たくさんの生き物を殺しました。わたしはその恩恵を受け、生き延びています。自分の手は汚していませんが、これは実質わたしが殺したと同じでは?」


 レグルスの瞳に、はっきりと困惑が漂う。

 それでも、アキラは止められなかった。


「それに、候補者用宿舎では肉料理も提供されています。自分では殺していませんが、殺生に注目すればこれはかなり『死』に関わる行為ではないでしょうか。候補者の大部分は王侯貴族のような人と聞いていますけど。たとえば、狩りや釣りを嗜むひともいるんじゃないですか。生きている人間が、他者の死に関わらないなんてありえないです」

「手を。血に汚さぬようにと」


 ――ああ、これだ。


 アキラはこれまでに違和感が像を結ぶ感触を得た。

 言葉と言葉のやり取りの果てに浮かんだそれは、言うならば虚像。


(アランもスバルも親切で優しかったけど……、奇妙なほどにわたしの能力を重視していなかった。『この身体』の主はあまり鍛えないまま眠りについたのかと理解しようとしていたけど。何かもっと根源的なものだ。この試験においても、聖女候補は無力で戦力外だと誰もが決めつけている空気。全員? おかしくない? 自分で剣を取り、魔法を使える候補者はいないの?)


 あまりにも護衛依存すぎやしないかと、ずっと苛立ちに似た気持ち悪さを抱えていた。


「わたしは強くはないです。さっきだってすごく怖かったし、自分が戦うだなんて全然現実感がない。だけど、もしあなたに何か危機が迫ったとして、わたしに出来ることがあればやります。あなたにお願いがあります。それが必要だと判断したら、わたしを止めないでください。二人きりしかいないんです」


 胸に手をあてて、レグルスを睨むほどの強さで見上げながら、アキラは退かない意志をそこにのせて強く言った。

 レグルスが、ひくりと片方の眉を神経質そうにひそめた。


「そんな場面は作らない。俺の能力はいまの戦闘でわかったはずだ。君が怪我をしたり、自ら戦う場面を作るのは俺の力不足ということに他ならない。そんな間抜けなことは」


(ああいやだ、私のこれはこのひとのプライドを傷つけている? だけど……)


 譲れない。


「あなたの能力の話をしているわけじゃないんです。このチームは一人足りないという話です。あなたはわたしを守るけれど、あなたの背中は誰が守るんですか。もしわたしの手が血に濡れて、わたしが不浄の存在として候補不適格になるなら、望むところです。わたしにはわたしの意志があります。あなたにそれが曲げられるなんて思い上がらないで。わたしはあなたの何です? 何でもないどころか、ライバル候補者ですよ。過保護ぶりを発揮していないで、もっと突き放してください」


 あなたが真実『護衛』なのだとはわかったけれど。

 わたしにはわたしの考えがある。駒じゃない。


「スバルやアルデバラン様は、それを許さないだろう」


 恐ろしく機嫌を傾けた無表情で、レグルスがぼそりと言った。


「知っています。だってあの二人は完璧だから。わたしも信頼しています。二人から言われたら、わたしはおとなしく従ったでしょう」

「俺では駄目か」


 目が細められる。


(……いやいや、何そのごり押し。告白じゃあるまいし……!)

 

 冷静になって状況だけを見れば、レグルスは完璧な『護衛』であり、知識が穴だらけの他チームの候補者に親切なチュートリアルを展開してくれている。その上で、候補者たる資格を失わないようにアドバイスまでくれているのだ。

 初心者向けのかなり優秀なキャラクターだと思う。

 しかもそこだけ気温を二度くらい下げるほどの、際立って冷ややかな美形である。

 その口からよもや「俺では駄目か」などと。

 動揺を隠そうとした。もちろん、うまくいかなかった。


「だ、だ、だ……駄目です。あの、わたしはあなたを、あまり知らないので。じ、自分の判断を優先させることも、あります」


 視線の圧に負けて、一歩後退し、盛大に噛みながらなんとかアキラはそれだけ告げた。

 レグルスは何故か、ぐいっと大股に一歩進んできた。

 互いの胸がぶつかりそうなくらいに距離を詰めてきて、ふっと息を漏らして口元だけで笑った。


(あ、これは……? ちょっと認めてくれた感じですか~?)


 一瞬だけ期待した自分の見通しの甘さを、アキラはすぐに悔いることになる。


「寝言は寝て言え。戦闘経験が段違いなんだ、君に何か判断させることなど絶対にない。大人しく俺の後ろで指でもくわえていろ」


(口悪……)


「それ、単純に『俺が必ず守り抜くから、余計な心配をするな』って話ですよね。ちゃんとそう言えたら老若男女百人くらい、ばたばたっと簡単に射抜けると思うんですけどね~」

「今この空間には君と俺しかいない。そして俺は君を射抜くつもりなどない。くだらない」


 念入りに否定されました。


「さて。先を急ぐぞ。百年越しの記憶喪失に付き合っていたら、ずいぶん時間を浪費した」


 言い捨てて、レグルスが背を向け、歩き出す。

 確かに、いつまでもぐずぐずとしていたら他の候補者に出会ってしまい、余計な腹の探り合いが始まりかねない。


「すみませんでした。あなたを全く信頼していないわけじゃないんです。むしろ感謝しています」

「俺の戦いぶりを見ればそんなの当たり前だ。俺から君への信頼度は特に変化はないが」


 これだけ熱いトークをした後だというのに、またもや念押しのように主張されました。


 歩いている最中に口答えする気にはさすがになれず、アキラはおとなしくその後ろに従った。

 自分なりに周囲を警戒しつつ、漆黒の髪がすべる背をじっと見つめる。


(同じことを、うちの二人に言われていたら、わたしは飲み込んで、危険なことはしないと従ったはず。自分も何かしようなんて思いもせず。もしかしたら、このひとと話せて良かった……のかな?)


 文様の刻まれたナイフの鞘を指先で探りながら、そんなことを考えた。


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