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 三浦は、興奮していた。

息子からその吉報を聞いたとたん、柄にもなく、膝が震えるのがわかった。三浦は立っているのがつらくなり、大きな体を投げ出すようにソファへと倒れこんで、天井に向かって大きく深呼吸をした。

「お宝は、向鶴紋の壷の中だったか…」

早朝に発見された市野沢家の家宝には、藩主の家紋である二羽の鶴が澄ましているらしい。


・麦沢の 空から消えた 吹き流し (三浦守)


 三浦は、長年築き上げてきた後援会の網の目に綻びがないことを再認識した。携帯電話会社や、プロバイダー会社に潜り込ませてある諜報部員の努力によって、航介の位置情報、交友関係、そして通信内容が的確に把握されていた。神仏の正体を解いていく航介は、三浦の手下によって、バラバラに微分されていたのである。半年前のあの投稿記事に目を留めていなければ、近い将来、航介に天下を獲られていただろう。航介のように、郷土愛があり自尊心が強い若者は、南部人ではなく日本人でもない三浦にとって、存在そのものが脅威なのだ。民族自決という世界共通の統治原則は、後進的な東北地方の植民地化を進めていくうえで障害となる、忘れていてほしい哲学だった。

 三浦は、この前の年に、櫛引八幡宮の和田菊之丞宮司からある相談を受けていた。自身の後継者についてである。高齢の和田は、禅譲を前提として、その適格者を紹介してもらおうと、人脈に定評のある三浦守に相談していた。三浦は、世襲ではなく禅譲という言葉を宮司から聞いたとき、真っ先に自分の息子の顔が浮かんだ。まだ二十歳の青二才だが、宮司の指名ひとつで獲得できるその肩書きは、政治家のそれにくらべても遜色がない。田舎者の氏子連中をまとめていくことなど、国会議員の豪腕秘書として名を轟かせている三浦にとって、すこぶるたやすいことである。しかも、八幡信仰は三浦家のルーツでもある朝鮮半島と関係してきたらしい。祀られている神と同じ渡来系の遺伝子をもつ者こそ、その宮司としてふさわしいではないか。この総鎮守の宮司の座を、仮に愚息が手に入れることができれば、「東北地方を庭にしろ!」と発破を掛け続けてくる横浜の「オヤジ」も喜ぶことだろう。

 三浦は、この一年の間、自分の息子が宮司の座を射止めるために工作してきた。保守的な和田宮司に、ぬけぬけとわが子を推薦するわけにはいかない。三浦は、宮司にその資格の条件を聞き出していた。

「宮司の座を禅譲するときは、この算額に正解しなければならない。そう言い伝えられてきた。」

算額とは、和算学者が各地のお宮に算術の設問を絵馬に書いて奉納したもので、学者同士や寺子屋単位でその解答の速さを競い合うという江戸期に流行した文化だった。このあたりの神社や寺などには、多くの算額が文化財として指定されている。

 和田宮司が奥から出してきた大きな絵馬には、三浦にはまるで理解できない、三角形と円に関する幾何学の問題が書かれてあり、その横には、不可解な短い文章が付け加えられていた。


『天地相関、陰陽一体の気が通ずるとき

太一から伯夷叔斉が天降る

汝、不明の杉の澤を探し出せ

我れ、栗林の下で生まれ変わらん』


 三浦は、航介の足取りが途絶える以前に、その算額に書かれてあった幾何的な図とよく似た一枚の興味深い図を手にしていた。航介のパソコンを覗いてのことだった。その図は、あの日に航介が埖渡の天満天神宮でぬかるんだ土に描いていたものと同じもので、櫛引八幡宮と斗賀神社を重ねあわせて浮かび上がる虹色の架け橋と、最大内角が一二〇度の二等辺三角形、そして埖渡を原点にした大円だった。二等辺三角形の各頂点には、「埖渡」、「櫛引」、そして「斗賀」の三ヵ所の地名が付記され、航介の実家がある麦沢集落のところに「×」印がついていた。その「×」印の横には、「雷が鳴ったら、ヘソを隠しましょう」と書かれてあり、三角関数の公式が暗号のように記されていた。

 その翌日、三浦は、公共事業の落札で懇意にしている測量会社の社長に話をつけ、GPSやレーザー測量を使って先進的な計測をしてもらった。すると、驚くことに、これら三つの神社を通る円の中心が、ほぼ正確に麦沢集落に特定されるのであった。すなわち、「麦沢‐櫛引‐埖渡」と「麦沢‐斗賀‐埖渡」の二つの正三角形が地上に現れ、麦沢に落ちた雷が、「神成り」となって三社に分派するという航介の解釈が、美しく証明されたのだった。

 三浦は、GPSによって導き出された位置情報をもとに息子に現地調査をさせたところ、「×」印の位置が、あの南部曲家と見事に一致した。それを知った三浦は、各方面に手を打って製材所を廃業に追いこんで、市野沢一家を町から追い出すことに成功した。その後、整理役を買って出て、借金の形として収奪した南部曲家を捜索させた。

「徹底的にやれ。ヤツの冴えは尋常じゃない。」

 肝心のお宝は、床の間の下、深いところに隠されていた。用済みになった三百年の旧家は、三浦の手によって、三日もかからずに取り壊されることとなる。

 ようやく落ち着いた三浦は、時計の針先を気にした。お宝を発見した麦沢集落からは、車で三十分もかからないのに、バカ息子の到着がずいぶん遅い。その時、ふたたび固定電話の着信音が鳴った。

「息子さんが、交通事故で当院に運ばれました。予断を許さない状況ですので、すぐに来てください。」

当初連絡してきた看護婦は「予断を許さない」と言っていたが、バカ息子の安否は確かだった。

「いきなり小犬が飛び出してきたんだよ!避けるに避けきれなかったんだ。」

三浦は、息子の言葉を情けなくおもった。自分なら、飛び出してきた犬など轢き殺してしまうだろう。

「アレは、どうなっている?」

「助手席にハダカで置いていたから、わからないよ。」

「ナニ?わからんだと!」

狭い病室のなかで、二人は親子ゲンカを始めだした。三浦は涙を溜めている息子を蹴り上げて、八戸署へと急行した。

 車庫に置かれた三浦名義の高級車は、廃車にしなければならないほどのダメージを負っていた。

「助手席に、壷が置かれてあったはずなんだが。」

警察官は、顔見知りの事故に同情を示しながら、粉々になった壷を新聞紙の上に広げた。

「ご覧のとおりです。」

三浦は、向鶴紋のうち片方の鶴が描かれた破片を見つけ、舌打ちをして乱暴に放った。古い壷のなかに隠されていたそのお宝は、どうやら仏像のようだった。この黒ずみの原因は、メッキが剥がれ酸化したからなのだろう。

「これだけだったのか?」

三浦の問いに、警察官は、ビニール袋に入った蛇の死骸を見せた。

「これも壷の中に。」

ふたたび舌打ちをした三浦は、当初の予定が大幅に狂ったことを悔しがった。特別な場所に隠されていたこの仏像は、重要な秘密を持っているにちがいなかった。仮に、美しく完全な姿で南部総鎮守に奉納できていれば、それだけで、発見者である自分のバカ息子はカリスマとなっただろう。

「あいつは、運がないかもしれない」

三浦は、素直にそう思った。



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