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航介は、ひとりぼっちで、ケンカを始めた。
いつもの年ならば、母親によって豆まきが行なわれていたこの日、航介は勇ましく鬼退治に出かけた。きびだんごの代わりには、いつもの羅経盤と地形図を用意した。地域の歴史を研究する有志のサークルを探してマメに顔を出し、その独特の解釈と笑顔で人脈をつくっていった。南部人には、江戸や鎌倉目線での歴史観が染み付いていたために、航介の雅で京風な考え方は彼らにとって新鮮だったようだ。とくに、畿内との結びつきを強調した「戸」地名の推理は予想以上にうけ、彼らの興味を強く引き付けていた。
盛り上がるサークルの温かい雰囲気とは逆に、航介は冷酷なまでに、そのメンバーを値踏みしていた。
「戦争には兵隊が要る」
自らを桃太郎になぞらえている航介は、この代表的な昔話にもインテリジェンスが隠されていると考えていた。桃太郎には、三匹の鳥獣が供にしてほしいとやってくる。イヌ、サル、そしてキジが勇者の供になるわけだが、興味深いことに、これらの鳥獣はすべて干支に含まれている。戌、申、そして酉に。キジは日本特産の国鳥である。つまり干支の順番を尊重すると、サル、キジ、そしてイヌの順で登場するべきなのだ。これらのなかでもっとも勇敢な「鉄砲玉」は、意外なことにキジである。なぜなら、羅経盤で酉の位置は真西となり、殺気立つ辛酉そのものとなるからだ。
「南部人の先輩でもあります新渡戸稲造先生のように、私も『郷土會』をつくらせていただきました。」
航介は、頃合いを見計らって、有能で勇敢な数人をスカウトした。生まれ年や家族構成、職業、そして何よりも彼らの郷土愛を航介の目で審査した。
航介によって組織された「郷土會」は、文人的な同好会の看板を掲げながら、さながら新進気鋭の軍隊であった。ただし、その構成員は、将軍の真の目的や、自分に与えられた役割を認識していない。純粋に、愛する故郷のための活動をするボランティア団体だと思っている。
「八戸市の南郷区にダム湖ができました。」
平成一五年(二〇〇三)に竣工したこの水利ダムの通称に強い違和感を覚えていた航介は、やつでのような団扇を手にして彼らを煽った。
「青葉湖という名称はおかしい!」
「あの近くには、平家の落武者伝説があって、そこに出てくる青葉の笛が…。」
役所が発行したパンフレットの文章を鵜呑みにしている生真面目で純朴そうな青年が、その命名の由来を語り出した。航介は彼の発言を遮り、
「南部殿の敵は、ずっと津軽と伊達の両藩だった。伊達氏の居城である青葉城(宮城県仙台市)に通じる名を、わざわざ南部領内に付ける必要などない!」
航介は、埼玉県にあったダム湖が、当時の知事の娘にちなんだ名称へ意図的に工作された例をだして、「侵略者が、悪意を持って『青葉』をねじこんだのだ」と断言した。「一般投票の結果だったはず」と言う者が多数いたが、そんな経過はどうでも良かった。
航介は、伊達氏をスケープゴートとして利用することで、易く目的が遂げられると見ていたのである。やがて、その思惑どおり、八戸市内にある新興住宅地の「青葉」地名に問題意識をもつ者が出てきた。航介は、そういった流れを歓迎した。地名とは、住民による通称が尊重されない限り、まさに権力者の意志そのものである。恣意的ならばもちろんのこと、たとえ地名文化というものに鈍感であるために悪気なくもたらされたものであろうと、いくつかの里が強制的に水没させられたダム湖に、命をかけて国づくりをしてきた領主を貶めるような名を付けたことは糾弾されるべきだった。
航介は、その青年から好ましい名称を尋ねられ、「世増湖」と迷わず答えた。ダム建設中の数十年のあいだ、誰もがそう呼んでいたこの名称は、湖底に沈んだ世増集落を尊重してのものだった。
「こちらに、興味深いブログがございます。」
航介の心のなかではサルと名付けられた男が、自分なりに整理した何枚かのレジュメを配り出した。
『神の気の里?櫛引八幡宮周辺の地名の謎』
サルによって紹介されたブログのなかには、それまで航介とアーニランとで考察してきたことが、なぜか、ビッシリと書かれてある。櫛引と将棋盤、埖渡と御神渡り、陰陽五行での解釈、そして斗賀霊験堂から見える地上の星。ブログ情報を受け売りする人の良さそうなサルの演説に耳を傾けることもなく、航介は自分の血圧が上がっていくのを感じ取った。
中座した航介は、顔を紅潮させたままにネットカフェへ向かった。実家に帰ってもパソコンは押収されたままである。早速、そのブログにアクセスし内容を読んでいくと、航介とアーニランの脳内がコピーされたかのような文章が、そこには記されていた。「アーニランのブログかも」と自分を慰めてみたものの、最後の一行を見て、その可能性も否定された。
『次回 北野天満宮から推理する平安京の白虎』
どう考えても、押収されたパソコンらから、アーニランと貯めこんだ貴い情報が流失したにちがいなかった。
「警察は、ここまで卑怯なのか!」
しかし、航介は、その一行の横に貼られてあった小さなバナー広告を見落としていた。
『ジオ俳句・ジオ短歌の会 事務局』